【言霊世事3-16-3】重要
三 天皇の世界経綸(20-3)
二十 シオンの三神宝(3)
「モーゼの来朝は鵜草葺不合六十九代神足別豊鋤天皇(かみたるわけとよすき)の御宇のことで,天皇の名は神のタルすなわち足(たる)、十(たる)、律法(トーラ)、虎(とら)の巻を分けたThe distributer of Sacred Ten という意味である。モーゼは神道を修行し、十戒の表裏すなわち三種の神器神宝と及び大祓祝詞を授かり,その学んだところを彼の自著の五書(ペンタ、トーチ)に書き残している。ヘブライのアロンの杖は草薙の剣である。黄金の壺の中のマナは八尺の勾玉である。十戒石(裏十戒)は八咫鏡である。両者その名と咒物は異なっても形而上の実体は同一である。モーゼは天皇の委嘱(いしょく)に従ってその神器神宝を用いてイスラエルを建国し、また彼と日本の皇女大室姫命(ローマ姫)の間に生まれた子ロミュラスはローマ帝国を創始して、将来三千年にわたるヨーロッパ文明の基礎を確立した、この事をキリスト教では「神の旧約」という。晩年行方不明トーラ伝えられているモーゼは再び日本に来て、その陵墓は能登の宝達山である。」
「モーゼ以後にあって,イエス以前のキリストといわれるヨブ記の中には古事記の中の伊邪那岐美ニ神の黄泉平坂(よもつひらさか)の絶妻の誓(ことどわたし)の記事がそっくりそのまま掲載されている。この内容の詳しい言霊的解説は後に譲るが、預言者ヨブがいかにしてこの神道の理論を知ったかを考えると、彼もまたモーゼと同じく,彼が病床に臥していたと伝えられる間に日本に訪ねて来て、神道を学んであろうことも推測される。」
「モーゼ、ヨブらの歴史と、旧約聖書と神道との教理の関係を承知すると,やがてその後のユダヤの預言者の一人であったナザレのイエスが日本にやって来た事もまた当然の事実である事が首肯できる。日本はイスラエル民族の魂の祖国である。ユダヤ国家の滅亡と日本の神武維新がほぼ時を同じくすることは意味深い事であり、広義の南朝である天孫饒速日命に代わってこの国の主権を掌握した広義の北朝としての神倭磐余彦命はそもそも何者であったかを明らかにすることが世界歴史の真相を明らかにする上の重大な鍵の一つである。」
「この神武維新以後、東漸のユダヤ人はいわゆるシルクロードを経て、中国朝鮮を過ぎて続々とその祖先モーゼ以来の心願の国日本に移住帰化している。その民族移動を指揮した者は預言者ダニエルらであったことが聖書に記されてある。現在の日本人の半数はその頃から引き続いたいわゆる蕃別の帰化人の子孫であるということができる。爾来帰化ユダヤ人は日本の産業経済を興し、工芸美術芸能を奨め、その宗教の宗家宗源である日本皇室の守護に任じた。やがて帰化人は朝廷に用いられて大臣(蘇我入鹿、秦河勝、倭の漢の直駒(あやのあたひこま)となり、その娘は天皇の妃となった。」
「垂仁天皇の御宇、渡来したイエスはモーゼと同じく宮廷に入って神道を学び、天皇の宏謨を受けて,二千年後の今日の世界にモーゼの旧約の経営を成就するための新約の運動としてのキリスト教の運動をヨーロッパに興す基礎を樹立した。キリスト教の最後の最高の結論である黙示録二十一章、二十二章は神道原理言霊を以ってしなければ釈く事ができない。イエスは再び日本に来て陸奥国に住み、倭姫命、武内宿禰に協力して、ユダヤ人の財力を糾合して伊勢五十鈴宮の造営に当たった。この時いわゆる猿田彦命(天狗)として活躍した人物が彼イエス自身であったろうことが推定される。」
「その後キリスト教において人類の理想像として描かれた救世主イエスは、仏教に於いて釈迦が描き出した阿弥陀如来と同じく信仰の対象、方便である哲学上の媒介としての観念像であって、実在ではない。キリスト教全体は「イエスが神の子であることを汝みずから証明せよ」という問題の提供であって、禅のいわゆる公案と同じ意義のものであるという事が出来る。この信仰の対象としての理想像を描き出したのはキリスト教を創り上げたペテロ、ヨハネ、パウロの仕事である。救世主としてのキリストと歴史上の人物としてのイエスの区別,すなわち無門関のいわゆる「有髯の達磨と無髯の達磨」を混同してはならない。これを思惟の上で言霊アと言霊オに区別して取り扱わなければならない。阿闍(あか)宮福音書Aquarian Gospel of Jesue the Christ という書にはイエスが西蔵まで行ったと説かれてあるが,その先が中国であり日本である。」
「神道から観たヘブライ研究三部書第三部天皇の世界経綸 小笠原孝次氏著 七沢賢治監修 和器出版引用」
三 天皇の世界経綸(20-3)
二十 シオンの三神宝(3)
「モーゼの来朝は鵜草葺不合六十九代神足別豊鋤天皇(かみたるわけとよすき)の御宇のことで,天皇の名は神のタルすなわち足(たる)、十(たる)、律法(トーラ)、虎(とら)の巻を分けたThe distributer of Sacred Ten という意味である。モーゼは神道を修行し、十戒の表裏すなわち三種の神器神宝と及び大祓祝詞を授かり,その学んだところを彼の自著の五書(ペンタ、トーチ)に書き残している。ヘブライのアロンの杖は草薙の剣である。黄金の壺の中のマナは八尺の勾玉である。十戒石(裏十戒)は八咫鏡である。両者その名と咒物は異なっても形而上の実体は同一である。モーゼは天皇の委嘱(いしょく)に従ってその神器神宝を用いてイスラエルを建国し、また彼と日本の皇女大室姫命(ローマ姫)の間に生まれた子ロミュラスはローマ帝国を創始して、将来三千年にわたるヨーロッパ文明の基礎を確立した、この事をキリスト教では「神の旧約」という。晩年行方不明トーラ伝えられているモーゼは再び日本に来て、その陵墓は能登の宝達山である。」
「モーゼ以後にあって,イエス以前のキリストといわれるヨブ記の中には古事記の中の伊邪那岐美ニ神の黄泉平坂(よもつひらさか)の絶妻の誓(ことどわたし)の記事がそっくりそのまま掲載されている。この内容の詳しい言霊的解説は後に譲るが、預言者ヨブがいかにしてこの神道の理論を知ったかを考えると、彼もまたモーゼと同じく,彼が病床に臥していたと伝えられる間に日本に訪ねて来て、神道を学んであろうことも推測される。」
「モーゼ、ヨブらの歴史と、旧約聖書と神道との教理の関係を承知すると,やがてその後のユダヤの預言者の一人であったナザレのイエスが日本にやって来た事もまた当然の事実である事が首肯できる。日本はイスラエル民族の魂の祖国である。ユダヤ国家の滅亡と日本の神武維新がほぼ時を同じくすることは意味深い事であり、広義の南朝である天孫饒速日命に代わってこの国の主権を掌握した広義の北朝としての神倭磐余彦命はそもそも何者であったかを明らかにすることが世界歴史の真相を明らかにする上の重大な鍵の一つである。」
「この神武維新以後、東漸のユダヤ人はいわゆるシルクロードを経て、中国朝鮮を過ぎて続々とその祖先モーゼ以来の心願の国日本に移住帰化している。その民族移動を指揮した者は預言者ダニエルらであったことが聖書に記されてある。現在の日本人の半数はその頃から引き続いたいわゆる蕃別の帰化人の子孫であるということができる。爾来帰化ユダヤ人は日本の産業経済を興し、工芸美術芸能を奨め、その宗教の宗家宗源である日本皇室の守護に任じた。やがて帰化人は朝廷に用いられて大臣(蘇我入鹿、秦河勝、倭の漢の直駒(あやのあたひこま)となり、その娘は天皇の妃となった。」
「垂仁天皇の御宇、渡来したイエスはモーゼと同じく宮廷に入って神道を学び、天皇の宏謨を受けて,二千年後の今日の世界にモーゼの旧約の経営を成就するための新約の運動としてのキリスト教の運動をヨーロッパに興す基礎を樹立した。キリスト教の最後の最高の結論である黙示録二十一章、二十二章は神道原理言霊を以ってしなければ釈く事ができない。イエスは再び日本に来て陸奥国に住み、倭姫命、武内宿禰に協力して、ユダヤ人の財力を糾合して伊勢五十鈴宮の造営に当たった。この時いわゆる猿田彦命(天狗)として活躍した人物が彼イエス自身であったろうことが推定される。」
「その後キリスト教において人類の理想像として描かれた救世主イエスは、仏教に於いて釈迦が描き出した阿弥陀如来と同じく信仰の対象、方便である哲学上の媒介としての観念像であって、実在ではない。キリスト教全体は「イエスが神の子であることを汝みずから証明せよ」という問題の提供であって、禅のいわゆる公案と同じ意義のものであるという事が出来る。この信仰の対象としての理想像を描き出したのはキリスト教を創り上げたペテロ、ヨハネ、パウロの仕事である。救世主としてのキリストと歴史上の人物としてのイエスの区別,すなわち無門関のいわゆる「有髯の達磨と無髯の達磨」を混同してはならない。これを思惟の上で言霊アと言霊オに区別して取り扱わなければならない。阿闍(あか)宮福音書Aquarian Gospel of Jesue the Christ という書にはイエスが西蔵まで行ったと説かれてあるが,その先が中国であり日本である。」
「神道から観たヘブライ研究三部書第三部天皇の世界経綸 小笠原孝次氏著 七沢賢治監修 和器出版引用」