おぼろ男=おぼろ夜のおぼろ男は朧なり 三佐夫 

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400年前のスペイン人が見た日本ー日本見聞録あとがき

2009-06-21 13:58:50 | Weblog
やっと、「あとがき」も終りましたからご紹介します。潤光堂・たにぐち書店より9月上旬出版です。
 あとがき
 房総に生まれ育った者の一人として、昔、御宿町の海岸でスペイン船が遭難し、救助されたと言う話は、おぼろ気なままに知っていたのでした。おそらく海を見下ろす高台に白い塔が聳えていますからそれにまつわって覚えていたのでしょう。
ただ、その遭難はいつ頃のことで、どうして外房の岩礁の多い海岸にやって来たのか、どんな人物が乗っていたのか、などと言うことは、後に郷土史に興味を抱いてから知り得たのです。
 また、この町で酒造業を営む岩瀬禎之さんが、趣味で撮影された写真集『海女の群像』を拝見し、また、母屋の土間の梁の材木が、遭難船のマストであることを知って感銘を受けたのです。なお、大多喜城の領主本多忠勝公の肖像画を親しくさせていただいていた渡辺包夫先生が模写されて、メキシコ大統領が来訪されたときに進呈したと言うお話をご本人から伺い、ますます興味を抱いたのです。
 今年は、遭難から400年に当たる年と言うことで、昨年から現地や千葉市でイベントが催されていますので、私も遅ればせながら村上直次郎訳『日本見聞録』と、大垣貴志郎訳『日本見聞記』を精読いたしました。
 その内容は、400年前の日本各地の様子や江戸城・駿府城・大多喜城の構造、そして、大御所・将軍と武将の人物像、さらには見聞した習俗など、とても興味深いものでした。また、ドン・ロドリゴとサン・フランシスコ号船長の国王への上申書が、かなり日本国と日本人への評価において対立していることにも注目しれたのです。
 この上申書を一貫している趣旨は、スペイン国が、日本と通商した場合、営利を上げることが出来るかどうか、日本の産出する上質の金銀を有利にスペイン国の物にできるかどうか、さらにキリスト教の布教を拡大出来るかどうか、マニラとヌエバ・エスパーニャ間の航海に日本の寄港地を持つことは有利かどうか、さらには戦わずして日本を植民地にすることは可能かどうか、などと言うことです。
そう言う視点から利害の対立するオランダの排斥を要求していますが、最終的には禁教令・鎖国令によって、ドン・ロドリゴなどの夢は打ち砕かれてしまいます。
 私は、後世の日本人として、この結果を肯定しています。それは、当時のスペイン国が、南米大陸やフィリッピン諸島を植民地化し、土着の民族を奴隷化して富の収奪をしていたと言う、まぎれもない事実から日本はかろうじて逃れられたからです。もっともキリシタンの虐殺・殉死と海外への追放については、深い哀悼の意を抱きますが、外交にはそのような感情論は通用しないのでしょう。それは、異民族・異宗教との過酷な戦いが、どうしても付きまとっているのです。
 そう言う意味でもこの見聞録は、日本と世界とのかかわりのあり方や、大御所家康の先見の明と、器の大きさを示していると思います。徳川幕府250年間の世界への閉ざされたゆえの平安の歴史を近代化の遅れと言う一方的な見方でもって否定するのではなく、植民地化への防波堤と言う側面からも認識するべきでしょう。
 この2冊の翻訳本は、かなり原文に忠実で直訳的です。また、村上訳はすべてを丁寧に訳してあるのですが、その表現法や言葉遣いが、現代文と文語文の中間にありますので、私を含めて現代の一般の読者には、かなり分かりにくいところがありました。大垣訳は、その点はクリアしているのですが、かなり内容を省略がしているように思われます。また、惜しむらくは国王への上申書が収録されていません。
そう言うわけで、この意訳では、村上本を底本にして大垣本を参考にさせてもらいました。言葉遣いとセンテンスの切り方は、なるべくどなたにも分かりやすいようにと心がけました。また、途中に「補足」と「参考」の文を挿入して、文章読解・共通理解に役立てようと考えました。
 なお、国・地名や人名は、いろいろな表記が混在していますが、ここでは、中米(メキシコ中心)を「ヌエバ・エスパーニャ」、スペインを当時の日本人の呼び方の「イスパニア」としました。(2009、6、21、安藤 操)
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1 コメント

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Unknown (k.F)
2016-01-27 23:41:18
ブログ更新楽しみにしています。

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