『天女の涙』 ~倭国の命運や如何に~

今から1700年も昔の日本に栄えた古代都市、明日香京。謎に包まれた弥生時代をダイナミックに描く。

第 2 節 渡来人

2016-05-12 22:28:03 | 長編小説
卑弥呼の宮殿には二千人の官使と二百人の文武官がいた。そして、国都・明日香京には、十万の民が暮らしていた。道路は、碁盤の目に整備され、市場では、週に一度市が開かれた。市では、大陸からもたらされた銅銭が使用され商売が賑わった。地方の国々では、物々交換が主流であったが、明日香京には国都の威厳が漲っていた。

明日香京は、約二百kmの外郭をぐるりと空堀で覆われていた。内側は、板葺きの塀で囲まれており、言わば、古代のお城とも言うべき要塞であった。

倭国は、邪馬台国など三十余国から成る連合国家であり、明日香京は、倭国の国都であると同時に邪馬台国の首都でもあった。

こうして日本の弥生時代には、国家が存在していた。そして、その頂点に女王卑弥呼が、君臨していたのである。

卑弥呼は、占いによってたった一人で国を動かしていた。彼女は、寝る間も惜しんで精力的に働いた。大臣や文武官がいるとはいえ、彼女の占いには、皆、絶対的な信頼を寄せていた。

連合国家倭国は、卑弥呼のカリスマ性によって一つにまとまっていたのである。

倭国の軍事力は、国長が、国内の十八歳以上の男子を徴兵して、各国の首都や明日香京の警備に当たらせていた。

その内、卑弥呼の身辺を護る親衛隊は、倭国直属の最高司令部であり、主に有力な国長の子弟が任命された。

卑弥呼と寝食を共にし、倭国全土を動かす訳であるから、良家の子弟達にとっては、名誉な任務と持てはやされた。しかし、その実は、倭国と邪馬台国に忠誠を誓わせる為の苦肉の策でもあった。

卑弥呼は、倭国に忠誠を誓った国々が争いを起こさないように配慮した。まず、国都まで届けられた、ありとあらゆる問題を文武官に精査させてから各大臣に吟味させた。そして、上奏された嘆願書を占いその結果が出ると、倭国王女の詔として勅命が下されるのである。

卑弥呼の元には、祭祀の視察依頼、国と国との土地・水権争いの仲裁、国長の家督相続の承認など常に問題が山積していた。

これらを卑弥呼が占った後、詔として国長や民に伝えていたのは、二人の渡来人である。彼らは、常に卑弥呼の身辺に侍して微動だにしない忠勤の士であった。

二人の名は、吾一と吾参という。倭国直属の親衛隊隊長と副隊長であった。双子であった二人は、卑弥呼でさえ間違えそうになる程良く似ている。しかし、性格は右と左、黒と白というぐらい対称的であった。

二人は、他の親衛隊隊員や官使、文武官とは少し違っていた。倭国の民ではないし、天人でもない。はっきり言って天界とは何の関わりもなかった。何と二人は、遠い異国の出身者であったのである。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿