5時だよ、ゴハンだにゃん

(元)外ねこさんに支えられる日々と、
野良猫さん一家TNRの記録

ふわちゃん またね!

2023年12月23日 | つれづれの日々
2023年 7月9日 ふわりが虹の橋へ旅立ちました。
たくさんの子たちと出会い、暮らし、そして見送る中でふわりほど見た目も中身も変わっていった子はいなかったように思う。
2012年に突然現れた子だった。手が届くほど近づいても逃げないことがあるのに、正面からは一切近づかないどころか一目散に
姿を消してしまう…数か月様子を見る中でどうやら聴力に障害があると気づいた。当時はまだお庭番中だったゴローちゃんと仲が良くて
くっきり茶白猫と白い長毛猫コンビは近所でも人目を引いていて焦ったものだ。
そんな彼女がようやくトラップケージに収まってくれたのは2012年の6月 
流浪の間に感染したのだろう…FIV(+)ということもあり、術後保護することに迷いはなかった。
威嚇の嵐から少しずつ表情が緩んでいく様子がうれしかったな。部屋割りのかげんでウォルと同室になった際には、ウォルにもよく懐いて
かわいがってもらっていた。ちょっとだけ首をかしげながら近づいてくる白い毛玉みたいな姿を思い出す。

             
ぽぽのすけとも仲良くできそうだったけど、激おこ発作の的になってしまったことで保護部屋から2Fの猫部屋に移ってきた。
2Fに来たばかりの頃はちょっとした猫嫌いに陥っていて、療養中のケージを覗いた一歩とまさおにシャーシャー攻撃してビビらせていたっけ。
でも徐々にココロがほどけて距離が縮まっていくほどにやさしく穏やかになっていく表情もまたうれしかったな。本当に豊かな表情を持つ子
だったと思う。

     


2Fでご機嫌さんに暮らしていたふわりだったが、2022年の年末頃から背中を中心にぽつぽつとカビが見受けられるようになり内服治療を
開始。一時軽快したが梅雨に入って再発。その治療も終盤になった6月下旬、それまで旺盛だった食欲に陰りが出始めた。
長期にわたる内服が腎臓や肝臓に負担になったか?と受診した6/26 思いがけないデータに驚愕した。Plt 2.2万 Hbもわずかに落ち始めていた。
何らかの理由で骨髄抑制がおきている。原因はなにか?FIVの発症?カビもそのせいだったのか?極わずかに肢がもつれるようなようすからFIP?
等々頭の中を駆け巡ったがそのどれであれ今すべきは対症療法のみ。すぐさまステロイドの大量投与と免疫抑制剤が開始になった。
それまでとはうってかわって食欲なく引きこもっているふわりに投薬と強制給餌をするのはつらかった。食べたくもないものを口に入れられる
ふわりはもっともっとつらかっただろうと思う。それでも気分が良いときには私の体にぴったりくっついて眠った。

   

検査を繰り返しながら治療は続いた。でもデータはどんどん悪化し治療開始から1Wを過ぎたころ、ふわりの血液の中に血小板は存在しなくなった。
Hbもさらに低下し、消化が難しくなったのだろう…嘔吐が始まった時点で免疫抑制剤は中止、ステロイドは量を減らして様子を見ながら続けられる
だけにした。
そしてふわりの受診も止め、私はVETにある「お願い」をした。

ここから先のことがどうしても書けなくてこんなに時間が経ってしまった。でも半年経ってもやっぱり書けそうもない。
ふわりが逝ってしまったあとVETに送ったメールを転記してみることにします。

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ふわりの件では大変お世話になりました。7/9 17:45旅立ちました。
火葬の際にもまだまだずしりと重みがあり、本当に短期間で逝ってしまったのだなぁ…と
悲しくなったり、あんな状態でも頑張って食べてくれていたんだな…ふわり偉かったなーと
思ったり。

兼続のことがあり貧血からの呼吸苦だけは本当に嫌だなと思っていました。ふわりは徐々に動けなく
なってはいましたが兼続のような呼吸苦はなく過ごしており、このままなら出していただいた
坐薬も使わずに済むかもしれないという期待もしていました。ただ9日の午後、排尿をきっかけに
激しい嘔吐とそれに伴って呼吸状態が急激に悪化したため、その時点で坐薬を使いました。
20分ほどで鎮静がかかり、17:40半覚醒と同時に吐き気とも痙攣ともつかない状態になるまでぐっすり眠り
穏やかでした。
残念ながら最期も眠ったまま…というわけにはいきませんでしたが、恐れていた長い長い息苦しさを
感じることはなく逝けたと思います。

今回私のわがままな申し出をご理解くださり、坐薬を処方していただけたこと、大変感謝しております。
仕事柄お看取りの場面に関わることも多いのですが、ご家族は何よりも「穏やかであること」を望まれます。
死への道のりが苦しいものであればあるほど後悔が残りますから。それは人も動物も同じだと思います。
動物には安楽死という選択肢がありますし、それを選ぶしかない瞬間ももちろんありますが、苦しみから
救った…よりも自分がその子の命を終わらせたというやり場のない気持ちが消えないものだと友人は言って
おり、安楽死では飼い主の心は救われないのだと感じていました。
今回私の気持ちを汲んでいただけたことで、いつもより少しだけ冷静にふわりを送れたように思います。

正直、病状を知った時から絶望的な気持ちでした。先生方が懸命に治療をしてくださっていることも
ふわり自身とても頑張っていることももちろんわかっていましたが、データが改善しなければこの先何が
起きてくるか想像はたやすく、そして時間はない…どんなふうにふわりを看取ってあげられるか、看取って
あげたいかを自問自答する日々でした。そしてあの「お願い」に至りました。
もし苦しい瞬間が来そうなら眠らせてあげられる、少しでも楽にしてあげられると思うだけで、最期まで
しっかり看取ろうというガッツが不思議と湧いてきました。
誰しもその子が大好きな安心できる場所で最期を迎えさせたい、苦しみさえなければそれが可能なら
そのための鎮静という選択肢が提示されてもよいのかな…とあらためて思います。

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ふわりのことを想うとき、早くに逝った兼続のことを想わずにはいられない。

             
        

ふわちゃん、虹の橋での暮らしには慣れましたか?そちらでも変わらずDxなふわちゃんでいてください。いつか、また、会える日まで。


穏やかな日々と悔恨と

2022年04月07日 | つれづれの日々

      冷たい風の吹く夜を、棚上の背負いかごのなかでやり過ごしていた去年までの冬  
 
    今年の冬は、はじめてのホカペにとろけたね 
    
      15年の距離感がいつのまにか縮まって
 
    一歩が退いちゃうくらいの甘えっぷり全開  

    
   
    奇跡だと思えたあの日、ココは自らの意思でトラップケージに入ったのだと思う。
  
どんなに願っても保護出来る子とできない子がいる。人馴れの度合いとか、タイミングとか、様々な要素がそこにはあるが、でもそれだけではないと思っている。
かつてぶらっきぃを保護しようとしていた時、体力の落ちたぶらっきぃは食欲もなくなかなか姿を見せてくれなかった。でも私が近所のモータースの廃車置き場で
ぶらっきぃを探し当てることができたのは、彼のそばを離れることがなかった菊千代のおかげだ。
ぶらっきぃが保護部屋で息を引き取った後、菊千代もまた、輪禍に遭い命を落とした。
菊千代の亡骸を火葬に運びながら不憫でならなかったし、あの時一緒に保護するという選択肢はなかったのか?と悔いる私に猫の大先輩が言った。
「人も猫もそれぞれに役割をもって生まれてくる。菊千代はぶらっきぃを私に引き渡す役割をもって生まれてきた。そしてそれを全うして逝ったのだから
悲しむよりも褒めてあげなさい」と。

同じように外で暮らし、私たちと年月を重ねてきたココとミミ なにが違ったのかな。どうしたらよかったのかな。
ココが自らの意思で私たちに猫生を委ねてくれたと思うように、ミミはそうすることを潔しと思わなかったのかもしれない。
答えは見つからず、ミミの姿を見失ったことを悔み続けている。
でも猫の大先輩の言葉を借りるなら、ミミは得意の「おあがんなちゃい」で何匹もの子たちをしろりん食堂に招き入れた。そうして仲間の命を繋ぐことが彼女の
役割で、それをサポートするのが私たちの役割。
ミミを見失ったということは、ミミも私たちも互いに役割を全うしたということなのかな…とも思っている。




再opeと言う勿れ…

2022年03月22日 | 巨大結腸と術後のケア
昨日でまんぼーが明けた。
まぁ私的にはとりたてて何が変わるわけでもないがGO TO何某も再開になるらしいし世間的には変わっていくんだろうな。
経済はまわさなきゃいけない、お金を落としてくれる人も必要。私がGO TOを利用することはたぶんないけど、感染対策を十分にして楽しんで欲しい。
ウイルスは自分自身をコピーして増えていく。そのコピーミスから亜種が生まれていく。
重症化しなくても感染が繰り返されれば亜種が生まれ続け、それが新たな脅威になるかもしれない。だから感染を拡げない、今もこれからもそれが大切。

昨年3月、巨大結腸による重症便秘で開腹術になった「福」
術後3か月ほどは便通もよく経過順調だったのだが、夏を迎えるころから雲行きが怪しくなった。おそらくね、術後に爆発した食欲もあってかなり肥えたのが
いけなかったと思う。一時は減量できた下剤もMaxまで増やし、食餌内容も水分量の多いものに変更…ウォーターファウンテンを導入して飲水量を増やしたり
もちろんお腹のマッサージなんかも必死でやってみたが…ううーん…。
小児用のイチジク浣腸もやってみるといい…とびよいんからアドバイスをいただきトライ。ハトヤの魚なみに(ハトヤわかる??笑)ピチピチ動く福を横抱えにして
ワンオペでする浣腸…なかなかハードw
浣腸すれば出ないわけじゃない。
だけど強制的に便意を催させているわけで、大量に排便があるといわゆる迷走神経反射が起きるんだろうな、それによる嘔吐を伴う事も多い。
また浣腸のタイミングが難しくて、出ないからといってやみくもにかければよいというものでもなく、腸の動きが悪いながらもそれなりに直腸付近まで便が
下りてきて福自身が便意を感じているそのタイミングを逃さずにかけないといけない。
びよいんのようにきちんと保定、ネラトンカテで工夫の上そこそこ奥まで浣腸液を注入できれば良いのだろうが、ワンオペ@自宅ではなかなか難しい。
ましてやそれが私が帰宅した深夜ともなれば…さすがに福にも気の毒過ぎる。
昨年の最初のオペのとき、いずれは結腸切除をしなくてはいけないかもしれない…と言われていたが、かつてのもじゃの体験から「なんとかなるんじゃね?」と
ちょっと楽観していた。だが下剤と浣腸でだましだまし年を越したものの、1月に入ってどうにもならなくなり摘便してもらうこと2回。都度麻酔をかけての
処置になるのだが、FVRの後遺症のせいか麻酔中に呼吸状態が若干怪しくなるのだそうだ。挿管したほうがいいかな?って考えたよ…とVET。
摘便しないと出ないのに、便自体はそんなに固くない…てか十分下剤が効いている。なのに…出ない。いくらいきんでも出せないのだ。嘔吐を誘発するほど
いきんでも出ない。伸びきって薄く弾性の無くなったゴム管の中にうんPが詰まっているイメージなんだな。しかも太っちゃってるから腸管マッサージして
押し出すことも難しい。
1月半ば、万策尽きた…と思った。
VETにオペして欲しいとお願いした。このままもう少し粘ると思っていたんだろうな、「え、いいの?」的なちょっと意外そうな顔をされたよw
二度目のオペが福にとって大きな負担だということはわかっている。でもこのまま下剤と浣腸、麻酔と摘便を繰り返していくことが福の生活にとって
どうなのか?と考えたら、私にはオペをするという選択しかなかった。

縫合不全からの腹膜炎のリスクがあるので少し長めの入院になるよと言われた。
1/21午後入院し当日中にオペ。盲腸遠位から直腸近位の下行結腸をわずかに残して結腸切除、結腸直腸断端縫合術は無事終了。術後の経過は良く排便も確認。
1/26めでたく退院の運びとなった。
久しぶりに会う福は術後とは思えないゴキゲンさんモード。困らせませんでした?と尋ねれば、「病院の癒し」だったと思いがけない返事(笑) 
やさしいおねえさまがたに連日可愛がってもらった模様www
ねえ?ぽぽのすけ、聞いてる?びよいん出禁のポポちゃん、お願いだからちょっと福を見習って…。 

            

                    

帰宅後はまた術後服。前回の術後に比べて福自身がかなりデカくなって(外に居た時と同じくらいに戻った)いたので、サイズアップはしてみたけど
それでもぱっつんぱっつんだよw
でも不思議な子で、基本下僕のすることならオールOK!なので嫌がりもせず着こなすんだよね。
はらぺこあおむしみたいなウェアの裾にストッキネットを足して長さをだしたものまで(笑)

                    
         
            

経過はいたって順調。創部は前回よりも長くて数えたら15針かかっていた。術前の体調って本当に大切なんだよね。前回縫合部水腫ができて抜糸が遅くなったり
腹毛がちっとも生えてこなかったりしたのが噓のよう…。今回は15針を予定通り10日で抜糸し縫合部もきれい、2ヵ月経った今ではよくよく見ないと分からない
位に。腹毛もだいぶ生えそろってきているし。
TNRを続ける中で、どの子にも術前養殖と言ってとにかく食べさせてきたことはきっと無駄じゃなかったんだなとも思った。

結腸切除をしてもしばらくすると便性が落ち着いて、ともすると再び摘便が必要になる子もいるんだよとVETに言われた。だから、ここからリスタート。
これまでの観察から福には漢方の便秘薬よりもラキソベロンの方が効くらしいこと、少量のラクツロースを足すことで便性のコントロールが可能なことが
体験的にわかっていた。
大腸はないけどw大腸刺激性のラキソベロン液を3~5滴を基本に、ラクツロースを0.5ml程度使って今のところやや軟らかめの排便状態をキープ中。
隣の部屋ではうっしーも漢方便秘薬を朝晩投与することで便秘をとりあえず回避できている。ラクツロースは祝卒業。
自宅でも職場でも排便コントロールに明け暮れる下僕…ちょっとホッとするひととき。
出すことは食べることと同じくらい大事なこと。inとoutのバランスはカラダに、ココロに、そして人生において大切。

福をかなり見習ってほしいぽぽのすけ。  

ゴローちゃん、いつもぽぽのすけのお世話係ありがとね。クリスマスにチーバからやってきた

タマゴにぎゅうぎゅう。        


ニッキさん またね!

2022年01月30日 | つれづれの日々
早いものでもう2022年もひと月過ぎようとしている。
昨年末からの杞憂がやっぱり杞憂で済まなくなり、ものすごい勢いでオミクロンが近づいてきている(…いやもうその手中に収められてしまっているのかも
しれないが)のを感じている。
東京でジャズシンガーをしている親友から久しぶりにLINEが来た。秋に送ったサツマイモが最後の1本になったと彼女らしく日々の暮らしを楽しみながらも
歌う場所を奪われた日常に対する憤りをにじませていた。
休まざるを得ない業界と休むことを許されない業界 どちらにとっても今、せつない時。

2021.12.28 ニッキさんが虹の橋へ旅立った。もう長らくあまり体調の良くない状態が続いていたことを思うと、本当に良く頑張り立派な旅立ちだった。
画像を紐解いてみると、彼が現れたのはまだまだ藪がわちゃわちゃしていた2008年のこと。私のぼんやりした記憶では小さくて傷だらけでなんだか貧相な
猫だった印象なのだが、あらためて当時の画像をサルベージしてみると、それなりに筋肉質でキリッとした顔立ちの子だったのだと今更驚いた。
なぜかわが家のお庭番や藪っ子たちはみながっちりした体格だったから、その中においてはニッキさんが小さく見えたのだろうな。もじゃといっしょに
保護部屋で暮らすようになってからの彼の様子が私の当たり前になっていたから、そのたくましい表情がなんだか新鮮にも思えた。
 
          

ニッキさんは、どこから来たのか皆目見当がつかない。かるびやもじゃなど新顔の男の子たちが庭に出入りするようになり、小さな諍いごとが増えだした頃
フラっと姿を現した。他の子たちよりも近く、でも気を許しているわけでもないぞと言う距離感でしろりん食堂の常連になった。
最初はもじゃともあんまりうまくいかなくて、顔を合わせれば唸り声が絶えなかったのだが…。
なにがきっかけになったのか??いつからかボーイズラブなMNコンビが結成された。喧嘩っ早いかるびがニッキさんを襲ったのをみて、いつもはおだやかな
もじゃがかるびにとびかかっていきニッキさんを助けた様子は忘れられない。

          

          
ニッキさんはよくケガもした。一番ひどかったのは右額のフレグモーネ。額から血をダラダラ流しながらもまだかるびと唸りあっているニッキさんを素手で
キャリーに放り込んだ雨の日。たぶんあれが後に「知恵がないことをして…」と医者に言われることになる「猫のケンカの仲裁」をした初めてだ。

骨盤狭窄による便秘の管理のために保護部屋生活となったもじゃが元気をなくしていき、もじゃと離れたニッキさんがかるびに生活の場を追われていく様子に
なんとかニッキさんにもじゃとの同居をお願いできないか…と考えた。
そして2010.8月かるびの姿がないうちに…と勝手口にゴハンをねだりに来たニッキさんを(私のうろ覚えの記憶では…)抱き上げて身柄確保、3段に組み直して
置いたもじゃのケージに即入居。もじゃ、とっても喜んで食欲も戻って元気になったんだよね。ニッキさんも出せ出せもせず、アイスノンも使いこなして、
まぁちょっとの間スプレーとかしたけど、いつの間にかそれもおさまって…そうしてMNコンビの穏やかな時間が流れていった。
このころがニッキさんにとってももじゃにとっても一番幸せな時だったんじゃないのかな。


          

2016.6月ニッキさんはもじゃが息を引き取るその瞬間も、いつもと同じようにお気に入りのカゴにもじゃと一緒に居てくれた。もじゃは安心して眠れたと思う。
独りになってしまったニッキさんはさすがに元気をなくしていき、もじゃを探すように啼くようになった。そのころ隣の保護部屋にはうっしーとお嬢が居て
稀に部屋を行き来してはいた。賭けだった。うっしーとお嬢を隣のニッキさんのところへ移してみた。
すべてはこれこそ杞憂だった。すぐにうっしーとお嬢はニッキさんに寄り添い眠り、ゴハンを食べ新しい生活が始まった。

                  
ニッキさんは、たぶんものすごい愛されキャラなんだと思う。外に居た時にも女の子たちに人気だった。誰ともつるまなかったココが唯一一緒に時を過ごした
相手もニッキさんだった。かるびとは犬猿の仲だったけどねw

そんなニッキさんも2017年に急性膵炎を発症したころから体調が思わしくないことが増え、痩せて小さくなっていった。同じころから時折大きな声でまるで
雄たけびを上げるように啼き続けるようになった。
正確な年齢は分からないが出会った時にもうそれほど若くはないと言われたニッキさん、これは認知症なのだと思った。
認知症は少しずつ進んで、同じ場所をクルクル回ったりベッドやトイレの場所が分からなくなることが増えた。けれど、お嬢もうっしーもニッキさんが大好きで
ニッキさんのカゴはいつもどちらかが一緒、2匹でぎゅうぎゅうなのは変わらなかった。
体力がないのでFVRの後遺症が悪化しやすく、そうなれば余計に食べられない。食べた量に応じてちゅーるを強制給餌して補食、投薬や時には水を背負わせたり。
ニッキさんにはさぞかし迷惑なことだっただろうが、それを大した抵抗もせず受け入れてくれた。痩せてさらに寒がりになったから…と服を着せてみた時も
トイレが分からなくなってあちこちに失禁してしまうようになり、マナーウエアをつけることにした時も、本当に粛々とその状況を受け入れてくれた。

ニッキさんを思う時、不思議なくらい楽しかったことしか浮かばない。ほっこりした気持ちになる。
たくさんの環境の変化にも時の流れにも逆らわず、けれど何があってもニッキさんはニッキさんで、いつでも誰からも愛されている。
様々なことが思うようにならない時だからこそ、そんな在り方を私もしたい。

年の瀬の青空にニッキさんは煙になって昇って行った。見えなくてもきっとその傍らにはもじゃが居たと思う。
空の彼方の虹の橋でMNコンビ復活。それはそれできっともじゃとニッキは幸せ。
こちらはしばらく寂しくなるよ。でもきっと、いつか、またね。



…とここで少しマナーウエアの考察。
仕事柄人間用のおむつは使い慣れているが、猫用のマナーウエアを使うのは今回が初めて。
使い始める前に現在使用中の猫友さんに相談、様々なアドバイスをもらった。そして実際に使ってみてなるほどねーの嵐。猫友さんとのやり取りの一つ一つを
まるで検証しているみたいだった。
まず、品質の良さにおどろいたね。人間用のおむつ開発の賜物なのだろうが吸収力やギャザー、テープの扱いやすさ、耐久性などにいやー本当に驚いたね。
素晴らしいと思った。
ただ残念だったのは、たぶん開発には元気な猫さんたちが協力してるんだろうなぁ…という点。もちろん若い猫さんであっても様々な状況でおむつを使うことが
あるわけでそれは問題ない。猫友さんとも話したのだが(彼女は某社の開発プロジェクトに参加させろとまで言っていたw) 少なからず若い猫とシニア猫では
オムツのカタチを変えることが必要だと思う。猫は生まれつき猫背だ。だがシニア猫はさらに猫背になる。そして大腿部から臀部が痩せていく。
この加齢による変化をクリア出来たらもっとフィット感の良い漏れないマナーウエアになると思うのだが…。ニッキさんが最後に教えてくれたこと。
開発チームのみなさま、ぜひよろしく。

ようこそ、ココちゃん 

2021年12月31日 | つれづれの日々
更けゆく2021年の大晦日。まずは今年もこんな寂れたBlogをお訪ねいただけたことに感謝を。
そして来る新年が皆さまにとって素晴らしい一年でありますように。

忙しない日々の中に埋もれていってしまう記憶のなんと多いこと…。いいのか悪いのか分からないが、少なからず今一番やりたくないのは長谷川式テストだな(笑)
数字を逆からとか…マジ無理だわ。
それでも記憶の底に沈んでいくものが多いということは、決して不幸ではないのだろうとも思う。沈まない記憶を思い煩うことはせつない。

3月に思いがけず「福」を保護したことで、庭にはミミとココの2匹が残ることになった。2匹ともかなりの古参組 ココはかしゃんとみけちゃん一家のTNRを
終えた後のいわばTNR2期組というところの2006年藪に現れて2007年にオペ。ミミは2008年庭に現れて同年オペ、リリースした子になる。
だからかれこれ13~15年を藪や庭で過ごしてきたということになるわけで、少なく見積もっても結構なシニア猫の部類になる。
ミミは時々体調を崩すことがあるが体格を保っているし、動きも悪くない。ココは一日の大半を藪の持ち主の庭か我が家の屋根で過ごしており毛ツヤや動きは
ミミより数段おちる感じはあったが、食欲はキープできていた。
とはいえ、どちらも高齢であることには変わりなく、福がいなくなり流入猫が増えるだろう庭は、これまでのように安らげる場所ではなくなるだろう。
どちらからでも構わない、福が落ち着いたらとにかく順に身柄を確保しようと決めていた。
9月初めの夜。ミミはいつものように駐車場で私の帰りを待っており、雨が降り出す前に…とゴハンをたくさん食べた。「明日、雨が止んだらちゃんとくるんだよ」
それがミミに声をかけた最後の日になった。
10月になり、夜はたいてい屋外の冷蔵庫の上から通り過ぎるダンナや私を呼び止めるはずのココの姿が見えなくなった。ココは毎日県道を渡る。体調だって決して
良いとは言えない。ミミに続いてココも消えてしまうのか…。それが外で暮らすということだと理解していても、気持ちはそうもいかない。
だから、10日ほど経った庭にココの姿を見つけたときには叫んじゃうくらい嬉しかったな。
やはり具合が悪そうで、食欲もあまりない。足の運びが悪く県道をヨタヨタ渡っていく。時間がない、と思った。
後肢が弱り、定位置の冷蔵庫の上に上がれなくなったココは、日中の陽当りの良い時間帯と夜半の私の帰宅時間を見計らって庭へ戻ってきているようだった。
チャンスは多くない。トラップケージに慣れさせながら粘った。
私はかつてココが連れていた仔猫を保護して里子に出している。
ココはとても慎重な子なのに、どうして仔猫が目の前でトラップされるのを黙って見ていたんだろう?と不思議がる私に猫の大先輩は「母ネコには仔猫が幸せに
なれることが分かる、だからそうしてくれる人に託す」のだと言った。
軽トラの下でそろそろ肌寒くなってきた風をよけながらゴハンを食べているココに「今度は自分自身を託して欲しい」と声をかけた。店前の自販機で買い物を
していたお客さんには、毎晩軽トラの下をのぞき込んでブツブツ言っているさぞかし怪しさてんこ盛りのおばさんだっただろうと思う(笑)

11月半ばの昼過ぎ。出かけようとしていた時、かすかな啼き声が聞こえた気がした。もしや…とのぞき込んだトラップケージにココの姿を見つけたときには
安堵しかなかった。ココには怖い思いをさせたわけで申し訳なかったが。トラップケージの中のココは、思っていたよりも小さかった。
用意していた2Fの二段ケージに移す。驚いたことに30分もしないうちにトイレに上等な便としっこ玉 意外に大物感。
上段には上がらないが、用意したクッションにちんまりと休み、ちゅーるもドライも食べる。出せ出せも言わず、ありがちなトイレ籠城もしない。さすがに
手が近くまで行くと「しゃー」言うけど、それだけ。逃げるわけでもなく猫パンチが炸裂するわけでもない。
やはり後肢の力が落ちていて通常設置してある中段に上がることも難しい様子だったので、さらにもう一段低位置に足場を設置するとほどなく上段にも上がる
ようになった。

そして今…こんな感じ。

     

湯たんぽを使いこなし、お腹が空けば下段に降り、啼いてゴハンの催促をする(笑) さすがにまだ下僕におさわりの許可を出しては
頂けないが。
寒さが緩むころには、リビングデビューできるかな。出窓で日向ぼっこする姿が見れるかな。
今はとにかく、暖かい冬を、風や雨に怯えない夜を、記憶に刻んで欲しいと思う。
ようこそ。ココちゃん。

そして、2002年 しろ・くぅ・ぶち そして ちゃってい の4匹から始まった我が家の「しろりん食堂」は閉店の運びとなりました。
今思うのは、途絶えることなく猫たちが次々現れていたのは、やはりミミが「おあがんなちゃい」をしていたんだなってこと。
彼女が姿を消してから、庭に猫の姿はない。
今度は誰かに「おあがんなちゃい」をしてもらって、新しい居場所を見つけたのか?そんなことは難しいと思いながらもそうであって欲しいと願ってしまう。
沈んでいかない記憶はいつまでもせつない。だけど、忘れないよ。ミミちゃん、また、いつか、どこかで。

うっし-の体調不良

2021年11月26日 | 猫の体調不良と通院
うっし-の異変に気付いたのは、オヤジの葬儀やその後の手続きなどに忙殺された9月が過ぎた10月の初めのことだった。
本当は少し前から頭の隅で気づいていたと思う。食べる量が少ないんじゃないか?減ってきているんじゃないか?と。だが、わずか数十分を切り取るだけの
時間では、うっしーはそれなりに元気そうに見えていたし、元気だと思い込もうとしていたのかもしれない。
10月に入って、うっし-の便が出なくなった。そして朝出しておけばたいてい空になっているはずの可溶性繊維のドライがちっとも減っていないことに
今更ながら気づいた。
元々巨大結腸で摘便をし、以後も下剤を続けているうっし-だ。便が少ない…といえばまず詰まっていることが考えられるわけで。
詰まっているから食べられないのだろう、直腸を触わってみるかなと臀部を引き寄せて「えっ…」。ぷりぷりだった臀部の肉がごっそり落ちていること、
毛ツヤが悪くぱさぱさしていること、そしてぺったんこの腹部に驚いた。
出ないから食べないんじゃない。食べていないから出ないんだ。
この時点ではうっし-食べようとしないわりと元気に動き回ってはいた。ただし水様物の嘔吐が少し増えていることには気づいていた。誰の物かは判別不能だが。
発熱や咳嗽を含めた感冒症状はない。口腔内を確認しても口内炎はない。肉眼的黄染はない。
だがこの日を境にうっし-の食欲は完全に廃絶、ベッドに引き籠る時間が増えた。
完全に私の観察不足。気づいてやれなかった申し訳なさと気づけなかった自分にイラつき、どうかこれ以上の悪化をしないでくれと祈りつつ…。
嘔吐を誘発しては意味がないので様子を見ながら少量ずつ…の強制給餌で凌いでなんとか受診にこぎつけた。
BW前回より−0.9㎏ かなりの痩せ方だ。X-Pではやはり便の貯留はなく、完全に食べていないから出ない状態。肺野は元々きれいではなく慢性気管支炎様で
それは以前とさほど変わりない。ではなぜ食べられないのか?原因としては気管支炎により呼吸状態が悪い、慢性的に呼吸が悪いことで心不全が進んでいると
いった呼吸循環器系の原因と、膵胆管の消化器系の原因が考えられるとのことだった。
血液データは全体に悪くない。胆管肝臓系のデータも今のところ問題になるほどではない。とりあえず呼吸循環系の状況を探っていくことに。心不全の状態を
診るためにBNP値の測定を外注する。膵胆管系の炎症が原因としても治療内容は被るので、抗生剤とプレドニンの内服を開始し経過をみることになった。

以下経過を記録したもの。
10/6 受診 X-P 血液検査 抗生剤/ステロイドsc 輸液  帰宅後水様物多量に嘔吐 手持ちのセレニア0.5錠内服させ様子見る 
    夕 アモキシリン0.5 嘔吐とまっているが食欲なし 引きこもっている
10/7 朝 セレニア0.5 アモキシリン0.5 食欲なし だるそう 毛つや悪くバサバサ 高カロリーチュール1/2本強制給餌
    夕 水様物嘔吐痕あり 輸液100 プレドニン0.5 アモキシリン0.5 高カロリーチュール1/2本強制給餌
10/8 朝 セレニア0.5 アモキシリン0.5 食欲なし 動いてはいるが寝ている時間が長い 高カロリーチュール1本強制給餌 
   VETよりBNPは正常範囲内と連絡あり、慢性膵炎の可能性示唆。前回受診後嘔吐ありセレニアを使用していることを報告、そのまま投与継続可とのこと
    夕 輸液100 脱水あり プレドニン0.5 アモキシリン0.5 高カロリーチュール1本強制給餌
10/9 朝 嘔吐痕あり 少し元気 ドライに興味をしめし数口食べる セレニア0.5 アモキシリン0.5 高カロリーチュール1本強制給餌 
    夕 輸液100 プレドニン0.5 アモキシリン0.5 ロイカナ少し食べてある 高カロリーチュール1本強制給餌
10/10 朝 ドライ食べる アモキシリン0.5のみ セレニアやめる  
     夕 シーバ喜ぶ おかわりする まだ脱水気味 排便あり 輸液100 プレドニン0.5 アモキシリン0.5 
             
             11日深夜 帰宅時、ベッドに居る
10/11 朝 シーバ食べる 活動性上がるがまだ本調子ではない感じ 全体に被毛ツヤはよくなり柔かい アモキシリン0.5 プレドニン0.5 
     夕 銀スプウェットは匂い嗅ぐだけ シーバは食べる ロイカナ食べてあるアモキシリン0.5 輸液せず様子見る 臀部少し肉付き改善
10/12~食欲改善傾向。ロイカナ中心に食べている。輸液なし。アモキシリン・プレドニン継続。
             
             15日深夜 帰宅時 久しぶりにラティス越しに座って待っている
10/15 再診 BW0.5㎏戻る アモキシリン0.5×2回/日 プレドニン0.5/隔日に減量して投薬継続 下剤内服再開
             
             15日朝 ニッキさんを毛繕いする余裕が出てきた
10/28 内服終了

今回の病態、結果的には慢性膵炎による食欲低下の可能性が考えられる(膵リパーゼ値は測定未)が、いずれにせようっし-に負担をかけてしまったのは
私の観察不足が原因であることに変わりない。反省しきり。
ひとつだけ幸いしたことがあるとすれば、これ以降うっしーの便通が安定したこと。食べて出すことが当たり前にできるありがたさ。

相手がヒトであれ動物であれ、その命を預かり守ることは難しく、その責任はすべからく重い。
あらためて記録を紐解きながら思うのは、自分の生活を整えることの大切さ。
猫たちはその身をもって私にそれを教えてくれているのかもしれない。

夏の終わりに

2021年10月15日 | つれづれの日々

コロナ禍で2回目の秋がきた。ここ静岡も緊急事態宣言が明け、少しずつ人流が戻りつつある。県独自の警戒レベルも3まで下がったが、コロナウイルスの特性と
これまでの経過を考えれば、やはり治療薬が確立されるまではある程度のセルフロックダウンは維持すべきだろうと思う。
夏の終わりに、オヤジが逝った。実家を飛び出して20年余り、その間の日々を思うと意外にあっさり、あっけないとも言える逝き方だった。
リウマチを患い年々体の自由が利かなくなっていたが、「誰にも迷惑かけてない」が口癖だった。
実家の弟からは事実上絶縁、長年の別居の末母親とは一昨年離婚が成立。帰る家が本当に無くなった。
なぜなら彼の生涯はよく言えば自由奔放?いや…周囲に迷惑かけ放題の人生だったから。
ここ数年来の体調不良が、リウマチ治療に使用していたステロイドによる医原性副腎不全だと今年1月の入院で判明。
何度も繰り返される大騒ぎの救急搬送。呼び出されて駆け付ければ「もう帰りたい。早く連れて帰れ」と救急外来で駄々をこねるわ、検査では格別悪いとこないし…。
今回も同様で、しかもこのコロナ禍で2度目。
年末年始の連続勤務がようやく終わりヘトヘトだった私は、サ高住やケアマネと生活の調整をする気力もなく、救急のドクターにダメもとで頼んだ。
「数日でいいので、症状が落ち着くまで入院させてもらえないか」と。
しかしとにかく、このドクターがここ最近の一番の名医だった。
データ上では低Naであることしか異常のないオヤジ。しかも同様のデータで別の総合病院で精査しても異常なしの結果だったオヤジの体に隠れた原因をすでに推測して
いたんだろうね、あっさり「いいよ。じゃあ入院。」あの日の驚きとありがたさは言い尽くせない。
翌日には内分泌科に転科、確定診断。ステロイド依存性の病態のため、過不足なくステロイド薬を内服することで日常生活を取り戻すことができた。
けれど体力は落ち、サ高住での生活を継続することは困難と判断。2Wのショートステイをはさんで老健への入所を選んだ。
ここが終の棲家。もう救急搬送はしない、この施設で看取りまで…とお願いしたのは今年3月中旬。
入所後も施設スタッフにわがまま放題、暴言吐きまくり。それでも本人は「オレは迷惑かけてない」の一点張り。
施設からは大きなクレームをいただくことはなかったが、この20年、オヤジの所業に対する山のようなクレームを処理してきた私としては、時にスタッフから伝え聞く
日々の様子に、その言葉の後ろにあるオヤジの様子が想像できて申し訳なさでいっぱいだった。実際、入所時「自施設で、自分で看なくて申し訳ない」とスタッフ達に
頭を下げた。
この人は死ぬまで自分が何を言っているのか、やってきたのかもわからないだろう。いや…死ぬのか?私の方が先なんじゃない?いつまでこんなことが続くんだろう?
だから誤嚥性肺炎から低酸素となり、酸素吸入を始め食事も薬も摂れ難くなったと連絡の翌日、看取り同意書の記入をした直後に逝くとは思わなかった。
大急ぎで様々な手配をし、なんとか葬儀ホールの小さな部屋にオヤジの体を安置できたのは、暑い暑い一日が過ぎ、晩夏の陽が傾くころだった。
久しぶりにじっくり顔を見る。
いつもいつも腹立たしくてまともに顔を見たことなかったなぁとあらためて思った。痩せて小さくなったからだに20年前の面影は少なく、過ぎた年月を感じた。
最期に話したのいつだったかな。ああ、そうだ。施設で必要ないものを差し入れしろと言われて電話で言い争いになったんだっけ。
「持ってきてよ」に「嫌です!」だったなぁ。これが最期の会話って…さすがにヒドいね…と苦笑。承認欲求がとても強い人ですね…と以前関わってくれたスタッフに
言われたことがあるが、今になって思えば寂しかったんだろうな、あのわがままも暴言も自己アピールだったんだろうなぁ、完全に方法間違ってたけど。
亡くなってはじめて、腹を立てずに顔を見た。分かってやれなくて悪かったなぁと思った。でも、私にはもう無理だったよ。もう笑うことも無理だった。

連絡はしてみたものの母親は葬儀には出ないと返事をよこし、結局私と弟の二人だけで送ることになった。
賑やかなことや目立つことが大好きだったのに最期はめっちゃこじんまりしちゃったな。仕方ないか…。うん、だけどそれは「らしく」ないな。
20数年ぶりに顔を見て弟が言った「それでもやっぱりオレと似てるなって思ったよ」
記憶に残る一緒に暮らした日々の面影は少ないけれど、せめてあの頃のイメージで送り出そうじゃないか!そう決めた。
こんな時のために…とサ高住を引き払う時にかき集めてきた写真。古いものから新しいものまで。そのどれにもそれなりに楽しそうな表情が切り取られていた。
そしてカラオケに興じる小梅太夫ばりの衣装とメイクを施した姿にわかっていても何度もドン退くw
入院と引っ越しを繰り返すたびに大量に出てくるカツラと着物に毎度イラッとしたものだが、今回はひとりでニヤリ。
処分せずに保管していた衣類の中に、写真によく写り込んでいるお気に入りだったと思われるジャケットとズボンがあった。(ある意味、奇跡。)
さすがにカツラはないけど(笑)写真の中のニセ小梅太夫が好んで着ていたらしい緑色の着物は、唯一処分を逃れた1枚だった。(奇跡が渋滞w)
遺影には旅芸人の一座と撮った1枚を選んだ。(そうそう、この顔だよ。)
センスがどうだったかはともかく、おしゃれが大好きで見た目を気にする人だったのでエンバーミングを施し、新品のYシャツにお気に入りのベージュのジャケットと
ズボンを着せてもらった。死装束の代わりに緑の着物を掛けた。
遺影のバックには青空と富士山 ド派手な宮型霊柩車(もちろんベンツ)をチョイス。見送る人数こそ少なかったが、それなりに賑やかになったと思う。

先日49日を迎え、オヤジが眠る永代供養塔をたずね、花を手向けてきた。
オヤジが亡くなった時、私とオヤジの関係が良くないと察していた施設のスタッフから「ずいぶん色々なことされてきたの?」と声をかけられた。相当ホッとした顔を
してるのかな?って思ったな。
お世辞にもいい父親じゃなかった。(はっきり言うよ) ホントもういい加減にしてくれ!って思ってた。
だけど、そのおかげで(かなり迷惑だったけど)いろんな経験ができたことも事実だな。私がキレまくりながらも、とりあえずなんとかやり切るのは度重なるオヤジの
後片付けで得た知識や体験がベースにあるからだなと今思う。ま…それに感謝するとこまで私、ニンゲンのレベル上がってないけどねwww

なにはともあれ、82年の人生、お疲れさま。
実家を飛び出していった時、こう言ったよね。その言葉で送るよ。「じゃあね」

便秘は続くよ、どこまでも

2021年10月11日 | 巨大結腸と術後のケア

さて、福のその後ですが。
2Fの保護部屋で修業をしつつ、一歩とふわりとの交流を図っていたのだが…まさかの完全拒否。
一歩とふわりは福のケージを置いているリビングに寄り付くことさえしなくなり、一歩はたまに目が合うと全力のシャー!!
別に福が何かをしたわけでもなく(だってケージの中だしw)、私が見ている限り一度だってシャーをやり返したこともない。が…生理的にダメってやつなのか?
ふわりは精神的にきちゃったのか、お腹の調子まで崩す始末で。
排便の管理をするのなら目が届きやすい2Fの方が望ましいけど、さすがに双方ともに限界だなぁ…orz

福を含めて9匹の猫たちの部屋割は意外に難しい。相性って大事だもんね。誰だって気の合わない相手と暮らしたくないもんね…。
唯一残された方法…これは未だ外暮らしをさせてしまっている子たちの今後を左右してしまう可能性もあるので安易に選択できなかったが、もう致し方ない。
2Fのケージを引き払って、福二度目の引っ越し。今度の住まいは「ちょびこルーム@離れの保護部屋」
猫たちが、かれこれ1年半以上前の記憶をとどめているのかどうか…血縁だったかつての藪っ子たちはそこそこ分かり合えていたように思ったが今回は??
外暮らし時代、福のことが大好きでいつもミミと福の取り合いをしていたちょびこ…だ。そこに賭けてみる大博打にでた下僕。ええ、ただの苦し紛れです。
ちょびこルームに入れたケージに福をイン。しばらくするとタワーの上から様子をうかがっていたちょびこがコトッと下り、トコトコとケージに。
そして福と感動の鼻ちょん…からのシャーwwwwwww でも憶えてた!福もちょびこが分かる様子💛ちょっとうるっときたよ。その後は1Wほどかけて徐々に
福をフリーにする時間を増やし、環境変化で便通不良になったが無事開通し、今ではおたがいに頭をごつつんごつつんしあう懐かしい姿が見られるようになった。
猫は唯我独尊的な動物に思われることが多いけれど、個々を尊重し認めあう高い社会性と適応能力を持つ動物なんだよね。
そして今回もそんな猫たちに結局助けられた下僕であった(笑)

…と、福が保護部屋ライフに邁進していたころ、隣のニッキさんルームでは新たな事件が起こりつつあった。
事件は現場✖でなく猫部屋〇でwいや…事件の現場が猫部屋なのか。元々便秘がちで、いきんでは嘔吐しがちなうっしー。
1年ほど前から可溶性繊維を導入しわりと調子よくしていたが、少しずつ便の量が減っていることにふと気づいた。
可溶性繊維を好んで食べてくれるうっし-の便は特徴的なのと、絶対砂かけしないのでわかりやすい。
もともとながら食べで、ゴハンタイムにわっせわっせと食べる子ではないが、置き餌している可溶性繊維が夜には無くなっている感じ。
でも便の量が減っていると感じた頃、たしかに食べる量も減ってきていた。

食べてないから出ないのか?出ないから食べられないのか?食べてないならどうしてなのか???福の下剤を一度試してみるが反応がない。
考えられる状況を整理する。元気はある。でも食べていない。
熱はない。嘔吐もない。咳もない。うん、感染症ではなさそう。
下痢もなく、下剤をかけても便汁すらない。直腸付近を触診しても硬いものが触れるわけでもない。お腹は張りっぽい。でも腹水という感じじゃない。
腸蠕動を聴いてみようと思ったが、うっしーハンパない喉鳴らしでなんも聴こえねーし。ただ便汁すら出ないということがとにかく引っかかっていた。
とにもかくにもシロートの私がどうにかできるレベルじゃないことは明らか。翌朝、朝イチでうっしーをびよいんに送り届けた。

便が出ないんだよね…という私にVETもお腹を探って「だけど固いうんちが直腸に詰まっている感じでもないね」
福の下剤を飲ませたけど反応が無く、便汁も出ないと白状する。「そっか、そうなるとやっぱりもっと上で詰まってるのかな。レントゲン撮ってみようか」

             

結果はやはり…な巨大結腸。直腸に届いた分の便は排出されたが、そこから前 下行結腸以前にぎゅうぎゅう詰まっていた。だから外から触診しても
便塊は触れないし、下剤をかけても便汁が流出することもなかったのだと納得。
ただ幸いにも福とは違って便塊の径がそれでもまだ小さいこと、横行結腸や上行結腸に溜まっている便は軟らかそうなことから、糞便鉗子を使用して
摘便をすることになった。
オペ後、取れるだけは取ったのであとは福と同じ下剤を使用して排便を促すように…とスタッフから連絡をもらい、夜勤明けのダンナにピックアップして
もらったうっしーは、夜遅く私が帰宅した頃にもさすがに元気がなかった。
下剤飲ませて、お腹もマッサージして…2匹になるとさすがに忙しい。そして残念なことに数日経ってもうっし-の便は出てこないし、食べないままだし。

レントゲンではもじゃのような骨盤骨折の跡があるわけではないのだが、うっしーは僅かに左後肢を摺るようにして歩く。外暮らしをしている間に事故などで
神経を損傷したか、なにか他に先天的な疾患があるのかもしれないが、とにかく正常な排便反射が起きにくい状態なのだろうとの診断。
少なからず便が下りてきているかどうか確認したくて再受診&レントゲン 先日摘便して空になった部分までには便が移動してきていることを確認。
そしてさらに数日後、とうとう大量の宿便がっ!大量過ぎて反射で吐くおまけつきとはいえ自分の便秘が解消されたようでなんだかスッキリ。
そこからはコンスタントに食べるようになり、どうやらそこそこの量が直腸に溜まらないと排便反射が起きないらしく1回/4~5日程度ではあるが
便が出るようになった。そしてこれまでふくよかだったうっしーの腹周りが驚くほどスッとしたのは言うまでもない。
ニンゲンにとっても猫にとっても便秘は、ダイエットの天敵なのだとつくづく思い知った瞬間であった。

もじゃは保護後、可溶性繊維を食べるようになってから下剤投薬が必要なくなったが、福とうっし-はどうなるだろう?
便性をみながら投薬量を変えてみているが、なかなか手強い感が否めないwちなみにうっしーよりも福の方が投薬に手を焼いている。下僕の手の甲傷だらけ。
職場でも日々便と下剤に悩み、家でも悩む。もはや便の下僕。だけどちっとも嫌じゃない。
食べることは生きること。そして出すこともまた、生きていくこと。そうして明日という奇跡が生まれ、積み重なっていくと思えば。

災難転じて福 家猫になる

2021年07月27日 | 巨大結腸と術後のケア
すっかりごぶさたしています。気づいたら梅雨も明け、夏が来てたわ。
先日コロナワクチンの2回目に結構やられましたが、なんとか立ち上がってますw ロキソニン、おせわになりました!ありがとう!
ということで、ちょいと前からの話になりますが…。

猫たちとの付き合いの中では、時に不思議なことが起きる。
何年つきあっても少しも距離が縮まらなかくて、この子とは太い縁は繋げないのかなぁなんて思っていると、何年分かが一気に無かったかのように
そう距離感0になる瞬間がやってきたりする。

それは急遽退院になったオヤジをなんとか新しい老健にお願いして帰った3/11午後のこと。
画像をサルベージしてみると2018年3月に初めて姿があるのだが…そこから3年、触れるのでタモアミでトライしたらめちゃ大暴れで取り逃がし
トラップケージを置けば寄り付かず…で身柄確保できなかった未オペ♂ 基本女子には優しくてミミや思い起こせばちょびこにも大人気だった。
そんな彼、冬ごろから出没時間が短くなりこうやって足が遠のいてしまうのか…と少々焦っていた矢先のことでもあった。
バタバタの数日が終わり、ちょっと一息ついていたら勝手口に向かって歩いてくる猫が。いつもなら勝手口から入ってきてゴハンをねだるのに
数メートル先までトボトボ歩いてきて座り込んでしまった。
とりあえず大好きなミルクを出してみるが一口飲んでやめてしまう。どうした?なんか汚れっぽいしさ…。小さくなった感じするしなぁ…。
改めて背中をさわってみて「ん?」ゴツゴツやんか。表情にも覇気がない。
未去勢でケンカもするから怪我でもしてるか?と見てみるが見える範囲ではそれもなさそう。…が、これはただごとではない。FIVかFelvか…。
「福、ここを離れるんじゃないよ」と言い聞かせて、急げ急げでケージを組み立てる。
福は先程の場所から動かずに居てくれた。抱え上げても無抵抗。
そして明らかに軽い。そのままケージへイン。        
そこはかとない便臭がするがお尻は見せてくれない。熱はなさそうだがグルーミングもできてない。口内炎とかあるんかな?でも明らかな流延は
ない。背中のゴツゴツ感のわりには腹回りは落ちてない。触った印象では腹水って感じじゃないが。
ケージに放り込まれた福は、観念したようにほぼ無抵抗。運悪く休診日、やはり飲まない食べない状態だが一晩様子を見る。
朝になっても状況は変わらないが、ちゃんとトイレにしっこしてあった。あと少しの便汁も。嘔吐はなし。
朝イチでびよいんへ向かう。キャリーに移す時私に便付着。おしり確認したいけどめっちゃしっぽ巻いててワンオペじゃ無理なので諦める。

事情を説明して診察台へ。おしりに便がべったりなのが早々に発見されるが、形があって下痢というほどの便じゃないのが意外ではあった。
せっかくなのでそのまま便をチェックするが虫卵はなし。そういえば…ちょっと前にレボリューション落としたことあったなーと思い出す下僕。
肺の音はきれい。口の中もまずまず。「んーでもあんまり若くないね」とVET
そして腹部の触診して声が上がる「ん?これなんだ?この子、大量の便溜まってる!!」急遽レントゲンを撮る。
直腸は信じられないくらいに便で拡大し、上行結腸まで便が貯留していた。そして思わず「また便ですか」とつぶやく下僕。
                前回の便の話はこちらからドゾ
以前のもじゃの時もかなりの量の貯留だったが直腸の便塊はそれほど大きくなかったので糞便鉗子を使って摘便処置ができたのだが、
さすがに今回は巨大過ぎ。下からのアプローチは無理と判断。そのまま開腹手術の運びになった。
術前の検査でFIV(+) Felv(−)を確認。ダブルでなければとりあえずヨシだ。
オペ(直腸形成+去勢手術)は無事終了、3泊4日の入院生活を経た福は、驚くほどのスリベタ猫になって戻ってきた。
「福、う○こ出して、なんか別の物いれてきたんか?」と聞いたほど。
福のお腹から出てきたのは巨大な便塊  ←画像クリックで拡大
直腸を開いて便塊を出し、直腸壁を縫い縮めるというオペ。伸びきって薄くなった直腸壁を便が溜まりにくいように筒状に縫い縮めてあるので
これから先、便が詰まってしまうことがないように排便コントロールがなによりもたいせつになるというわけだ。
結構な長さの開腹創 数えなかったけど10針位かけてあったんじゃないかな。ケージでエリカラは気の毒なのでダメもとで服着せてみると
これまた嫌がらずに着こなす福。ホントに外暮らししてたんか?
そして食べられなかった時を取り戻すように食う食う。しばらくの間はウェットの上に薬をのせるだけで食べてくれてラッキー(笑)
ま、その後は少々手こずったが、これまでの猫たちに比べれば大したことはない。
          
              

              

縫合部に水が溜まってしまったのと創部が長いとのことで部分抜糸×2回。お久しぶりの小太郎便秘薬を0.5錠×2回/日 硫パラを2ml/日使って
排便も順調。保護から3W弱でとりあえずひと山越えた。

              
              
その後、なぜか酷い猫風邪ひいて涙と鼻汁と涎で食べられなくなり、おそらく彼の猫生で初めての強制給餌も体験。
いろいろ初めて尽くしの4か月を経て現在、下剤は硫パラ中止 小太郎便秘薬0.25錠×2回/日に減量 猫草やCaを多く含むものは避けているが
基本なんでも食し、ドライはロイカナ可溶性繊維を使用してコントロール中。
とにかくニンゲン大好き。本来こんなにスリベタな子だったのかどうかわからないけど、もしそうなら外の暮らしは辛かっただろうなと思う。

              

7月の初めからは、2Fの猫部屋で家猫修行開始。

まさおが逝き、お手本を見せる猫たちがいなくなったことが影響してるのかな?一歩とふわりの受け入れはいま一つ…。
福はそんなこと気にしちゃいないようだが。ま、猫には猫の思いも流れる時間もある。気長にいくことにしよう。
あの日、きっとここに来ればなんとかなる、助けてもらえるって思ってくれたのなら、その想いに精いっぱい応えるよ。

そんなこんなでバタバタな私のもとに届いた陣中見舞い。

              
                  ちーばの詰合せ どれも美味し❤

              
                  小田さんがいっぱい💛

猫が繋いでくれた縁から得た たいせつな友達。 いつも気にかけてくれてありがとう。 

まさおにゃん またね!

2021年05月05日 | つれづれの日々
2021年4月26日 あともう少しで夜が明けるころ、まさおが虹の橋へ旅立ちました。
なんだか、まだ、お気に入りだった出窓のチラ見カーテンのかげで寝てるんじゃないかなぁって思ってしまうけれど。

とても長いあいだ一緒に過ごしてきていて。傍にいてくれることが当たり前で。
いったいいつからまさおにゃんは私たちと居てくれたのだろう…と画像フォルダを開く。かれこれ15年。共に暮らし始めて14年だったのだと気づく。
その長きにわたる時間を寄り添い過ごしてくれたことに、まさおの旅立ちからずっと堪えていたものがはじめて溢れた。

2006年にTNRをしたが、まさおはほかの藪っこたちのように庭にがっつり定着している子ではなかった。もちろんゴハンを食べに来てはいたけれど
近くの畑のおじさんに可愛がられているという話も聞いており、2~3日姿を見せないこともあったように記憶している。
2007年の9月の半ばから体調不良となり、投薬して様子を見ていたが軽快するどころかどんどん悪化していく有様で、食欲も落ち投薬すら困難になった。
姿を見せないことにヤキモキしていたその日の夕方、トボトボと勝手口にやってきたまさおにゃんの姿を見つけた時はホッとした。
そして、勝手口でへたり込んでしまったまさおにゃんを前に「病院連れていこう」と思った。
外に暮らす子を病院に連れていく、そしてそこから先どうする? そんなこと…ぶっ飛ばしてとにかく…とにかく連れていこう!と思ったなぁ、あの時。
高熱が続いてインターフェロン何度も打って、それでもなかなか下がらなくて。濃状の鼻水と涎が止まらなくて。FIV(+)だったことも重なって重症化していた。
VETにはリリース=「死」といわれたなぁ。
今でこそ「ヤバいね、この子。入れちゃおう」とある程度の保護ができるようになったが、当時のわたしたちには「保護」のハードルはとても高かった。
もちろん今だって決して低くはない。
だってその子の命を預かって守り続けることだからね、相応の覚悟と責任とそれを全うする環境が必要なことなのはこれから先も変わらない。
2Fの保護部屋には、人馴れの十分でない元藪っ子たちが散在してわちゃわちゃだったし、私たち自身も「保護」に慣れていなかったそんな中での強行。
言うなれば無茶ぶりもいいところ。それでも、死なせたくなかったんだよ、どうしても。助けたかったんだよ、どうしても。
高熱で呼吸も荒くて体を動かすこともつらかっただろうと思う、それでも起き上がって、歩いて、来てくれた。ここに来たいと思ってくれたその気持ちに
応えたいと思った。
 
           

大きな体にそぐわないビビリさんで控えめで。たくさんの猫と暮らす生活は決して楽ではなかっただろう。
黒目がちな大きな瞳と大きなパン。背中に三角のおにぎり柄。寝ている私にくっつけてくる額の温かさ。ダンナの背中にコッソリ背中を寄り添わせる。
まさおがずっとこの部屋で見つめてきたものは、わたしたちと猫たちの暮らしであり歴史だ。
楽しかったこと つらかったこと 悲しかったこと うれしかったこと その歴史を抱えてまさおは、新緑の庭から煙になって空へ昇って行った。

           

まさおがこの14年間ずっと私たちに与え続けてくれたもの、それはゆるぎない信頼にほかならないと思う。きっと猫の神様からの最高のご褒美にちがいない。
まさおはぶちのことが大好きで、まだまだ新入りだった頃から「ぶっちゃんみたいな優しくていいネコになるんだよ」って私に言われていたせいなのか
どんなに「かわいい」と言われるよりも嬉しそうな顔をする言葉がある。

           

「まさおにゃんはいいネコ」
まさおはしろりん家の大切な、いいネコだったよ。
いつか、また会おうね。その日まで、またね。