「2083―ー欧州独立宣言」日本語版

グローバル極右界の「共産党宣言」、現代世界最大の奇書

1.12 今日における十字軍の表象(p144~)

2012-10-05 01:12:08 | 十字軍
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 今描写されている十字軍は、史実における十字軍よりはるかに侵略的だ。ロバート・スペンサーの『政治的に正しくないイスラムと十字軍入門』では、イスラム過激派が西側への敵意を煽るために、十字軍についての誤った情報をいかに誇張しているかが描かれている。

 Q:十字軍は侵略的な軍事的冒険行為としてよく描かれますが、これは本当なのですか?
 A:違う。教皇ウルバヌス2世猊下が1095年クレモントで宣誓した自衛行動としての面が長い間スルーされてきた。ウルバヌス2世は「トルコ人やアラブ人がキリストの土地を脅かしている。敵は既にギリシアを抑え、地中海やヘレスポント(ダーダネルス)の沿岸にまで迫った。敵は7つの大戦に勝利し、多くの教会を破壊した。これ以上放置しておけば、神の土地がもっともっと襲われるだろう」と述べた。
 正しい宣言だった。ジハーディは既にキリスト教の土地の半分以上をイスラム化していた。なのに、十字軍のように連帯して立ち向かう姿勢はこれまでなかった。

 Q:十字軍に対する誤解をどう思いますか?
 A:十字軍は侵略軍とされてきたがそれは違う。638年のイスラム勢力によるエルサレム征服以来、キリスト教徒は常に迫害されてきた。8世紀初めにはアモリウムからの60人以上の巡礼者が磔にされ、ケサリアの知事はイコニウムからの巡礼者にスパイ容疑をかけて改宗しなかった者を皆殺しにした。聖墳墓教会を略奪すると巡礼者を脅迫することもあった。
 8世紀後半には十字架を掲げることが禁じられ、ジズヤの額も増え、子供にキリストの教えを伝えることまで禁じられた。
 9世紀には迫害が激化し、コンスタンチノープルなどにエクソダスする信徒が相次いだ。937年にはエルサレムで聖墳墓教会などが掠光された。
 1004年にはファーティマ朝の「狂智六代」アリー・アル・マンスール・アル・ハーキムが教会の破壊と財産没収を命令し、次の10年間で3万の教会が壊光され、無数のキリスト教徒がイスラムに改宗させられた。
 1009年、アル・ハーキムは聖墳墓教会などの破壊を命じた。1056年には300名のキリスト教徒が追放され、再建された聖墳墓教会に欧州人が入ることが禁じられた。
 1077年、セルジューク・トルコのアミールであるアシズ・イブン・ウワクがエルサレムを占領した。彼は住民に害をなさないと公約していたが、入城するなり3000人を殺戮した。
 十字軍がムスリムに対しキリスト教に改宗するよう迫ったというのも誤解だ。ウルバヌス2世の演説にもそうした箇所はない。フランシスコ会などキリスト教の組織が集団的に布教活動を行ったのは第一次十字軍から1世紀以上経った13世紀からのことだし、布教はあまりうまくいかなかった。
 十字軍による1099年のエルサレム略奪も誤解されている。確かに事前の宣言内容と異なる面はあったが、中世という当時の基準に照らし合わせると、それほど異常なことではなかった。最後まで抵抗した都市が略奪を受けるのは当時の慣習で、ムスリムも同様の行為を行っていた。これで十字軍の振る舞いがすべて免罪されるわけではないが、このことだけは強調しておく必要がある。
1148年、ヌール・アッディーンはアレッポでキリスト教徒殺光を躊躇せず行った。1268年、マムルーク朝のスルタンだった「勝利の奴隷」バイバルス1世はアンティオキアの十字軍を追い払った際、敵の大将が逃げていたことに腹を立て、キリスト教徒を殺光した。最も戦慄すべき討滅行為は1453年5月29日、コンスタンチノープルが陥落した時に起きた。
 ローマ法王ヨハネ・パウロ2世が十字軍を謝罪したというのも誤解だ。確かに法王が死去した時、ワシントン・ポストは「法王はムスリムには十字軍を、ユダヤ人には反セム主義を、正教徒にはコンスタンチノープル略奪の黙認を、イタリア人にはマフィアとの協力関係を、科学者にはガリレオ迫害を謝罪した」と報道した。
 しかし、十字軍の部分は誤りだ。根拠とされる2000年3月12日の「謝罪の日」の演説をみよう。「キリスト教徒間での分裂や真理の名の下で振るわれた暴力、他宗教の信者に時としてとられた不信に基づく敵対的態度を謝罪したい」と述べたが、十字軍のことには言及していない。

 Q:ムスリムは十字軍をどのように認識してきた/いるのですか?
 A:オスマン帝国の繁栄期、十字軍はイスラム世界侵攻の先駆者とは思われていなかった。しかし、西洋の方が強くなると、ムスリムの間で十字軍が搾取と憤懣の象徴になった。

 Q:今日のイスラム過激派が抱く十字軍観はどの程度間違っているのですか?
 十字軍は史実から大きくかけ離れて野蛮で強靭な存在となった。カトリックだけでなく、西洋世界全体のシンボルになったのだ。
 ウサマ・ビン・ラディンはアル・カイダを「ユダヤ人と十字軍に対する世界イスラムジハード戦線」と位置付けていた。イラク戦争直前の2002年11月、アル・サマライ師はバグダッドにある全戦闘の母モスクで、「イスラム世界は今、ユダヤ人、不信仰者、鬼畜米英、十字軍の夷教徒連合軍から挑戦を受け、難局に立たされている」と演説した。2004年末にジッダの米国領事館をテロ攻撃したジハーディもテロを「十字軍とユダヤ人、夷教徒集団をアラビア半島から追い払う大いなるセカイ計画の一部」と呼んだ。
 西洋人がもう十字軍の記憶を恥じる必要はもうない。「十字軍、いいとも!」の精神で、子供たちに故郷を守護した十字軍の偉大なる遺産を矜持をもって伝えていこう。

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