【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(11/30)_学究達=445

2023-04-30 05:30:24 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月30日<ⰧⰊⰧ
◆ パチンコ屋のテーマが初演奏される(1900年= 神戸の観艦式=)。  ◆ 昨日、エヴァ・アンナ・パウラ・ブラウンと結婚したアドルフ・ヒトラーが夫婦揃って心中。結婚した二人を労農赤軍がモスクワへ新婚旅行に招待させようとしたが、そうはさせじと遺言によって二人の遺体は徹底的にローストされた(1945年)。  ◆ ポケットに入るサイズのラジオをソニーが発売。ポケットに入らないと言う苦情に対しては、ポケットをラジオに合わせれば良いとした(1960年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(11) ◇◆ 第4回 バッタ博士、モーリタニアへ旅立つ =2/3= ◆◇

 では、実際に現地でみるライブなサバクトビバッタはどうだったろう。

「衝撃的でした。今まで見ていたサバクトビバッタとは一体何だったのかっていうくらい。考えてみたら、実験室の31℃一定に管理されている環境じゃないんです。温度にしても、昼間40℃以上にあがって夜は20℃に下がりますし、珍しく雨が降って日中でも35℃とかいう日もあります。その暑さ、風、いろいろな環境を感じて、適応した行動をするわけですよね。そういう素顔のバッタを見られたので、それだけでもう大収穫というか、驚きでした」

 前野さんが、サハラ砂漠での最初のフィールドで、いきなり衝撃に見舞われた様子は、著書『孤独なバッタが群れるとき』にも描かれている。実験室で飼育しているものではみられない行動を、あちこちで発見し、うわっうわっうわっとなりつつも、研究者魂を発揮し、調査初日の夜から、後に論文として結実する調査を開始する。

 例えば──、

 孤独相の野生のサバクトビバッタが、昼間はあちこちに散らばっているのに、夜、木に宿るのを見いだした。これまでにも、砂漠にはえている何種類かの草木をシェルター(避難所、安心して休める場所、といった意味)にするという報告はあったし、前野さんの目には、棘のある灌木に多くの個体がついているように見えた。そこで、前野さんは、彼らがどのようなシェルターを好むのかを調べようと思い立った。

 フィールドで疑問を感じたら、その場で、そく観察や実験開始! というのは、ファーブルの流儀である。ある昆虫やその行動に出会うのは1回限りかもしれない。それを逃さずに、きちんと観察するのは、フィールドワーカーの基本! なのだから。

「まるでファーブルみたい」と自分に興奮しつつ、夜22時から午前2時までかかって、ランダムに選んだ区画の中の木々や草に宿るバッタを調べて回った。結果、バッタが棘のある灌木を好み、それも、灌木の大きさによって、集合する度合いが違うことがはっきり示された。大きな宿り木の方が好まれるのである。さらに後日別の場所でも同じ傾向があることも確認し、論文執筆に踏み切った。

 1日目にその場で疑問に思ったことを(前野さんに言わせれば「疑問の現地調達」)、その場で研究計画を立て、きちんと分析し、論文にする。フィールドの生物学者としてデビューした当日にここまでの成果を出すのだから、ファーブルの後継者を目指す者として、相当気合いが入っていたといえる。

 さらに調査は続く。

「自分の本には、調査の1日目のことしか書かなかったんですが、あの時の調査旅行には続きがありました。次の日は孤独相のエリアからうって変わって、群生相の幼虫のマーチング・バンド、非常に大量のバッタに遭遇したんです。植物の上で休んでいる彼らに向かって接近すると、バッタがその植物の中に逃げ込むパターンと、その植物を見切って外に脱出して、跳ねて逃げていくパターンがあることに気づきました。

 何回か突撃を繰り返しているうちに、植物が大きいと安心して留まるけれど、シェルターがしょぼいとすぐに見限って逃げる傾向がみえてきました。その日帰る予定だったんですけども、ここに残ってデータとりたいから、ちょっと待ってくれと研究所のスタッフに言って、そこで4日留まって、毎日データとって、これも論文になりました」

 論文のタイトルは「サバクトビバッタ群生相幼虫の、植物のサイズに依存的な逃避行動」といったもので、昆虫の行動学の専門誌に発表された。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・・・・

…… 参考資料: バッタに人生を捧げます!!  ……

天災レベルに大発生する害虫を愛する男が行き着いた"ある場所"

史上最大の現場”=2= / 希望という名の雨が降る 1/2

謎、いわゆる「研究テーマ」は、あらかじめ準備することもあるが、その場のバッタの状況を見てから決めることが多い。一般的には、研究資金を獲得するために申請した研究計画書通りの内容に沿って研究を進めることが多いだろう。私はあえて反抗的な態度をしているのではなく、野生動物が研究相手だと状況の予測が難しく、計画通りにいかないことがあるから、あえて自由なスタイルをとっている

計画に束縛されると、条件が適した場所に辿り着けなければ何も成果を出せない。それどころか、計画外の好条件に気づかずスルーするハメにもなる。計画が足かせとなってしまっては元も子もない。状況が読めない相手には、ノープラン戦法で挑んだほうが柔軟に対応できるので成果は出やすい。そのかわり、どんな状況にも対応できるように予備知識や経験が求められる。私の場合、サバクトビバッタだったら、卵、幼虫、成虫とすべてのシーンについて研究してきたため、野外で出くわすどんな状況にも対応できる。同時に、「相変異の謎を解く」という私自身の強いこだわりを忘れない。

実際に謎を暴くための実験や観察をするには、武器が必要となる。砂漠では電気は当然のこと、実験室も、インターネットも、図書館も先生もいない。頼れるものは己の力のみ。調べものをしに街に帰っている間に状況はすぐに変わってしまう。謎は待ってはくれない。閉じた瞳をゆっくり開き、拳を握りしめ、知力、体力、気力を武器にして謎に立ち向かう。砂漠が研究者としての実力テストの会場と化す。ごまかしはきかない。研究者としての真価が問われる。

私は日本にいたとき、特別な実験装置や薬品などに頼らぬ100年前とほとんど変わらないスタイルで研究をしてきた。それは室内での経験だったが、モノに頼らないローテクで鍛えられた研究スタイルは、モノが制限された砂漠でも威力を発揮した。

「ペンとノートだけを持って、サハラ砂漠でサバクトビバッタを研究せよ」という課題が出たときのみ、私は世界トップレベルの得点をたたき出す自信がある。サハラ砂漠という舞台でバッタ研究をしているとき、自分の力が最も輝きを放つ。日常生活からかけ離れ、限定されすぎた条件だが、世界一になれるチャンスが自分に1つでもあったから、それに人生を賭けたくなった。

ポスドクとしてアフリカに渡ったばかりのとき。モーリタニア国立サバクトビバッタ研究所の職員たちからは「日本人になんかサバクトビバッタのことわかるわけねーよ」とバカにされていた。決めつけを払拭するためにも何かインパクトのあることをかましたかった。「前野はなんだか今までの研究者と違って本気でバッタ問題を解決しかねないぞ」と印象づけておけば、この先、彼らを黙らせ、とんとん拍子でことが進むと考えていた。野外調査初心者のため勝手がわかっていなかったが、最初の調査で新発見をかまして度胆を抜いてやろうと企てた。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡

https://youtu.be/rx4_vv1Atbo  == Locust Invasion - Go Wild ==

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(10/30)_学究達=444

2023-04-29 05:30:56 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月29日<ⰧⰊⰧ
◆ ライト兄弟の初飛行に先立ち、二宮忠八が烏型飛行器(プロペラ式模型飛行機)が飛行に成功(1891年)。以降、金なくスポンサー無きままに開発断念・・・・・。   ◆ おめでとう!五目並べはオセロに進化した(1973年)!!   ◆ シンボリルドルフが天皇賞で優勝を飾って五冠馬となり、「第2のシンザン」と呼ばれることに(1985年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

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“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(10) ◇◆ 第4回 バッタ博士、モーリタニアへ旅立つ =1/3= ◆◇

日本の研究室でサバクトビバッタと運命的な出会いを果たした前野ウルド浩太郎さんは、野生のサバクトビバッタがいるモーリタニアのサバクトビバッタ研究所を拠点に選んだ。その背景には、それまで前野さんが「実験室」でのみサバクトビバッタを見てきたことに、少々、違和感を覚え始めたことにある。

「実は博士課程に入った頃から、このまま研究していってもはたしていいものかどうか、恥ずかしさとか後ろめたさを感じはじめていまして。よくよく考えたら、サバクトビバッタは現地でものすごい大発生をして、深刻な被害を及ぼしているわけじゃないですか。とするなら、野生のサバクトビバッタが何をしているのかを知ることが、結局自分の最終目的じゃないかと。相変異のメカニズムを知るとか、これまでのテーマをやっていく上でも本当の自然を知らなければ、間違ったところにたどり着いてしまうんじゃないか、そういう不安やフラストレーションがありました。それで、現地に行って研究して、なおかつ、アフリカのバッタ問題の解決に貢献できたらいいな、できるんじゃないかなって、最初は軽い気持ちです」

 軽い気持ちと本人は言うが、環境が整えられた日本の研究室から、えいやっと日本人がほとんど住んでいない砂漠の国へと旅立つのは、それなりの決意がいる。ポスドク(博士研究員)を支援する日本学術振興会の海外特別研究員という制度で、生活費と研究費はまかなえるものの、それも2年の期限付き。キャリアとして考えれば、賭け、ということになるだろう。

 幸運だったのは、モーリタニア側の受け入れが、かなりしっかりしていたことだ。研究所内にあるゲストハウスを居室兼研究室として使えたし、なにより、研究所長のババ博士が日本からやってきた研究者を非常に歓迎してくれた。ババ所長には、ぼくも滞在中、3回ほどお会いしたが、バッタ防除についての責任を担って多忙であるにもかかわらず、常に笑顔で人を包み込む人格者だ。研究所で雇用する現地の職員の人望も厚い所長みずからが、前野さんの研究を大歓迎し、フルサポートしてくれた。

「ババ所長はいつもてんてこ舞いで、くたびれていてもバッタと闘うための準備を一生懸命やっているんです。それなのに、私のこともいろいろ励ましてくれるんですよ。日本のバッタ研究者がアフリカの現地に来て、腰を据えて研究をするのは初めてだそうです。それどころか、『見てみろ、浩太郎、今、先進国から誰も研究者が来てないぞ、おまえだけだぞ』って。アフリカの人たちは浩太郎の研究面での活躍に期待しているんだとまで言ってもらえたんです」

 実際に、「先進国」のサバクトビバッタの研究者で、アフリカの現地を拠点にしているのは、前野さんだけなのだそうだ。ただでさえ研究設備が整わず不便な土地だ。それに加えて、旧宗主国であるフランスをはじめヨーロッパ系の研究者はテロの対象になりやすい(ぼくの訪問時、フランス大使館はフランス人が首都のヌアクショットから出ないように勧告していた)などの、様々な要因もある。一方、アフリカ現地の研究者は、外国の大学で学位を取って研究のノウハウを身につけても、母国ではすぐに人の上に立って指揮をする立場になってしまう。前野さんは、ぽっかり空いた昆虫学のエアポケットに吸い込まれ、唯一無二の研究者として、砂漠の国に降り立ったのだった。

 では、実際に現地でみるライブなサバクトビバッタはどうだったろう。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・・・・

…… 参考資料: バッタに人生を捧げます!!  ……

天災レベルに大発生する害虫を愛する男が行き着いた"ある場所"

バッタ博士の決意

バッタの大発生は天災に間違いない。だが、「災い転じて福となす」という言葉があるようにバッタの大発生の良いところを見つけ、それをうまく利用することができれば哀しみが喜びに変わるのではないだろうか。今は構想の段階なので披露するわけにはいかないが、これが実現するとき、歓喜の輪がアフリカを包むかもしれない。

私は、もう昔の前野浩太郎ではない。前野ウルド浩太郎として生まれ変わり、フィールドという新天地に闘いの舞台を移した。

だが、実験室だろうが、フィールドだろうが、どこで、どんな分野を研究することになろうとも自分の知りたいと思った謎に挑むことになんら変わりはない。知りたいことをみずからの力で知ることができる昆虫学者になる道は険しく、追い求める理想像は遥か彼方だ。

だが、そんな難しいことはさておき、目先のバッタに捕らわれてしまえばいい。バッタとファーブルに思いを寄せて、この夢のような日々を続けるために、暴れさせてもらう。

史上最大の現場” / 悔しさが探求心を刺激する

サバクトビバッタの野外調査で一番大変なのは、胸の高鳴りを抑えることだ。今日のバッタは何色だろう、大群に襲われて着衣が食べられて丸裸にされたらキャッ恥ずかしいとかいらない妄想をしながら、相棒のティジャニが運転する車で砂丘を乗り越え、彼らの住処・サハラ砂漠に突撃する。先発隊からもらった位置情報めがけ、GPSを手掛かりに数百kmかけてのダイブ。万が一の命綱は、地球上のどこからでも繋がる10万円の衛星電話と無線。戦闘コマンドは「命大事にしつつも果敢に攻めろ!」。

バッタたちを発見したら、おもむろに密着しはじめる。野宿しながらバッタとの5日間の同棲生活。寝ても覚めてもバッタをうっとりと凝視する。夜もヘッドランプ片手に寝込みを襲う。

「こんな暑いところで大変ですね。草も食べなきゃいけないし、天敵の鳥からも隠れなきゃいけない。おまけに脱皮もしないといけないし」

生態を明らかにするためには、目の前のバッタをただ漠然と観察するのではなく、自分もバッタになりきって彼らが直面している問題に気づくことが重要だ。

「灼熱の大地でいかなる手段をもちいて生き延びようか」「この広大な砂漠で、はたして交尾相手は見つかるか」など、砂漠という過酷な土地で生きている者が抱える特有の問題がみえてくる。砂漠でうごめくバッタたちを一日中見ていると、いくつもの不可解な行動に気づく。バッタ博士を名乗っているくせに、いかに彼らのことを知らないか痛感させられる。だが、その悔しさが知的探求心を刺激する。

バッタはどんな工夫をして問題を解決しているのだろうか。「相変異」は過酷な環境で生き延びるために自らを進化させた彼らの最大の工夫と言っていいだろう。サバクトビバッタならではの工夫を知ることが何よりの喜びである。「なぜ、どうして、どうやって」としつこくバッタと自分を尋問する。知りたくて知りたくてどうしても知りたくて、身悶えしてしまうものが、その日挑む謎となる。すなわち、研究対象となる目先の謎は、現地調達している。野外調査が成功するかどうかは、「無計画」がカギを握っている。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・

⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡

https://youtu.be/dt6zCJ2VHok  == These Swarming Locusts Are Grasshoppers Gone Wrong ==

https://youtu.be/uzi9o-3C1B8

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(09/30)_学究達=443

2023-04-28 05:30:49 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月28日<ⰧⰊⰧ
◆ 有名人が産まれる特異日。この日産まれたのには秀吉を苦しめた朝鮮人・孤独好きなアメリカ大統領・ポルトガルを長らく統治した経済学者・女の絵で有名な二科会のドン・神を証明しようとした不完全性定理で有名な数学者・名簿でユダヤ人を救おうとした方・イラクの血生臭いヒゲの親父・平和の船でワイワイやろうと言い出した張本人等々・・・・・  ◆ スイスへ逃亡中のベニート・ムッソリーニがパルチザンからリア充ぶりを指弾され、爆発させられる。(1945年)  ◆ ダグラス・マッカーサーが「僕は死にましぇん。ただ消え去るのみです。」と言い放ち、日本を去って美しい国に帰還(1952年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

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“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(09) ◇◆ 第3回 バッタ博士、サバクトビバッタと出会う =3/3= ◆◇

「バッタの体の表面をマニキュアでコーティングして他のバッタが直接ぶつからないようにしてみたり、目を黒く塗って視覚を遮ってみたり、いろいろやりました……その結果、ぶつかり合い、つまり他個体とぶつかるのが一番重要だと分かりました。それも触角でぶつかり合いを感じていました。さらに厳密に、感受期っていうんですけど、いつ、どれくらいの長さで混み合いを感じると卵を変化させるのかも特定出来ました。 卵を産む、前後の2日間、つまり、計4日なんです。卵のサイズをS、M、Lサイズとすると、その4日間フルで混み合うとLサイズ、2日間だけだとMサイズ、一切混み合わないとSサイズっていうふうに」

 さらに詳しく伺うと、サバクトビバッタの卵を製造する卵巣小管という器官では、産卵目前のもの、次回産卵分、次々回産卵分などの卵が、成長するソーセージのように連結しており、そのうち一番成長して産卵を目前にしたものはもう混み合いの影響を受けない、そうだ。次回のものが感受期であり、この時期に4日間の混み合いを経験すると、卵サイズがLになる、という。産卵直前にはもう卵は「完成」しているのだろうから、それ以前に感受期があるというのは、理に適っている。ちょっとヤヤコシイが。

 そして、その探究の中での、前野さんがたどりついた仮説とは──

「メス成虫の体内で卵の大きさを決める特殊なホルモンが出ていて、それに反応してその後卵を大きくするか、小さくするかを決めているという仮説までは、今たどり着いています」とのことである。

 このあたり、興味深いが、細かく語りはじめるときりがない。また、前野さんの書籍の内容と被る部分も多いのでこのくらいで。

あえてまとめるなら、サバクトビバッタが、環境(混み合い)に応じて、卵の大きさを切り替えることができ、それが特殊なホルモンによるものだ、という仮説が、前野さんの「実験室」での到達点だ。とするなら、そこからホルモンの特定に進みたいのがスジだと思うのだが、どうだろう。

「もちろん、どういったホルモンで制御されているかまとめるところまでは自分でやりたいと思っています。でも、ちょうどそこで自分が田中先生の研究室を出て行く時期になってしまいまして。そういった仕事はまた将来、自分でラボを持ったときに厳密にやっていきたいと思っています。自分が発見した現象なので特に思い入れが強いですから」

 そして、師の元を離れた博士研究員として前野さんが選んだのが、日本の研究室で飼育されているものではなく、野生のサバクトビバッタが実際にいるモーリタニアだったのである。

次回は“第4回 バッタ博士、モーリタニアへ旅立つに続く・・・・・

…… 参考資料: バッタに人生を捧げます!!  ……

天災レベルに大発生する害虫を愛する男が行き着いた"ある場所"

好きな人のことは何でも知りたい乙女の心境と同じ

実際の彼らの生態を知らずして研究の進展は望めないというのになぜ誰もやらないのか不思議だ。

そして、こういった地味な仕事こそ、自分がやるべき仕事の一つとして捉えている。好きな人のことは何でも知りたい乙女の心境と同じで、私はサバクトビバッタのどんな些細なことでも知りたい。

現実問題としてモーリタニアでの生活は3日に1度は停電する無計画停電が行われたり、シャンプーしている最中や米を研いでいるときにまさかのタイミングで断水することが多々ある。しかし、便利な生活と新発見のどちらをとるかという質問は私にとって愚問だ。

サバクトビバッタの野外生態は手つかずのままになっているのでシンプルな観察でもすぐに何かを発見できる可能性が大きい。現に、1週間にも満たないフィールド調査で生態学に関する論文が出るのだ。これは私が優秀な研究者というわけではなく、若造の浅知恵ですら新発見ができたと見るのが正しい。

重要なのにフィールドワークが進まない2つの理由

こんなおいしい穴場があるというのに現在、アフリカでフィールドワークをしているのは私たちだけである。なぜ誰も手をつけようとしないのか?

フィールドワークが行われていない背景には2つほど問題がある。

1つは、治安の問題。白人はテロリストたちのターゲットになっているためフィールドで腰を据えて研究するのは難しいそうだ。白人が研究できないのなら現地の人が研究すればいいではないかと思われるだろう。そうなのだが、2つ目の問題としてアフリカ出身の研究者がバッタ研究に没頭できない事情があることをFAOのバッタ研究チームに属するレミン博士に教えてもらった。

「研究者を志す人たちは、ほとんどが外国に学位を取得しに行くのだが、一人前になって自国に戻ってくるとすぐに偉くなってしまい事務的な作業や運営に忙殺されて研究がほとんどできなくなってしまう」とのこと。

現在も毎年1人ずつアフリカでバッタ研究をする博士の人材育成にFAOは取り組んでいるが、彼らがまた偉くなってしまう可能性は高いだろう。白人も現地の人もフィールドワークができないとしたら、いったい誰ができるというのか? 誰がこの現状を打開するというのだろうか? 今、1人の男がアフリカに渡り、歴史が変わろうとしている。

バッタ被害を食い止めるのが使命ではあるが…

最後にこんなことを言うと怒られそうだけど、研究成果でサバクトビバッタを撲滅する気は毛頭ない。私はサバクトビバッタの数が増えすぎないようにコントロールすることができればと考えている。

日本が世界に誇る昆虫学者である桐谷圭治先生が提唱した「害虫も数を減らせば、ただの虫」という考えに賛成である。愛する者の暴走を止めることができれば彼らが必要以上に人々に恨まれずにすむ。

万が一、彼らを全滅させる手段を見つけてしまっても、きっと今の自分のままだと誰にも言わずに墓の中までもっていくと思う。もしかしたら、先人の中にもバッタの弱点を見つけたけど口外しない研究者がいたのではないだろうか。研究者を魅了してしまうのがバッタの最大の生存戦略なのかもしれない。

・・・・・・・・明日に続く

⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡

https://youtu.be/VtEA98wueC8  == Locusts | Return of the Plagues ==

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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=今日の足跡が記録帖 & 幕間の狂言_◎ 04月27日(木曜日)=

2023-04-27 05:30:20 | 冒険記譜・挑戦者達

★忘備忘却録/きょうの過去帳・

◆ 「よ(4)いつ(2)な(7)」ということでロープデーだが、「し(4)に(2)な(7))」とも読めることから暗に首吊り自殺を薦めているのかも??

◆ 金大中が朴正熙をあと一歩のとこまで追い詰めるが敗北(1971年)、恐れを為した朴は側近を使って2年後に仕返しする。

◆ 4年前まで塀の中で臭い飯を食っていた黒人の爺さんが、長らく白人が我が物顔で支配していたアフリカ某国の支配者となる(1994年)。

 ᙡᙢᙡ 幕間の迷言・狂言・毒舌 =  『風物死』  = ᙡᙢᙡ

『風物死』(ふうぶつし)とは、日本において、毎年必ず特定の季節や時期に発生する「死」の総称である。死亡事故や殺人事件など、その死因は様々であり、死者数の規模もまた様々であるが、マスメディアによって広く日本全国に報道されることにより、人々に季節の到来や節目(季節感)を感じさせる役割を持っている。

このような現象は、四季のはっきりしている日本特有のものであることから、しばしば「日本の風物死」という慣用表現も用いられる。

言うなれば、ある季節特有の現象、文化、味覚、生物、物売りなどであり、その季節をより意識に特徴づけることができる、物・事柄のことである。

風物詩の範囲は幅広く、俳句の季語として限定されたものと違って、日本の季節を現代人の心に訴えかけているものを指す。また全国的なものから、祭事などの狭い地域のものまであり、季節の到来・節目を表現するときに使われることが多い。

以下にニュースや天気予報、新聞などに登場する、全国的な風物詩を蛇足ながらも例示する。

春 ⇒年賀状 - お年玉 - 門松 - 初詣 - 書き初め - 箱根駅伝- ニューイヤーコンサー節分 - 春の七草 

夏 ⇒梅雨 - 入道雲 - 逃げ水 - 夕立 - スコール - 雷雨 - 日射病 - 汗 - 炎天 - 春霞 -避暑 - 打ち水 - 団扇 - 扇子 - エアコン - 簾 - 風鈴 - 夕涼み - 高原 - 水遊び - プール - 海開き - 海水浴 - 海の家 - スイカ割り

秋 ⇒秋雨 - 台風 - 初霜 - 初冠雪 - 鰯雲 - 小春日和 - 木枯らし - 運動会(体育祭) - 文化祭(学芸会) - 読書週間 - 秋彼岸 - 稲刈り - 月見 - 十五夜 - 月見団子 - 月見酒 - ぼっち (落花生)

冬⇒雪 - 霜柱 - つらら - スキー - アイススケート - クリスマスツリー - 焚き火 - イルミネーション - 麦踏み - 雪虫 - ストーブ列車 - ササラ電車 - 寒中水泳 - クリスマス - 大掃除 - 全国高校駅伝

◒ ◓ ◒  ◒ ◓ ◒

Today’s B.G.M, = So What /

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(08/30)_学究達=442

2023-04-26 05:30:15 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月26日<ⰧⰊⰧ
◆ パブロ・ピカソ『ゲルニカ』のモチーフをナチスが手掛ける(1937年)。 ◆ 国鉄の労働組合が私鉄・バス・タクシーを巻き込んでストを打つ(1966年=戦後最大の交通ゼネラル・ストライキ)。この時の威力に慢心したのか8年後に同じ手を使ったがブーイングを浴びる破目に。 ◆ ウクライナはキエフの近所にある原子力発電所が火事になり、全世界が放射能による迷惑を被るばかりか大量の放射脳を発生させる結果に(1986年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(08) ◇◆ 第3回 バッタ博士、サバクトビバッタと出会う =2/3= ◆◇

 そのかいあってか、前野さんの農業生物資源研究所時代は、学問的な意味で非常に生産的だった。師である田中博士とともに出した論文、それもファーストオーサーとしてのものが17報、セカンド、サードのものも合わせると22報を数える。すべてを網羅するわけにもいかないので、ご本人のセレクションで「お気に入り」という2報について述べてもらった。

「まず、サバクトビバッタの孤独相と群生相のメス成虫では、産む卵の大きさと数が違うことがすでに知られていました。孤独相は小さい卵をたくさん産み、群生相は数が少ないけれど、大きい卵を産む。で、その大きさの異なる卵からは、色の違う孵化幼虫が出てきます。孤独相の小さな卵からは緑色の、群生相の大きな卵からは黒い色の幼虫が。そこでちょっとした実験を思いつきまして──」

 この話を伺った時点で、ぼくはすでに前野さんから、野生の初齢幼虫、それも群生相と孤独相の両方を見せてもらっていた。本当に体色だけで見るならまったく違うバッタかと思うほどの違いだった。その背景には、母親の体内で卵ができる時にすでに「卵の大きさ」として決定されている要因があるのだという。

「群生相のメス成虫が産んだ大きい卵を無理やり小さくしたらどうなるかと、実際にやってみたんです。卵に穴を開けて卵黄を吸い出して小さくしたら、群生相の黒ではなく、孤独相の緑色の幼虫が孵化してきました。これ、生物学的にもサバクトビバッタの研究の歴史の中でも結構面白い発見だと思ってます。でも、昆虫の卵に穴あけたりするのは、やっちゃいけないっていうか、もう卵を殺すために穴あけるようなものだと思われていて、若さゆえのチャレンジ精神というか、ノリでやってみたらうまくいった、と」

 そして、もうひとつ。これは、先の研究と、今のモーリタニアでの研究を直接つなげる内容でもある。

「孤独相で小さい卵を産むメスを実験で使った後で、1つのケージにまとめておいて、そのうち解剖しようと何となく飼育していたんです。そうしたら、そいつらが今度大きい卵を産み始めたんですよ。これまで1匹ずつでいたのに、急に混み合うことによって、すぐ卵のサイズを変えて、群生相の大きい卵を産み始める現象に気づいたんです」

 ひとつめの「卵黄を抜き取って卵の大きさを小さくする」実験が、若さゆえの「ノリ」だったとしたら、こちらは、多くの実験、観察を同時進行し、多忙だったがゆえに偶然知り得たある意味で「努力の賜物」だ。

「これ、とても驚くべきことで、他の昆虫では混み合いに反応して卵のサイズを即座に変化させることは知られていなかったんです。田中先生もびっくりして、緻密な実験を計画して調べました」

 サバクトビバッタのメス成虫は4日間隔で卵を産む。砂の中に尻尾を差し込むようにして、一度に50から100個ほどまとめて産卵する。その後、腹の中で4日間、卵を大きくさせてまた産むという周期を繰り返す。では、いつ混み合いを感じると、卵の大きさが変わるのか。そもそも「混み合い」と言っても、ぶつかりあい、匂い、視覚など様々な要素のどれが効いているのか、解明すべきことはたくさんある。

「バッタの体の表面をマニキュアでコーティングして他のバッタが直接ぶつからないようにしてみたり、目を黒く塗って視覚を遮ってみたり、いろいろやりました……その結果、ぶつかり合い、つまり他個体とぶつかるのが一番重要だと分かりました。それも触角でぶつかり合いを感じていました。さらに厳密に、感受期っていうんですけど、いつ、どれくらいの長さで混み合いを感じると卵を変化させるのかも特定出来ました。卵を産む、前後の2日間、つまり、計4日なんです。卵のサイズをS、M、Lサイズとすると、その4日間フルで混み合うとLサイズ、2日間だけだとMサイズ、一切混み合わないとSサイズっていうふうに」

・・・・・・・・明日に続く・・・・・・・・

…… 参考資料: バッタに人生を捧げます!!  ……

天災レベルに大発生する害虫を愛する男が行き着いた"ある場所"

実験室では目にすることがなかったバッタの行動

実際に私はサバクトビバッタの生息地のサハラ砂漠で彼らと一緒に寝泊まりし、温度も湿度もほぼ一定の実験室との環境の違いの大きさに唖然とした。

サハラ砂漠では、昼は灼熱で夜は肌寒く、一日のうち30度近くも変動する。日中、あまりに暑すぎるときはさすがのサバクトビバッタたちも日陰に潜んでおとなしくしている。そして、明け方が一番冷え込むのだが、太陽が昇るとバッタたちは隠れていた植物から一斉に出てきて地面でひなたぼっこを始める。

太陽に体の側面を向けて効率よく体を温めていた。こんな行動は実験室では見たことがなかった。そして、風のなんと強いことか。普段でも突風が吹くことがしばしばあるのだが、フィールドワーク中に数回砂嵐に襲われたことがある。空の向こうから黒い塊が近寄ってくるなぁと呑気に見ていたら、暴風に乗って砂粒が容赦なくぶつかってきたので慌てて車の中に避難した。

フィールドでないと本当の意味はわからない

サバクトビバッタはその間、植物の陰に身を潜め植物にしがみついていなければ吹っ飛ばされてしまうだろう。吹っ飛ばされるだけならまだいい。彼らは常に天敵に食われる恐れがあるのだ。昼間は鳥たちが、夜になると地表を徘徊する天敵たちがうごめきだしてバッタたちに襲いかかるため捕食者たちにも細心の注意を払わなければならない。

サバクトビバッタは故郷から遠く離れた日本の実験室でも本能のままに行動するが、その行動の真意を知るためにはやはり彼らの本来の生息地で自然状態のまま観察しなければ答えは得られないのではないだろうか。本来のサバクトビバッタの習性を知らずに殺虫剤の撒き方だけを向上させようとしてもいつまで経ってもサバクトビバッタの大発生は阻止できないのではないだろうか?

正直、自分は今までフィールドよりも実験室での研究こそが一番重要だと信じていたので、自分がフィールドで生物と向き合う重要性を忘れていたことを心から恥じた。

「防除不可」皆が行きつく答えはいつも同じだが…

以前、モーリタニアで開催されたアフリカ・サバクトビバッタ首脳会談で知り合ったアルジェリアのバッタ研究所の長のモハメッド博士に話を伺ったところ、「サバクトビバッタの研究はほとんどが実験室内で行われているが、実験室の成果を野外のバッタにそのまま当てはめることは不可能だ。実験室と野外とではバッタの顔は全然違うので、リアルなバッタを野外で調査する以外バッタ問題を解決することはできない。もちろんアフリカの野外でもバッタは研究されているが、皆が行きつく答えはいつも同じだ。『防除は不可能だ……』と。ただし、それでも私たちは研究しなければならない」とのこと。

彼の発言はバッタ研究の歴史を変えるためには新たな試みをする必要があることを訴えていた。

今日得られているサバクトビバッタの野外生態に関する知見のほとんどは1960年代に対バッタ研究所によって行われた研究に基づくものであり、それ以降際立った進展はしていない。

それは、フィールドでサバクトビバッタが何をしているのかきちんと研究されていないからだ。サバクトビバッタが一日をどのようにすごしているのか? いつエサを食べているのか? それ以外は何をしてすごしているのか? などときわめて単純な疑問にすら私は答えることができない。ただじっくりと彼らを観察すれば良いだけで何も難しい技術はいらないはずなのに。

・・・・・・・・明日に続く

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https://youtu.be/VtEA98wueC8  == Locusts | Return of the Plagues ==

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(07/30)_学究達=441

2023-04-25 05:30:23 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月25日<ⰧⰊⰧ
◆ アフリカの付け根に運河が出来、アフリカが奴隷をかき集める寄港地から植民地として徹底的に搾取する対象へと変わる切っ掛けになる(1854年=スエズ運河が竣工)。   ◆ 現憲法施行下で第1回目の総選挙、日本社会党がチャンピオンになるけど全議席の1/3すら取れず以後の展開はお察し下さい(1947年)。   ◆ シンガーソングライターの尾崎豊が盗んだバイクで冥界へと走り去った(1992年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(07) ◇◆ 第3回 バッタ博士、サバクトビバッタと出会う =1/3= ◆◇

 目下、モーリタニアのサバクトビバッタ研究所で、ポスドク(博士研究員)として野生のサバクトビバッタの研究をしている前野さんは、そもそもどうやって、サバクトビバッタの研究に足を踏み入れたのか。

 前野さんは、いわゆる昆虫少年だった。ぼくの見立てでは、多くの少年が、一度は昆虫少年になるが、その後、興味を他のことに振り向ける。しかし一定の割合、「生涯昆虫少年」がいて、前野さんもその1人だ。

 前野さんのバッタについての強烈な思い出。

「最初にバッタに強烈にインパクトを覚えたのが、小学校のときに読んだ科学雑誌の記事ッス。バッタ見学ツアーが外国で組まれて、見学に来た外国人の女性が緑色の服を着ていたところ、バッタが群がってきて服を食べてしまったという内容で、もう強烈に頭の中に残りました」

 このエピソードはブログにも著作にも書かれていて、かなり有名かもしれない。

 さらに……前野さんが昆虫少年としての座右においていたというのが『ファーブル昆虫記』だ。

「将来はファーブル昆虫記を書いたファーブルのような昆虫学者になれたらいいなあというふうな思いを抱いていました。大学を受けるときに、自分は何をしたいのかと考えたら、それを思い出しまして。実家の秋田県から近い、青森県の弘前大学で昆虫学をやってらした安藤喜一先生のところへ行こう! と決めたんです」

 弘前大学で、前野さんが取り組んだのはイナゴを飼育繁殖させた上での脱皮についての研究だ。この時点で、前野さんの昆虫学における方向性にバッタ要素が加わったと言える(バッタとイナゴは違うのだが、ざっくりとした意味で)。ただし、安藤先生の退官と、前野さんの大学院進学の時期が重なったため、前野さんは進学先を外に求めなければならなかった。

 前野さんが修士課程から博士号を取得、さらにはその後のポスドク(博士研究員)の最初の3年間、合計8年間も腰を落ち着けることになったのは、つくば市にある独立行政法人農業生物資源研究所。研究所の田中誠二博士は弘前大学出身であり、なおかつ、トノサマバッタの研究をしていた。そして、近縁のサバクトビバッタも比較の対象として飼育していたため、前野さんに本格的に研究してみないかと声を掛けたのだった。このオファーを受けた瞬間、おそらくは生涯続くであろう、前野さんとサバクトビバッタの繋がりが始まった。

 日本で飼育されるサバクトビバッタは超要注意昆虫として扱われる。厳重な防疫の条件をクリアした上で、輸入害虫を管理するための二重扉の中でのみ飼育が許される。おまけに暑い地域のバッタだから、飼育温度は世界的に31℃と決まっているそうで、前野さんの研究は、夏でも冬でも、朝でも夜でも31℃、まさに常夏の飼育室での「格闘」となった。

 そのかいあってか、前野さんの農業生物資源研究所時代は、学問的な意味で非常に生産的だった。師である田中博士とともに出した論文、それもファーストオーサーとしてのものが17報、セカンド、サードのものも合わせると22報を数える。すべてを網羅するわけにもいかないので、ご本人のセレクションで「お気に入り」という2報について述べてもらった。

・・・・・・・・明日に続く・・・・・・・・

…… 参考資料: バッタに人生を捧げます!!  ……

天災レベルに大発生する害虫を愛する男が行き着いた"ある場所"

私はまだ自分自身でウルドの扱いに戸惑っており、自分でウルドを名乗ったことがなかったが、所長の中では「ウルド」はすでに確定している感じだった。「ウルド」を名乗るが良いと許しを得たのはいいが、親からもらった名前を勝手に変えるわけにはいかない。両親に相談したら、「お~、名前もモーリタニア風に変えるのはグッドアイデアでしょ!」と快諾されていた。どこまでもノリが良い両親だった。

出席者の自己紹介では会場がざわついた

会議はすべてフランス語だった。モーリタニアはフランスの植民地だったので、フランス語が主流となっている。

私もモーリタニアに渡航する直前に隣の研究室のフランス人のリシャー博士に付け焼刃でフランス語を教わっていた。「ケスクセ(これは何ですか?)」はとりあえずマスターしたのだが、質問した人がせっかく説明してくれてもその内容が理解できないことに気づいたのは渡航後だった。

会議が始まると20人近くの出席者が全員自己紹介をすることに。各国の長がテンポよく自己紹介していく。自分も腹をくくり、「日本人のコータロー・ウルド・マエノです。研究者やってます」と、よそゆきのフランス語で自己紹介したら、会場がざわついた。すぐに所長さんが補足説明してくれたら、会場が大笑いしていた。きっとウルドの件についてだろう。

その後、各々のプロフィールを回し書きする一枚の紙が回ってきたので、初めて「Koutaro Ould Maeno」と記入し、隣に座るババ所長に渡すと、それに気づいた瞬間、ハッとこちらに振り向き「コータロー……」と、ボソッとつぶやき、満面の笑みを浮かべてうなずいてきた。私も所長を見つめ、無言でうなずき返した。

「これからもずっとアフリカで」ついに論文名まで…

研究者が名前を途中で変えると論文検索するときに支障をきたすと聞いたことがあった。しかし、これからもずっとアフリカでサバクトビバッタの研究をしていく気満々だったので、とりあえず「形」から自分もアフリカ仕様になるべきだと考え、論文に使う名前を改名することにした。

「この外国人かぶれが!」と怒りを覚える人がいるかもしれないが、その昔、日本でも戦国武将たちはしばしば名前を変えていたではないか。「ウルド」には、これからサムライとして世界で闘っていく日本人としての誇りも込めていた。

現地の研究者たちにフランスのシリル博士、さらに以前アフリカのケニアにある昆虫学に関する国際的な研究機関の国際昆虫生理生態学センター(International Centre of Insect Physiology and Ecology:ICIPE)でサバクトビバッタを研究されていた中村達先生(国際農林水産業研究センター:JIRCAS)に助言を仰ぎ、初のフィールドワークでの結果を論文発表できるか挑戦したところ、最初に投稿した雑誌からは不受理の連絡をもらったが、二つ目の雑誌で無事に受理された(Maeno et al., 2012)。

自分の信じてきたローテクの研究スタイルがサハラ砂漠でも通用したことに手ごたえを感じ、このときばかりは熱い涙が頬をつたった。そして、この世にウルドを名乗る新しい研究者が生まれた瞬間だった。

・・・・・・・・明日に続く

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https://youtu.be/xeHukQ6Ux1k  == Fighting a locust plague amid Covid-19 in east Africa ==

https://youtu.be/uzi9o-3C1B8

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(06/30)_学究達=440

2023-04-24 05:30:06 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月24日<ⰧⰊⰧ

◆ 桜木町駅近くで人間の国電焼き106人前一丁上がりとなる(1951年=国鉄桜木町電車火災事故発生)。なお22年経った同じ日にこの一件で恨み骨髄な連中が、国鉄の労使紛争に絡んで報復(首都圏国電暴動)に走った。 ◆ ジミー・カーターが支持回復へとイランにデルタフォースを投入するが、慣れない作戦が裏目に出て自滅する(1979年)。 ◆ アメリカでスペースシャトル「ディスカバリー」打上げ。軌道上でハッブル宇宙望遠鏡を放出(1990年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(06) ◇◆ 第2回 サバクトビバッタとは何者か =3/3= ◆◇

   周囲を探索するうちに、さらに小さな生まれたての初齢幼虫を見る機会もあった。

「これ、そうですよ。群生相のものと、孤独相のもの、両方いますね。黒いのが群生相で、緑のものが孤独相です。群生相は、初齢と二齢の時に、体が黒いんですよね。三齢からは、さっき見たような色になります」

 幼虫は孵化した時から、いや、卵として雌成虫の体内で成長している段階から、孤独相になるか群生相になるか運命づけられている。その条件が何かというのは、前野さんがモーリタニアにくる前から、実験室で取り組んできた大きなテーマだ。ぼくがフィールドにいた時期には、群生相の幼虫が大量出現しつつも、孤独相のものもパラパラとみられる状況だった。

 そして、とうとう、地面近くを羽ばたき、飛翔するものの姿を見つけたのは、初日の夕方のことだった。ぼくが走り回って、なんとか捕まえてくると、「ああ、成虫ッスね」と前野さんはこともなげに言った。

 前野さんは、ぼくからそいつを受け取ると、翅をこちらにむけてぼくのカメラの前に差しだした。

「古代ヘブライ人は、この翅の模様を見て、ヘブライ語で『神の罰』と書いてあると思ったそうッス。バッタを意味するLocust(ローカスト)という言葉の語源も、『焼け野原』という意味だったそうです。こいつが来た後は何も残らない。天災だ、と」

 成虫が飛んで長距離移動するのは、「マイグレーション」という。地面をマーチングしているのではなく、飛翔して「渡り」をする。(鳥などの場合「マイグレーション=渡り」は、行って帰ってくる行動をさすが、昆虫の場合は一方向への長距離移動というニュアンスが強いそうだ。念のため)。そして、成虫が群れをなして飛ぶ状態のことは「スウォーム」だ。さいわい、ぼくは「スウォームのマイグレーション」を見ることはなかったが、サブサハラや中東の国々は、常にその脅威に怯えなければならないのだ。

 日本のトノサマバッタと近縁で、トノサマバッタ同様、群生相となると人々に大きな被害をもたらす。そのような点で、我々と近しいところもあるサバクトビバッタだが、やはりその野生のフィールドはアフリカや中東の砂漠であり、日本の環境とはまったく違う。距離的にも非常に遠い。前野さんの存在で、一気に、この昆虫の存在と脅威が、我々の目の前にくっきりと現れたのである。

・・・・次回は“ 第3回 バッタ博士、サバクトビバッタと出会う ”に続く・・・・

…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (6/6) ……

私生活

肥満児で体育座りさえできないほどに腹が出ていた幼少期を過ごすが、前野の実家の近くで従妹が剛柔流修武館空手道場を開いていたことから、前野も小学校6年間をそこで鍛えた。動きが緩慢だったことから、「初段(補)」の段位に止まり、卒業と同時に鍛錬も諦めてしまった[31]。高校時代には部活動でソフトテニスに明け暮れ、15キロの体重減量に成功するも補欠止まりであった。挫折するとすぐに別の道を探し始める性格で、他者よりも努力しようとしない人生の連続であった。しかし昆虫の研究だけは負けたくない、との強い意志と覚悟を持ち続けた。

モーリタニア単身滞在中は、秋田に住む両親とSkypeで2週間に1回会話して精神の安定を保っていた。その結果、渡航以前よりも秋田弁が強化されたという。

弟・拓郎はグラフィックデザイナーであり、2012年出版『孤独なバッタが群れるとき サバクトビバッタの相変異と大発生』ではバッタの部位解説イラストを弟が手掛けたほか、2013年のニコニコ学会βシンポジウム登壇に際し、弟からプレゼンテーション資料の作成協力を得た。また、2013年6月から始まった『プレジデント誌』のバナー画像や、『バッタを倒しにアフリカへ』を記念した光文社公式Tシャツのデザインも弟が担当している。

・・・・・以下、彼の道程を綴ろう・・・・・

バッタに人生を捧げます…天災レベルに大発生する害虫を愛する男が行き着いた"ある場所"

暴走を止めるはずの研究者が「撲滅する気は毛頭ない」と断言する理由=

生粋の秋田県民が「ウルド」と名乗る理由

まず初めに疑問に思われたのが、本稿の内容よりも著者の氏名の間にある「ウルド」だろう。

どこの国の人かと思われただろうが、私は生粋の秋田県民だ。この「ウルド(Ould)」はモーリタニアで最高敬意のミドルネームで「~の子孫」という意味がある。

モーリタニアに渡ってからは毎日のように所長室に遊びに行き、ババ所長と研究の話や文化の話を楽しんでいた。

たとえば、モーリタニアの人たちは右手を使って手づかみでご飯を食べ、大皿を皆でつっつくのが習慣だ。「いいか、コータロー。誰かと一緒にご飯を食べるときのコツを伝授してしんぜよう。とりあえずそいつにいっぱい質問するんだ。そいつが答えているうちにいっきに食べてしまうのだ。もし、そいつに質問されても『知らない』や『わからない』とだけ答えてしまえばよい」や、「モーリタニアの人たちは心が優しいからご飯をわざとこぼすんだ。こうするとアリたちが大喜びするだろう」などと思わず微笑んでしまう小ネタを教えてもらっていた。

両親は反対するかと思ったが…

とある日、いつものように所長と話をしていると「コータローはよく先進国からモーリタニアに来たもんだ」と言われた。

「私はサバクトビバッタ研究に人生を捧げると決めました。私がアフリカに来たのはきわめて自然なのです」と伝えるとババ所長はがっつりと両手で握手してきて、「よく言った! オマエはモーリタニアンサムライだ! 今日からオマエは、コータロー・ウルド・マエノを名乗るがよい」と名前のモーリタニア化を許された。そんなババ所長の本名は、モハメッド・アブダライ・ウルド・ババ。

毎年、各国回りもちで行われるアフリカ・サバクトビバッタ首脳会談が数日後にモーリタニアで開催されたときに、会が始まる前にチュニジアの長にババ所長が、「こちら、日本からきた研究者のKoutaro Ould Maenoです」と紹介してくれた。

・・・・・・明日に続く

⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡

https://youtu.be/6bx5JUGVahk ==Swarm Of Locusts DEVOUR Everything In Their Path ==

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=今日の足跡が記録帖 & 幕間の狂言_◎ 04月23日(日曜日)=

2023-04-23 05:30:08 | 冒険記譜・挑戦者達

★忘備忘却録/きょうの過去帳・

◆ ウィリアム・シェイクスピア『ウィンザーの陽気な女房たち』初演。エリザベス1世が観劇した(1597年)。&so、250年後の豊国、京都御所建春門前に公家の学問所・学習院が開設され、講義を開始。学習院の歴史が始まる。   ◆ 円=一周=360°から1ドル=360円の固定相場にすることが決まる(1949年)。   ◆ 終戦後もウクライナで生活していた元日本軍兵士上野石之助が63年ぶりに一時帰国(2006年)。

 ᙡᙢᙡ 幕間の迷言・狂言・毒舌 =  東京ディズニーリゾート  = ᙡᙢᙡ

一人ディズニーランド(ひとりディズニーランド)とは、カップルやファミリーで溢れかえる東京ディズニーリゾート (TDR) に一人で赴き、楽しむことを目的としたエクストリームスポーツである。一人ディズニーランドというスポーツは年々注目されてきてはいるものの、競技の歴史が27年と浅く、競技人口も少ない。

類似スポーツである便所飯の選手が「やむを得ない理由」で多数参加しているのに対し、こちらは完全に「自発的な参加」によるものであり、金銭的な負担も大きく、瞬間的な精神的負担は便所飯のそれを遙かに凌駕する。以上の理由から競技人口の少なさは致し方ないと思われるが、逆に少ないからこそ「チャンス」と見る選手もいる。

競技を終えた選手の3人に1人が重度の鬱病もしくはPTSDを発症することから、エクストリームスポーツの中で「最も過酷な競技」として挙げられることも多く、場の空気に飲まれ、ゲートインすらできない選手も多い。

  因みに、東京ディズニーリゾートの正式名は「東京ディズニーランド・東京ディズニーシー・イクスピアリおよびホテル連合合衆国」であり、1府14の行政区で構成される独裁国家である。ミッキーマウスなどに代表されるディズニーのキャラクターたちが暮らしているとされ、オリエンタルランド政府によって統治されている。統治は内閣官房長官の上西京一郎が務めていることになっているが、院政状態であるため発言権が薄く、前任の福島祥郎の様に飛ばされるかわからない。

  世界的な信者の拡大を続けているディズニー教、もしくはネズミー教の日本における総本山であり、終日多くの教徒で賑わっている。主要産業は公共財産の略奪改竄行為であり、世界各国の政界にパイプを持ちディズニー保護法なる法律により治外法権地帯としての独立を実現した。国民を「キャスト」と呼んでいる。

  そして、東京に無いのに東京を名乗る某夢の国として名高い。そして、閉園後帰らなければ、ミニーにライフルで肉塊だけにされる、地下世界に連行され、死ぬまで働かされる、セメント漬けにされ東京湾に沈められる、心臓売買されるなどと都市伝説が数多の数存在する。帰った後もキャラは貴方の後ろに楽しい思い出として生き続ける。ほら、あなたの後ろ・・・・!!キャアアアアアア!!!(その後その者の姿を見るものはなかった)

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(05/30)_学究達=439

2023-04-22 05:30:19 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月22日<ⰧⰊⰧ
◆ 大相撲二月場所五日目で観客の多くが焼け出される破目になったので、この日を限りに千秋楽とする(1806年=文化の大火)。
◆ ドイツ軍が塩素消毒をしようとしたところ、手違いで敵のフランス軍が大ダメージを被る(1915年=イーペルの戦い、史上初の大規模毒ガス攻撃)。
◆ 日本人にとっての「アメリカの翼」がパンアメリカン航空からユナイテッド航空に代わる(1985年)。パンナムが機材・従業員・各種の権利をユナイテッド航空に売却したのである。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(05) ◇◆ 第2回 サバクトビバッタとは何者か =2/3= ◆◇

 さて、サバクトビバッタも、普段の孤独相から、群生相になると、群れをなして甚大な被害をもたらす。目下、国際連合食糧農業機関(FAO)がモニタリングを行っている害虫であり、アフリカのサブサハラ諸国や、中東での被害が常に警戒されている。下図はFAOのウェブサイトから引いたもので、ちょうどぼくがモーリタニアを訪ねた頃、群生相の幼虫が発生しているという情報が登録されていたほかのほかの地域では静穏のように見えるが、これはモニタリングがきちんと為されているかどうかという問題もあり、必ずしも、モーリタニアだけで群生相の幼虫が出ているわけではなかろう、という説明を受けた。

「自分の目にはかわいらしく映るんですけど、やっぱり群生相になった時の被害というのは、悪魔として恐れられているだけのことはあるんです」と前野さん。

「農作物の被害は年間400億円以上だと言われていますし、2003~2005年に大発生した時には、防除のために560億円もの費用が使われました。もう、政治・経済が複雑に絡んだ国際的な問題なんです」

 ぼくが前野さんとフィールドに入った時点で、幼虫たちのバンドがマーチングといわれる行進行動を取っていたというのは、前回述べた通り。通り過ぎた後にはぺんぺん草も生えない(というか食べられてしまっている)という禍々しさとは裏腹に、マーチング・バンドって、つまり鼓笛隊か! という響きには脱力する。

 しかし、これがやがて成虫になって飛翔能力を得ると、最大で500キロもの長さにわたる、それこそ関東地方を覆い尽くせるほどの群れに発展しかねないそうで、その猛威たるや想像するだに怖い。それほどの力を潜在的に秘めた幼虫の「鼓笛隊」は、さわさわしゃりしゃりと植物を食べる音を響かせつつ行進していくのだった。

 前野さんによると、ぼくたちが見たのは、主に三齢幼虫と四齢幼虫からなる混成隊だ。少数だが五齢幼虫もおり、四齢幼虫との違いを見せてくれた。ぼくが一瞬「スズメバチ」に見立てた模様は、実際にはもっと緑がかっていた。三齢と四齢の差は、ぱっと見たところ体の大きさと翅の大きさだ。いずれも、飛翔能力はない。四齢幼虫は、この後、脱皮すると終齢幼虫となり、成虫の一歩手前となる(時々、さらにもう一度多く脱皮する者もいる)。

 また、周囲を探索するうちに、さらに小さな生まれたての初齢幼虫を見る機会もあった。

「これ、そうですよ。群生相のものと、孤独相のもの、両方いますね。黒いのが群生相で、緑のものが孤独相です。群生相は、初齢と二齢の時に、体が黒いんですよね。三齢からは、さっき見たような色になります」

 ・・・・・・・・明日に続く・・・・・

…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (5/6) ……

日本でのPR・研究活動

前野の研究アイディアは時間を要するものであり、かつ大規模な蝗害が長年発生していない日本にとっては、異国の地アフリカのサバクトビバッタ問題に対する認知度が低かった。したがって、論文以外の手段でキャリアの活路を見出す必要があり、「バッタ博士」としてセルフプロモーションすることとした。しかしこれは研究者として「売名行為」「不真面目の烙印」とも自認しており、背に腹は代えられぬ手段であった。

プロモーション戦略の一環で前野は2013年4月下旬、幕張メッセで開催された第4回ニコニコ学会βシンポジウムの「むしむし生放送~昆虫大学サテライト」に丸山宗利らと共に昆虫学者4名で登壇し、注目を集めた。また、経済誌『プレジデント』で2013年6月から連載を担当することになり、キャリア・サバイバルについて綴った。この連載を担当したプレジデント社の編集者・石井伸介が前野の原稿を細部まで磨き上げたことから、前野にとって文章作成能力を大きく向上させる機会となった。

2014年4月からは、若手グローバル研究者を育成する目的で学際的に設立された京都大学の白眉センターに所属し、特定助教の立場で2年間研究に従事した。サバクトビバッタが多く出現する秋から初冬はモーリタニア現地での野外調査を、それ以外の時期は昆虫生態学研究室の松浦健二教授(シロアリ研究者)に師事しつつ、幅広い人脈と知見の構築に勤しんだ。

なお、2019年冬頃からサバクトビバッタは東アフリカから中東、西アジアにかけて未曾有の大発生(en:2019–20 locust infestation)となっているものの、2020年2月時点で前野は日本で研究に取り組んでおり、現地渡航は実現していない。

評価

2013年には『孤独なバッタが群れるとき サバクトビバッタの相変異と大発生』(東海大学出版会)を上梓したほか、ブログなども運営していたことからファン層を獲得し、2014年1月時点で既に「最も認知度が高い、若手昆虫研究者」、「抱腹絶倒の筆力で学問の現場からの報告をエンタテインメントとして成立させた」などと評されていた。

2014年から2年間所属した京都大学白眉センターは前野の人物紹介特集をウェブ上で組み、「いわゆる学者タイプの研究者とは少し違う」「人を楽しませようというエンターテイメント性にあふれている」と人柄を解説している。

2017年出版の『バッタを倒しにアフリカへ』は、昆虫観察では金が稼げない現実を突きつけられたポスドク時代を中心に自叙伝的に描いている。「抱腹絶倒のバッタバカ一代記」、「今の日本にまだこんながむしゃらな若者がいたのか」「苦難を知恵と工夫と根性で乗り切っていく姿を面白おかしく描いている」などと評された。本書は、2018年新書大賞中央公論)、第71回毎日出版文化賞特別賞、および第14回絲山賞を受賞した。

・・・・・・明日に続く

⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡

https://youtu.be/uzi9o-3C1B8 <サバクトビバッタのスウォーム。主に18秒以降に映っている。>

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(04/30)_学究達=438

2023-04-21 05:30:28 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月21日<ⰧⰊⰧ
◆ デイリー・メール紙が某外科医の撮ったイタズラ写真をネッシー出現!と大々的に報道(1934年)、世界はトリック写真であったと撮影者が白状するまでの60年間騙された。
◆ 特捜検察は政府の都合がいいことしか捜査してはならない、と言うことを一般国民に知らしめた日(1954年=造船疑獄で犬養健法務大臣が指揮権を発動)。
◆ 任天堂によって、新型兵器『ゲームボーイ』が発売される(1989年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

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“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(04)◇◆ 第2回 サバクトビバッタとは何者か =1/3= ◆◇

 

 サバクトビバッタ、という昆虫は、今、サブカルチャー的に著名かもしれない。

 人気コミックでサバクトビバッタの能力を持った人間が活躍するものもあるのだが、それ以上に、ある特定の人物が引き起こしたムーブメントの勢いがとまらない感がある。

「バッタ博士」こと、前野ウルド浩太郎。ウルドは、目下、研究の拠点を置いているモーリタニアで名付けられたローカルネームであり、論文を発表する時の名前でもある。

 前野さんのブログ「砂漠のリアルムシキング」は2011年にポスドク(博士研究員)として、モーリタニアに向かう直前に始められ、現在も続いている。独特の諧謔を交えた(自虐的ともいえる)語り口が人気を博し、多くの人の目に触れてきた。著書『孤独なバッタが群れるとき』(東海大学出版会)では、主に大学院に入ってから博士号取得前後の研究室でのサバクトビバッタ飼育と実験、成果について語りつつも、やはり抱腹絶倒の筆力で学問の現場からの報告をエンタテインメントとして成立させた。そのようなわけで、今、日本語でサバクトビバッタについて何かを書こうとすると、まずは前野さんに言及することになる。

 それでも、やはり最初に押さえておかなければならないのは、サバクトビバッタという昆虫そのもののことだ。そいつは、どんな奴なのか。

 日本にもいるトノサマバッタとは同じ科で分類的には近く、つまり極端な乾燥地帯に生息しているトノサマバッタをイメージすれば素人的な理解としてはまず合格だろう。

 アジアのトノサマバッタは時々、大発生して農作物に壊滅的な被害を与えてきた。大挙して飛来しては、すべてを食べてつくしてしまうのである。日本では開拓時代の北海道の事例がよく引用される。作物どころか家屋の障子紙まで食い尽くしたと言い伝えられるのが凄まじい。最近では、2007年、関西国際空港で開港直前の「第2期島」で大発生し、調査の結果およそ4000万個体がいることが分かったという。航空機の運航上の脅威になりかねないので、大がかりな防除が行われた。その時の写真を見た人なら「なにこのバッタ?」と思ったはずだ。なぜなら、我々に馴染みのあるトノサマバッタは、緑色っぽいのに対して、こちらはもっと黒っぽい、まるで別の体色だからだ。

 ここで覚えておくべきキーワードは、「孤独相」と「群生相」。ふだんぼくたちが見ているトノサマバッタは、孤独相といって、群れることなく、ほとんど単独で生きている。もちろん繁殖する時には、雌雄が集うわけだが。一方、群生相は、幼虫の時代から群れる。なにかを引き金に、そのような行動の変化が起こり、同時に体色など姿形が変化する。だから、いきなり群れて群生相になっているトノサマバッタを見ると、「なにこのバッタ?」となるわけだ。

 ・・・・・・・・明日に続く・・・・・

…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (4/6) ……

前年の2010年は幸いにも大雨の年であったことから、前野が渡航した2011年4月頃までは例年以上に植物が残っており、小規模ながらもサバクトビバッタの野外調査を行うことができた。しかし来る干ばつを予想していなかったことから、野生のサバクトビバッタを捕獲して研究所で飼育しておらず、研究材料が乏しい状況に追い込まれた。この間、サバクトビバッタに懸賞金を設定して現地の子供たちに捕獲協力を仰いでみたり、身近にいるゴミムシダマシに研究対象を変えてみたりと、論文執筆のネタ探しに苦闘する。また、東海大学出版会が若手研究者を執筆者の条件とした〈フィールドの生物学〉シリーズ企画を前野に持ち込んだことから、後に出版される『孤独なバッタが群れるとき』執筆に時間を充てることとなった。

最終的に、モーリタニアでの初年度野外調査はこれ以上困難と判断し、前野は世界有数のバッタ研究で知られているフランス農業開発研究国際協力センター(略称: CIRAD)に招かれて、2012年4月から9月にかけてフランスで過ごすこととなった。同センター研究員で統計学を得意とするシリル・ピウ(Cyril Piou)が過去にモーリタニア国立サバクトビバッタ防除センターを訪れて以来、前野は遠隔でピウと共同研究を進めていた縁もあり、この渡仏が実現したのであった。以降、前野はピウと共著論文を複数本発表している。

フランスからモーリタニアに戻った2012年9月以降、サバクトビバッタの野外生態調査を精力的に行っていくことになる。サバクトビバッタの生息域である砂漠では、昼夜の寒暖差が摂氏30度程度もある。バッタは変温動物であり、冬場の早朝は摂氏5度付近まで下がるため、動きの鈍るサバクトビバッタが天敵からどのように身を守っているのか、また飛来後どこに着陸するのかなどを調査した。これは防除策を考案するにあたり、サバクトビバッタの弱点や習性を生物学的に把握する必要があったためである[63]。前野は連日、砂漠で野営しながら、そして地雷地帯を注意深く避けながら、サバクトビバッタが隠れる植物の場所などを昼夜で比較調査していった。

初めてサバクトビバッタの大群を目撃したのは、2012年12月頃から開始した野外調査のタイミングであり、その様子を前野は「黒い雲のように不気味に蛇行しながら移動していた」と描写している。あまりの大群に圧倒され、今までのバッタ問題解決の意気込みが無知ゆえの無謀さだったと気づく。と同時に、誰もが手をこまねいているサバクトビバッタ防除への使命感も人一倍強く胸に秘めることとなった。

日本学術振興会からの助成期間である2年は2013年4月上旬に満了を迎えた。しかし前野は就職活動らしきものを積極的に行っておらず、アフリカ滞在を延長して好きなサバクトビバッタの野外研究を継続するか、日本に戻って別の昆虫を対象に研究機関から給与をもらう安定した生活を選ぶか、決断を迫られた。幸いにも、日本の国立研究開発法人国際農林水産業研究センター(JIRCAS)が国際共同研究人材育成推進・支援事業(農林水産省からの委託事業)の一環で、発展途上国の農林水産問題に取り組む国際組織である国際農業研究協議グループ(CGIAR)に若手研究者を派遣するプログラムを運営しており、これに前野は2年度連続で合格したことから、年間約200万円の研究費支援を受けることとなった。受入先はババ所長のいるモーリタニア国立サバクトビバッタ防除センターがその役目を継続した。金銭的に余裕がない中、JIRCAS-CGIARからの支援は野外調査やアシスタントの雇用費に充て、食費は貯金から捻出して、前野は現地調査を続けていった。

・・・・・・明日に続く

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https://youtu.be/jmFmkcIxrLw  ==サバクトビバッタのマーチング(モーリタニア)==

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(03/30)_学究達=437

2023-04-20 05:30:54 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月20日<ⰧⰊⰧ
◆ 中国から頂戴した客寄せパンダで賑わう上野動物園に見習い、東京国立博物館もフランスから借りたモナ・リザで客寄せを実施(1974年)。因みに、日本と中華人民共和国が北京で日中航空協定に調印。
◆ ソ連が領空内に無断で入ってきた大韓航空機をスパイと認識、有無を言わさずバキューン!!する(1978年)。
◆ 朝日新聞が、沖縄で地元ダイバーが珊瑚に「KY」とサインしたと報道したが、後日記者自らがサインした捏造報道だった事が判明した。朝日新聞の未来の"空気を読む"先見性を象徴した出来事である(1989年=朝日新聞珊瑚記事捏造事件)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

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“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(03) ◇◆ 第1回 バッタ博士と砂漠のバッタ =3/3= ◆◇

 スズメバチがアリのように地面の上でうごめいている、というのがぼくが抱いた最初の印象だった。さらに『ジョジョの奇妙な冒険』の第4部で登場する「ハーヴェスト」というスタンド(興味ない人、意味不明でゴメンナサイ)を想起した。

「これがサバクトビバッタの幼虫の群生相のマーチングですよ。幼虫の群れのことをバンドと言って、みんな同じ方向に向かって一斉に行進していく行動をマーチングといいます。本当に、よかった。とにかく、自分、これを見せたかったんですよ!」

 前野さんは興奮して言った。

 ぼくは夢中になって写真を撮ったわけだが、このファーストコンタクトはかなり強烈で、意識がぼーっとなってしまったほどだ。

 それでも、一応、自分なりに観察をして気づいたことがいくつか。

 背の低い地面を覆う植物の他に、所々、ツンツンしたイネ科植物のかたまりがある。そこには、たいていサバクトビバッタの幼虫がくっついて、なかほどまで登っていた。周囲の砂地には、黒いものがたくさん散っており、それはウンチであろう。また、近くにひとつだけ、「歯磨木」(あるいは、歯磨きの木。名の由来は後述)と呼ばれる灌木があり、そこにもかなりの数が潜んでいた。

「夜になると結構、こういうところに集まってくるんですけど、昼間からってのは、自分もはじめてッスね。本当にフィールドで、こいつらに会うたびに、新しい発見があるッス」と前野さん。

 前日は雨が降り、気温が上がらなかった。雨の中でもサバクトビバッタを見ていた先発隊に後で教えてもらったのだが、その間、幼虫たちは、こういった背の高い草や木に宿り、動かなかったそうだ。そして、この日も曇天で、せいぜい気温35℃前後。また、風も強かった。なにか特別な状況の日にたまたま来てしまったために、ぼくは前野さんとともに、特別な現象を見てしまったらしい。

 前野さんが、車に戻り、捕虫網を持って来た。

「捕まえます。だいたい、300匹くらいは、必要ッス」

 サハラ砂漠で、捕虫網を振る「バッタ博士」こと、前野ウルド浩太郎さん。

 サングラスをしていても、喜びが伝わってくるほどの躍動感で、バッタを白い網の中に追い込んでいった。

 本当に、楽しげである。

 前野さんが必要な数を取り終えた後、ぼくも網を借りて少しだけ捕まえさせてもらった。

 子ども時代に戻ったように、楽しいひとときだった。

 とはいえ、このバッタが、実は「悪魔」と呼ばれるほどの凶暴さを発揮する、まさに直前の状態であることを思い出し、ふと現実に立ち返ったのだった。

次回は“第2回 サバクトビバッタとは何者か”に続く

…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (3/6) ……

アフリカ現地調査へ

博士研究員(いわゆるポスドク)3年目を迎えた2011年、前野は日本学術振興会海外特別研究員の審査に通過した。これにより年間380万円の支給を受けて、2年間のモーリタニア現地調査の機会を得ることとなる。この決断は後に「人生をかけたギャンブル」とも評されたが、当時は室内研究が主流であり、サバクトビバッタの野外観察はほとんど行われていなかったことから、新米研究員の自分でも楽に新発見を論文発表できるのではないか、との勝算が前野にはあった。しかし現地出立の1か月前には東日本大震災が日本を襲い、東北出身の前野も多くの知人が被災した。自身のモーリタニア渡航・滞在費用を日本国内の被災者支援に充当すべきではないか、との倫理的な葛藤を抱えつつ[40]、2011年4月11日に前野はモーリタニアの地に上陸することとなった。

モーリタニア渡航から3か月後、ミドルネームの「ウルド」(Ould)をモーリタニア国立サバクトビバッタ防除センターのババ所長から授かり、以降の論文発表などでは「前野ウルド浩太郎」(英語論文ではMaeno, K.O.)のクレジットを使用するようになる。ババはサムライの国・日本から来た前野のことを「モーリタニアン・サムライだ」と評し、「○○の子孫」の意味を持ち、モーリタニアでは最高の敬意を払われるウルドの名を授けたのであった。前野がモーリタニア渡航前に感じていたように、先進国の研究者の多くはアフリカに来訪しないのが世界の研究実態であり、実験室内の研究に基づいて論文発表する有り様に、ババも強い問題意識を抱いていた。このような中、日本の被災者支援に後ろ髪を引かれる思いを断ち切ってモーリタニアに単身やってきた前野は、現地のバッタ問題解決に結びつけようと研究者としての真摯な姿勢を見せ、これにババが共鳴したことが「ウルド」命名につながった。

現地渡航前、前野はフィールドワークについて学術的に訓練を十分に積んでいたわけではなかったことから、現地でバッタを見つけると自然と疑問が湧いてきて、それを検証するために手法を自ら考えるアプローチをとった。そして、ババ所長からの手厚い支援も研究を後押しした。しかしながら、モーリタニア現地での研究生活は一筋縄にはいかなかった。モーリタニアの公用語はアラビア語であり、また実務ではフランス語も多用されているが、前野はフランス語が不得意で覚える気もなかったことから、日常生活に始まり[50]、野外観察チームの編成[51]や現地での論文プレゼンテーションに至るまで、言語の壁にぶつかる。

さらに追い打ちをかけたのが、2011年後半に発生したモーリタニア建国(1960年[48])以来の大干ばつである。この大干ばつは、サバクトビバッタのエサとなる植物の生育にも影響を与え、サバクトビバッタがほぼ見つからない日々が続いた。一般的にモーリタニアは7月から8月が雨季で、短期集中型の大雨を降らす。9月から10月は休耕期であり、11月が最も農期に適している]。しかし雨季の降水不足により、家畜のヤギにとってのエサである植物の葉が育たなかったことから、根まで食べつくし、砂漠化に拍車がかかった。

・・・・・・明日に続く

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https://youtu.be/uzi9o-3C1B8  ==サバクトビバッタ(モーリタニア)==

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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お詫び申し上げます

2023-04-17 12:47:40 | 史蹟彷徨・紀行随筆

我が盟友にして先達であるパソコン氏が反旗を翻し、ここ三日間 我が元より逃亡。

只今 帰着

明後日より ともに勉学に勤しむと詫びを入れました。

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(02/30)_学究達=436

2023-04-15 05:35:43 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月15日<ⰧⰊⰧ
☆ 百戦錬磨の鋼鉄の霊将にして朝鮮民族の輝ける英雄、偉大なる将軍様の父にして親愛なる総書記の祖父でもある同志、金日成首領様が誕生なされた素晴らしき日(1912年)。&so、タイタニック号が沈没した日でもある。
☆ 日本の千葉県は浦安市に千葉ディズニーランドが開業。マリオとミッキーマウスとの、熾烈なアイドル同士の競争の幕開け(1983年)。なおマリオは1996年にアイドルの座を後継者へ譲った。
☆ オウム真理教の予告デー。この日、新宿全域で厳戒態勢が敷かれパニックに(1995年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

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“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(02) ◇◆ 第1回 バッタ博士と砂漠のバッタ =2/3= ◆◇

翌朝、曇天。

 研究所のゲストハウスから、サハラ砂漠へ。

 ランドクルーザー2台の編成で、1台は前野さんが雇っているドライバーのティジャニが運転して、後部座席に前野さんとぼくが乗った。もう1台は、テント、食料などをはじめとする物資を積んだ助手さんの車だ。

 到着時は深夜だったために素通りしてしまった研究所の建物を、まずはしっかり確認した。正式名称は、Centre National de Lutte Antiacridienne。原義に忠実に訳せば、「国立・対バッタ類防御センター」みたいな名だ。物々しいゲートを開けてもらい、いざ出発。

 研究所は町外れにあって、中心部とは逆側に向かう。当初は車通りがさかんで、ロバに荷物を引かせる「シャレット」の往来も多かったが、すぐに砂漠を貫く1本道になった。砂漠とはいえ、このあたりは、砂丘が連なる砂地ばかりのものとは違い、かなり草も生えている。たまたま多雨な年だというのも関係しているだろう。それでも森が出来るわけでも、草原になるわけでもない、まぎれもない砂漠だ。

 町を出て1時間と少し、おそらく百数十キロほど離れたところで、ランドクルーザーは舗装された道路を離れた。ここから先は、高い車高と大きなタイヤ、四輪駆動がものをいう。砂漠には、前に通った車が作った轍はあっても、決まった道があるわけではないので、たえずGPSで現在位置を確かめつつ進むことになる。先発隊のいる座標は分かっていて、方向も間違いなく分かる。ただ、地面の状態によって、いつもまっすぐに進めるわけではない。

「結局、最後は目視でキャンプ地を探すんですよ。3キロくらいに近づけば見えてきますね。砂漠に白いテントは目立ちますから」

 我々が探しているのは、モーリタニアの遊牧民が使うものに似た大きな白いテント群だ。

 それらを発見できずに移動するうちに、遠くに車がとまっているのが見えた。

 先発隊のうちの誰かの車であるようで、そちらに近寄っていくと、ドライバーのティジャニが「ici! Ici!(ここ、ここ!)」と指さした。

 前野さんが、ニヤリと笑いぼくを見た。

「川端さん、運が良すぎですよ。さっそく、お見せしたかったものがいました。自分も、ここにきて、ちゃんと会えたフィールドトリップは、3年いる中でもこれで5回目ッス」

車の中から目を凝らすと、赤茶けた砂地に背の低い草がところどころ密に生えていた。

 そして、緑に紛れて、あるいは砂の裸地の上に、黄、緑、黒といった色がまざった小さなものが、もぞもぞと動いているのだ。

 風に揺れる花、というのは、一瞬なら、そう錯覚することもありえる。

 ただ、なすがままに揺れる動きとは違う。

 地面を這う動物の群れだ。

・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (2/6) ……

研究初期

一浪の末に、昆虫研究も扱う農学部を有する弘前大学に進学。大学3年生になると安藤喜一教授の研究室に所属して昆虫学を専攻し、イナゴの研究に着手した。しかし安藤が退官予定のため、修士課程は弘前大学以外への進学を検討することとなる。各校の受験に失敗する日々が続くも、大学4年生の秋に学会で訪れた富山県で、偶然にも田中誠二と引き合わされた。田中は日本でも蝗害を引き起こしてきたトノサマバッタ研究で知られる昆虫学者であり、弘前大学卒業生でもあった (大学卒業は前野の28年前と年齢は開いている)。

酒席で前野が自身の研究熱意を伝えると、酔った田中から「僕のところに来て研究しないか?」とオファーを受けることになった。当時の田中は茨城県つくば市にある国立研究開発法人 農業生物資源研究所(NIAS)に所属していたことから、前野はNIASから近い茨城大学大学院農学研究科修士課程(稲敷郡阿見町)に在籍しつつ、田中の元で研究を継続することとなった。

田中からの助言もあって、以降はトノサマバッタの近縁であるサバクトビバッタの研究を行うようになる。NIASで前野が最初に手掛けたのは、人工的なホルモン注射の投与である。特にサバクトビバッタの相変異(群れの中で育つと獰猛化して体色を変化させ、長距離飛翔を可能とする長い翅を持つようになる変身現象)に興味を持ち、サバクトビバッタの生態解明を通じたアフリカの貧困救済に熱意を注ぐ。

修士課程修了後は、神戸大学大学院の博士課程に進んで竹田真木生教授に指導を仰ぎつつも、つくばでの田中との共同研究生活を続け、田中とは共著論文を学会に複数本発表している。

田中との共著論文の一部を例に挙げると、サバクトビバッタの脳内で合成されるホルモン神経ペプチド)の一種、コラゾニンが相変異に作用しているとの発見がある。既に1954年には孤独相(サバクトビバッタ同士で避け合って生息するモード)に誘導するホルモンはジョリー夫妻の研究で判明していたが、逆に群生相に誘導するホルモンは半世紀が経過しても見つかっていない状況であった。また孤独相では比較的小さな卵を産むが、産卵期を迎えた孤独相のメスを1か所にまとめて飼育したところ、相変異を起こした群生相と同じような大きな卵を産む変化も偶然ながら発見した。そしてこの「混み合い」状況をメスはどのように感知しているのか、仮説を提唱した。前野の博士論文も「サバクトビバッタの相変異:混み合いに対する生理的適応と子に及ぼす母親の影響」と題するものである。

前野はNIASで担当した研究とは別に、単独でサイドプロジェクトも立ち上げ、新しいテーマ探しをしていた。自ら見つけた現象を研究したいとの志を抱いて、アイディアを思いつくとすぐに田中に相談するものの、「うん。やりたかったらやったらいいんじゃない。僕だったらやらないけどね」と実質却下の連続だったという。最終的にNIASでの研究は8年間におよび、前野はバッタを実験室内で人工的に飼育し、日照や気温など安定的に管理した環境下で実験を行っていた。

効率的に実験データは収集でき、当時の執筆論文は計22報にものぼる。しかし、野生のバッタの本能的な行動原理を理解するには至らず、次第に机上の空論ではないかと悩むようになる。実際、野生と全く同じ相変異の室内再現は世界的に誰も成功していない(2009年時点報告)。さらに、バッタ研究開始から2年が経過した頃、前野はバッタアレルギーを発症し、以降はバッタに直接触れると蕁麻疹が出る苦難を抱えるようになった。

・・・・・・明日に続く

⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡ ⬢ ⬡

 ~蝗害の元凶~ 【サバクトビバッタ】

https://youtu.be/uzi9o-3C1B8   

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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“バッタの子孫”の活動録/前野ウルド浩太郎(01/30)_学究達=435

2023-04-14 05:36:30 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成5年04月14日<ⰧⰊⰧ
☆ 南軍の連中を許してやってくれと南部出身の一役者が大統領に直訴するものの、観劇の邪魔だと言われてブチ切れて銃弾をお見舞いした(1865年=リンカーン大統領暗殺事件)。 ☆ 三原脩が、南海ホークスとの因縁からかギャラリーを飛び出して相手の一塁走者に拳骨を一発お見舞いする(1949年=三原ポカリ事件)。 ☆ 1969年-文京区本郷兄弟決闘殺人事件(超エリートの兄弟が・・・・)発生。 &so、バングラデシュで天から重さ1kgもの氷の塊が降ってきて、90人以上がデッドボール(1986年)。

本日記載附録(ブログ)

アフリカでしばしば大発生し、ユーラシアの農作物に深刻な被害を及ぼすサバクトビバッタ。

防除のために巨額の費用が投じられているが、未だに根本的な解決策は見出されていない。

『バッタを倒しにアフリカへ』と単身、西アグリカ・モーリタニアに渡った日本人がいる。

”愛するものの暴走を止めたい”と語る前野ウルド浩太郎、秋田市土崎港出身の人である。

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“サバクトビバッタの相変異” の解明が世界を救う

前野ウルド浩太郎(01) ◇◆ 第1回 バッタ博士と砂漠のバッタ =1/3= ◆◇

 今回、訪ねたのは、西アフリカの砂漠の国、モーリタニア。

 しばしば大発生しては、緑という緑を食い荒らす害虫、サバクトビバッタの研究者、前野ウルド浩太郎さんを訪問した。前野さんは、2011年からモーリタニア国立サバクトビバッタ研究所を拠点に調査研究をしている「日本人唯一」(そして、「先進国唯一」でもある)野生のサバクトビバッタの研究者だ。

 前野さんと同行し、1泊2日でサハラ砂漠にキャンプに出かけ、最初に出会った光景を、まずご覧いただきたい。≪下記参照≫

 サバクトビバッタの幼虫が写っている。バッタの幼虫だから、翅が飛べるほどに発達していない他は、成虫とそれほど姿形は変わらない。さて、バッタはどこにいるでしょうか。

 現地から写真を送った時、編集者は「菜の花畑かと思った」と述べ、友人は「どこにいるか一生懸命さがして、ぜんぶ! と分かった瞬間、ぞわっとした」と言った。

なにはともあれ、これがサバクトビバッタとぼくのファーストコンタクトである。

 帰国し、撮影した写真を眺めている今も、すごい生き物を見た! という純粋な驚愕と、しばしば人々を飢餓に陥れるほどの凶暴さを発揮するという、これまで文献で知っていた知識が「本当なんだ」という妙な納得がないまぜになった、不思議な感覚にとらわれている。

 この不思議の世界、サハラ砂漠でひたすら研究に明け暮れる前野ウルド浩太郎さんのこと、そして、彼の案内で体験できたことを、興奮が薄まらないうちに書き留めておきたい。 【下記動画参照】

 西アフリカ諸国へのハブになっているモロッコのカサブランカ空港から、モーリタニアの首都ヌアクショットへの便は深夜12時近くに到着する。

 砂漠の国へやってきたと思いきや、機外に出た瞬間、空気が湿っていることに気づいた。それどころか、飛行機から降りてターミナルまで歩く間に、ぽつりと1滴頬に雨粒を感じた。

 英語が通じにくいフランス語圏で、なおかつ厳格なイスラム国家。入国はそれなりに厳重で、目的は何かとか、アルコールは持ち込んでいないかとか、などさんざん質問された上で、やっと無事に入国スタンプを押してもらえた。

 前野ウルド浩太郎さんが、駐車場で待っていてくれた。いわゆるポスドク(博士研究員)であり、抱腹絶倒のブログ「砂漠のリアルムシキング」や、昆虫研究者の本気と狂気(?)を垣間見せてくれる著作『孤独なバッタが群れるとき』(東海大学出版会)などで知られ、日本ではディープなファンがいる。今、最も認知度が高い、若手昆虫研究者と言って差し支えない。

「きょうは1日雨だったんですよ。自分が来てから3年目ですが、この時期に雨が降るのははじめてですね。こっちの人に聞いても、滅多にないそうです」という。

 ぼくが訪ねたのは11月で、1年の中でも乾燥が強くなりはじめる時期だそうだ。少量の雨が降る7月、8月とは違い、本来降雨はない。事前に前野さんからのメールで「日中は40℃、夜でも20℃くらいの気温です」と言われていたけれど、それよりもずっと涼しい。おまけに湿っている。

 そんなイレギュラーな天気の中で、砂漠らしからぬ砂漠の国への到着となった。

・・・・・・明日に続く・・・

…… 参考資料: 前野ウルド浩太郎_ウィキペチディア(Wikipedia)より (1/6) ……

前野 ウルド 浩太郎(まえの ウルド こうたろう、1980年〈昭和55年〉2月20日- )は、日本の昆虫学者。通称「バッタ博士」。アフリカで大規模な蝗害を引き起こすサバクトビバッタの生態に精通する。サハラ砂漠西部のモーリタニア・イスラム共和国モロッコ王国における現地調査体験に基づき、サバクトビバッタの相変異(群れを成すと体色を変えて獰猛化し、植物・農作物を喰い荒らすモード)の解明と防除技術の開発に従事している。

秋田県秋田市土崎港出身。自然豊かな地で育った幼少期にファーブルの『昆虫記』に魅了され、自ら研究手法を編み出すような昆虫学者を将来像として夢見るよう省になる。2008年に神戸大学大学院博士課程修了(農学博士)。2011年4月より、モーリタニア国立サバクトビバッタ防除センター(Centre national de lutte antiacridienne、略称: CNLA)で現地調査・研究に従事した。その足跡を自叙伝的に綴った『バッタを倒しにアフリカへ』(光文社)は、「抱腹絶倒のバッタバカ一代記」とも評され、2018年の新書大賞などを受賞してベストセラーとなった。2016年4月からは日本の国立研究開発法人 国際農林水産業研究センターにて研究員として在籍し、サバクトビバッタ研究を続けている。

戸籍名は前野浩太郎(Maeno, K.)であり生粋の日本人だが、モーリタニア現地で授かったミドルネーム「Ould/〜の子孫」を使い、2011年7月1日より研究者名(ペンネーム)を「前野ウルド浩太郎」(Maeno, K.O.)に変更して著作物の一部を発表している。 

幼少期

前野のバッタ研究への憧れは、すでに小学生の頃に萌芽していた。小学校低学年の時に科学雑誌の記事を読んだ前野は、「バッタに食べられたい」という夢を抱くようになる。この記事は、日本国外でバッタの大群を見学する観光ツアーに参加した女性が、緑色の衣服を身に着けていたことからエサと間違われてバッタに衣服を喰われた、と報じる内容であった。また、母親が秋田市立土崎図書館から借りてきた『ファーブル昆虫記』を小学生の頃に読んで魅了され、昆虫学者になることを夢見るようになった。

この背景には、幼少期の肥満体質があった。かくれんぼや鬼ごっこだけでも息切れするほどの前野は、次第に遊び仲間たちの間で「空気のような存在」になり、道端に座り込んでうつむくようになった。その時に昆虫が目に留まり、昆虫の動きや体の形などに興味をひかれるようになっていったのである。そして、昆虫の謎を解明するにあたり、自らの創意工夫で実験方法を編み出していったファーブルをヒーロー視するようになった。前野の地元は自然豊かな地だったこともあり、夏休みの自由工作で昆虫の標本を作製したり、昆虫観察を作文してコンクールに入賞するなど、ファーブルへの憧れを胸に昆虫と戯れる幼少期を過ごした。

・・・・・・明日に続く

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 サバクトビバッタのマーチング(モーリタニア)

https://blog.goo.ne.jp/bothukemon/e/df3c18f6716842ee893b430e335dcd40   

◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

=上記本文中、変色文字(下線付き)のクリックにてウイキペディア解説表示=

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◎_今日の足跡が記録帖 & 幕間の狂言_◎ 4月13日(木曜日)

2023-04-13 05:35:46 | 冒険記譜・挑戦者達

★忘備忘却録/きょうの過去帳・

☆ 東京は下谷に日本初の喫茶店「可否茶館」が開店(1888年)。「そういう訳でこの日は喫茶店の日と言うことになっているのです」。

☆ ソ連領内に踏み込んだナチスが、ソ連領内カティンの森でポーランド将校4,000人の遺体を発見と報じる(1943年)。当のソ連は「見つけたナチスのエクストリーム・自作自演」と否認していたが、数十年経って「ヨシフ・スターリンと政治局の決定で実行された」と言って認める。

☆ 北朝鮮が人工衛星「光明星3号」の発射に成功するが、偉大なる将軍様の思想を理解できない人々が多過ぎて衛星打ち上げの確認ができなかった模様(2012年)。

ᙡᙢᙡ 幕間の迷言・狂言・毒舌 =  オオタニサン  = ᙡᙢᙡ

オオタニサンは体長約2m、体重はおよそ100kgであり、ユニコーンとしてはやや小柄である。恐らく野球史上初めてのユニコーン系の選手であり、同時に「魔法野球」の使い手である。

オオタニサンは、赤ちゃんブルース以来約一世紀ぶりの本格的なツーウェイプレイヤーであり、投手と打者の両方をこなす貴重な存在である。打てばホームラン、投げれば三振の山を築くその圧倒的な実力からファンには「エイリアン」「ガブリアス」等と呼ばれている。 かれ≪OoTANI_SAan≫の特徴を思いつくままに

特徴① 普通のユニコーンみたいに処女以外は全員ぶち殺すようなまねはしない。むしろ非常に優しいので守ってくれる。

特徴② オオタニサンは脳が非常に発達しているため日本語と英語、更にはスペイン語を話せる。

特徴③ ユニコーンなので非常に俊敏である。その脚を活かして縦横無尽にグラウンド中を駆け巡る。

特徴④ 非常に綺麗好きであり、試合中でもグラウンドに落ちているゴミもちゃんと拾う。

特徴⑤ 睡眠が最大の趣味であり、仔馬のときから毎日半日以上は寝ている。

特徴⑥ オオタニサンの周囲には魔力が溢れているためうっかり姿を見てしまった一般人には発熱、血圧上昇、過呼吸、めまいなどの症状が現れることがある。

オオタニサンの使う魔法

ビックフライ : 自らの魔力を込めた角をフルスイングしてボールを叩き潰す。ボールはグリーンモンスターですら阻むことができない。

魔球SFF : 伝家の宝刀。魔力によってボールがバットに絶対当たらないようになっている。因みに、球速100マイル超。もはや弾丸である。

超変化スライダー : 別名クレイジーボール。現実野球のはずなのに変化量がもはやファミスタである。

威嚇 : ネクストバッターズサークルにオオタニサンを置いておくだけでオオタニサンの威厳と風格により相手投手は萎縮して制球が定まらなくなる。その後押し出し四球となり役目を終えたオオタニサンは悠々とベンチへと戻って行く。

sho time : オオタニサンの究極魔法。球場に大熱狂や歓喜の渦を巻き起こし、世界中に衝撃を与える。相手はもはや笑うしかない。

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Today’s B.G.M, = Softly as in a Morning Sunrises

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