【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

超重元素合成研究グループデイレクター/森田浩介(04/13)_学究達=333

2022-11-07 05:35:22 | 冒険記譜・挑戦者達

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年11月07日<ⰧⰊⰧ

☆★ 民意の偽造に怒ったロシア人民が民主主義の政府を倒し、ウラジーミル・レーニンの政府を支持する(1917年)。☆★ 4ヶ月前に出来たばかりの吊り橋が完成直後から風に揺られまくりで、実況されるまでになって遂にこの日落っこちる(1940年=ワシントン州のタコマナローズ橋)。☆★ 松永安左エ門の肝煎りで、日本を電力会社の意のままにしようとする工作機関・電力中央研究所がオープン(1951年=日本最大の民間シンクタンク)。

本日記載附録(ブログ)

地球上のありとあらゆるものは、様々な元素でできている、/なかでも「大きな元素」は自然には存在せず、人工的につくったものだ

大学院生の住田貴之とともに実験結果の初期解析を行なった結果、2012年8月に3個目の113番元素の合成を新たな崩壊経路で確認する

この実験が新元素の合成成功に結び付き、世界の科学者が“超重元素の錬金術師”と彼を呼び、113番元素は「ニホニウム」(nihonium元素記号:Nh)との命名される

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

 様々な科学手法・長期間の反復実験を重ねる“超重元素の錬金術師”=森田浩介= 

森田浩介(04/13) ◇◆ 第二回 「我々が見つけた、113番元素はここですね」 =1/2= ◆◇

 化学の世界で重宝する周期表は、元素の化学的な性質が、周期的にあらわれるのをみて取るのに優れている。ほかの元素と反応しにくい、いわゆる希ガスは、ヘリウム・ネオン・アルゴン・クリプトン・キセノン・ラドンと続き、周期表上で縦に並んでいる(第18族元素)。一方、反応性がきわめて高い、フッ素、塩素、臭素、ヨウ素の並びは、ハロゲンと呼ばれこれも縦に並んでいる(第17族元素)。その理由は、最外殻電子がうんぬん……と、きっと化学で勉強したはずです。

 しかし、同時に、ぼくたちは「同位体(アイソトープ)」の存在も教えてもらったはず。原子核の中の陽子の数で元素は決まるけれど、中性子の数が違うものがあって、それが同位体と呼ばれる。これは化学的な性質にはそれほど影響を与えないが、同じ元素の原子でも質量が変わる。陽子と中性子を足した数を質量数といい、同じ原子番号でも、質量数が違う同位体は、物理的には大違いである。また、同位体の中で不安定なものは崩壊し、放射性同位体と呼ばれる。

 個人的な告白をすれば、はじめて周期表を見た時、周期性の秩序に感動しつつも、「元素」という言葉の響きからするとやたらたくさんありすぎないかと不満を感じた。もちろん数学でいう素数ですら、無限にあるのだから文句は言えないのかもしれないが、同位体まで含めるとやたら多すぎて思考の枠組の外だったと認めなければならない。

 ところが、その同位体の世界を俯瞰して研究している立場の人たちというのが確実におり、森田さんのような「超重元素の錬金術師」たちもまさにそうなのである。

 お話を伺う最初の時点では、ぼくたちの共通理解は周期表だったのだが、そのうち、それでは足りなくなって、森田さんは別の図表を持ち出してきた。

   これ、核図表というんです。これまでに分かっている原子核が全部書かれてるんですね。横軸が中性子の数で、縦軸が陽子の数。縦軸の数を固定して水平に見ると、同じ元素で中性子の数が違う同位体の原子核ということになります。

 本当は1枚の絵になるんですが、でかくなりすぎちゃうので、まあ、こんなふうに分割して見ているわけです。実験核物理がやってきたのは、こういった核図表を1個ずつ、マス目を広げていくようなことなんですね。超重元素の合成というのは、その中でも、マス目を縦方向に伸ばしていく仕事です」

 核図表のマス目を縦方向に辿っていくというのは、陽子数が増えていくことであり、つまり大きな原子番号の新しい元素を発見することにほかならないわけだ。

 核図表では扱う原子核の数が非常に多い。周期表よりもかなり込み入ったものだというのは一目で理解してもらえるだろう。

・・・・・・明日に続く・・・

=== 参考資料: 日本発、アジア初___113元素発見の意味するもの ===

かつて日本でも元素を発見、そして命名した!?
今回、新元素への命名権を日本で初めて得ましたが、実は命名したのは初めてではありません。それは小川正孝(1865-1930)によるニッポニウムの研究です。1908年、小川は原子量が約100の43番元素を精製・分離したと主張し、ニッポニウムとして発表しました。

しかし他の誰も結果を再現できず、その信頼性は揺らいでいきます。それから29年後の1937年、エミリオ・セグレが米国の加速器を使って43番元素を作り出しました。ニッポニウムは幻となり、43番元素は1947年にテクネチウム(Tc)と命名されたのです。

実はこのテクネチウムに安定元素は存在せず、小川の方法では見つかるはずがなかったのです。では小川は全く間違っていたのでしょうか?小川の死後、研究資料を詳しく調べると、精製・分離したその物質はテクネチウムと化学的性質が似ている周期表直下の元素、レニウム(Re 原子番号75、1925年に独のワルター・ノダックらが発見)であることが判明しました。小川が1908年に新元素を見つけていたのは事実だったのです。

マクミランらが93番元素(ネプツニウム)を発見した1940年には、仁科芳雄(1890-1951)が加速器を用いウラン238から中性子を一つ叩き出す実験を行っています。生成されたウラン237のβ崩壊を観測しましたから、ウランより陽子が一つ多い93番元素が間違いなく生成されていたはずです。

残念ながら新元素の化学分離が出来ず、新元素発見には至らなかったのです。

一方マクミランらはウラン238に中性子を1つくっつける実験を行いました。作られるウラン239はやはりβ崩壊し93番元素を生成します。彼らはこの新元素の化学分離に成功し、世界初の超ウラン元素を発見したのです。彼らはこの新元素の化学分離に成功しネプツニウムと命名しました。マクミランはこの発見の功績により1951年にノーベル化学賞を受賞しています。

命名権はどのようにして得られる?
さて、元素の名前はどのように決まるのでしょうか。まずは研究グループが新元素発見を主張する論文を発表。その後、「国際純正・応用化学連合(IUPAC:International Union of Pure and Applied Chemistry)」と「国際純粋・応用物理学連合(IUPAP:International Union of Pure and Applied Physics)」が推薦する有識者で構成された合同作業部会「JWP:Joint Working Party」 がその論文の実験結果の信頼性を審議します。

JWPはその審議内容を記した報告書(論文)をIUPACに提出、報告書に問題がないと判断された場合、IUPACが新元素を発見した研究グループを認定するとともに、新元素の命名権を同グループに与えます。

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