【 閑仁耕筆 】 海外放浪生活・彷徨の末 日々之好日/ 涯 如水《壺公》

古都、薬を売る老翁(壷公)がいた。翁は日暮に壺の中に躍り入る。壺の中は天地、日月があり、宮殿・楼閣は荘厳であった・・・・

最古の造形; 旧石器時代の「謎のビーナス」=(1/3); 歴史深層(032)

2022-09-17 05:35:56 | 史蹟彷徨・紀行随筆

ⰧⰊⰧ Intermiussion/幕間 =狂(きょう)の出来事=平成4年09月17日<ⰧⰊⰧ

☆★ 半月前にナチスが攻め込んできたポーランドが蹂躙されるのを見て、当初の約束通りソ連も侵攻(1939年)。ナチスにやられ放しだったポーランドの人々は一瞬安堵したが、その後の展開はお察し下さい。☆★ 異端児・英雄がアメリカに乗り込み、竜巻を起こし、対ロッキーズ戦でノーヒット・ノーランを達成(1996年)。☆★ 日本から純ちゃんがやって来たのに嬉しくなった将軍様が、調子に乗って「自分が日本人を攫っちゃった、てへっ♥️」と言っちゃう(2002年)。

本日記載附録(ブログ)

現在ではクロマニョン人を、現世人類と合わせて解剖学的現代人 (AMH) と呼ぶ。ネアンデルタール人を旧人と呼ぶのに対し新人と呼ぶこともある。

ホーレ・フェルスのヴィーナスは2008年にドイツのシェルクリンゲン近郊で発見された後期旧石器時代のヴィーナス小像。初期オーリニャック文化でつくられたと考えられ、年代的にはおよそ3万5千年から4万年ほど前にあたる。

おそらくヨーロッパにかつて分布した新人であるクロマニヨン人の姿である。疑いようもなく旧石器時代では最古の美術品であり、あるいはより一般的な先史時代の造形美術としても最も古い。

【この企画はWebナショジオ】を基調に編纂(文責 & イラスト・資料編纂=涯 如水)

旧石器時代の謎の女性像「ビーナス」、何のために作られた?……

◇◆ 謎の女性像「ビーナス」、儀式の道具それとも玩具か!!? =1/3= ◆◇

 女性の姿は、いつの世でも芸術家にとってお気に入りの題材だ。それは、旧石器時代でも同じだった。

 ヨーロッパやアジアでは、旧石器時代の女性像が数多く出土しており、一般に「ビーナス像」と呼ばれている。美しく彫り込まれた紀元前2世紀のミロのビーナスに比べれば粗削りかもしれない。胸、腹、尻などが大きく誇張され、顔立ちに際立った特徴がないことが多い。

 これらの彫像は、女性をかたどる芸術の長い歴史の始まりだった。

形と大きさ
 人類は約8万年前に芸術を生んだが、最初の題材は人間ではなく、抽象的な幾何学模様のようなものから始まった。やがて身近な世界をより写実的に表現するようになった人類は、フランス南東部のショーベ洞窟の壁画のように、馬やオーロックス(絶滅した野牛)などの動物を最も好んで描いた。

 人間をかたどった作品が登場するのは、旧石器時代の4万年前から3万年前にかけてのこと。現在まで残る作品は少ないが、男性よりも女性の形をしたものの方が多い。西ヨーロッパ(ピレネー地域、フランス南西部、イタリアに集中)、中央ヨーロッパ(特にライン川、ドナウ川流域)、東ヨーロッパ・アジア(ロシア南部、東はシベリアまで)にかけて約200点のビーナス像が発見されている。

 石や骨から彫られたもの、粘土で作られたものなど、素材は様々だが、最大の特徴はそのサイズだ。どれも高さ5~25センチほどと小さく、遊牧生活をしながら持ち運ぶのに便利だった。

 ビーナス像の顔はたいてい、眉、目、鼻、口がはっきりせず、中には卵のように滑らかなものもある。目鼻などがあるものでも、特定の女性ではなく、漠然とした女性一般を表現したものではないかと考えられている。

 この時代の像がもつもう一つの特徴は、多くが裸体であることだ。それも、控えめではなく、直接的で露骨な裸体表現だ。なかにはネックレスや頭巾、ベルト、ブレスレットなど、最小限の装飾を施しているものもある。胸、腰、腹は丸みを帯びて突き出ているが、体形はスリムなものから曲線的なものまで様々だ。

 これまでに発見されている最も古いビーナス像は、ドイツのホーレ・フェルス洞窟で出土した約3万5000年前の女性像だ。高さは約7センチしかない。一方、最も新しいものは約1万4000年前に作られた。これほど長きにわたって作られたという事実は、こうした女性像が先史時代の人々にとって非常に長い間重要であったことを示している。

・・・・・明日に続く・・・

⨁⨂参考資料: ヴィレンドルフのヴィーナス ⨂⨁

 ヴィレンドルフのヴィーナス (Venus of Willendorf, ) は、先史時代の小像。「ヴィレンドルフの女」としても知られる。女性の姿をかたどった高さ 11.1cm (4-3/8インチ) の脂臀型小像で、ウィーン自然史博物館の蒐集品の一部である。

1908年に、オーストリアのヴィレンドルフ近く[1]の旧石器時代の遺跡で、同国出身の考古学者ヨーゼフ・ソンバティが発見した。この小像は、その地方では産出しないウーライト (魚卵状石灰岩) を彫刻して造られており、また代赭で染められていた。

1990年時点における、遺跡の層序に関する再分析においては、前22,000年から20,000年(約24,000年から22,000年前)に彫刻されたと推定された。小像の起源や、制作方法、文化的意味などについては、ほとんど知られていない。

この像の発見と命名以降、幾つかの類似した小像やその他の形の美術品が発見されている。これらは、まとめて、ヴィーナス小像と呼ばれている。

= 分析 =
この小像は、写実的な肖像というより、むしろ理想化された女性の姿を表している。像の女陰、乳房、膨張した腹部は非常に顕著であり、多産・豊穣との密接な関係を示唆している。小さな腕は乳房の上でまとまっており、像には明瞭な顔面がない。頭部は、組み紐の巻いたものや、目、頭飾りの一種と考えられるもので覆われている。

 ヴィーナスという綽名は、肥満体ともいえるこの小立像を古典的な「ヴィーナス女神」のイメージと比較させずにおかないが、現代の分析では異論が生まれている。「こういう小立像を皮肉にも《ヴィーナス》と名づけるのは、未開社会についての、女性についての、あるいは美意識についての、現代におけるある種の仮定にぴったりと合うのだ」とクリストファー・ウィットコムは指摘している。

同時にまた、この像を旧石器時代の古ヨーロッパ文化の地母神 (Earth Mother goddess) に同定することに対する、専門的見地からの異論もある。ある専門家は、像が太っているのは、狩猟採集社会におけるこの女性の高い地位を表すものだと述べ、また、像が、明らかな多産・豊穣に加えて、安全と成功の象徴であった可能性を示唆している。

立像の脚は、自立して立っていられるような形には作られていない。このため、像は、単に眺めるためではなく、むしろ携える目的で造られたと想像されている。ある考古学者は、この像は、太母神 (Mother Goddess) の聖像というより、単なる幸運のお守りだと言っている。

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=ヴィレンドルフのヴィーナス =

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・・・・・・山を彷徨は法悦、その写真を見るは極楽  憂さを忘るる歓天喜地である・・・・・

森のなかえ

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