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ぼたんくんとふわりちゃん

2010年10月17日、また猫と暮らしはじめました。

読書日記[45]アートと猫

2025-02-08 10:58:30 | 読書
最近集中して本を読む時間がなくて、
いろんな本をちょこちょこ読んでいて。

そんな時に読むのは
やっぱり画集や雑誌が多くなります。

最近特に本を開く回数が多かったのは
『タマ、帰っておいで』(横尾忠則)



横尾忠則さんの愛猫「タマ」が亡くなった日から
描き続けた91点の絵を、日記とともに載せた本です。


『妻に看取られて、タマ、息を引き取る。』

というある日の日記とタマを抱いている自分の絵から始まる
この本を読んでいると
愛猫がいなくなってしまった喪失感を
アーティストはこうやって昇華させるのだな、と思う。

<本文より>
2014年|8月|2日
オノ・ヨーコさん来訪。
世界を騒がす波乱万丈の人生を生き続けている人とは
思えないほどの静かなたたずまいにいつも感嘆。
死んだ猫の絵を描いた話をする。
「アート作品にするのではなく猫への愛♡を描いた」。
「それこそアートじゃない!」。


タマは愛されていたんだと確かに思える本です。

そして、
なんとなくぼたんぽく見える絵も多い気がする。






もう一冊、
『ARTcollectors'(アートコレクターズ)』の
今販売中の2月号は、表紙に惹かれて購入。



最近、全く芸術系の情報に触れていないので
載っているアーティストさんは知らない方ばかりですが
やっぱり作品を観るのは楽しい。


ここでも、ぼたんを連想させる作品を発見!



説明によると釉薬に廃棄真珠を使っているらしい。
実物は綺麗だろうな。観てみたい。



当のぼたんくんは
また動物病院に連れて行かれて
ちょっと人間不信気味。
布団の中は暖かくて安心するのか、
最近は一回入るとなかなか出てきません。



布団の中に手だけ見えた ФдФ  

読書日記[44]リルケ詩集

2025-01-21 23:49:55 | 読書
手放した記憶はないのですが
いつのまにか本棚になくなっていて、
最近無性に読みたくなった『リルケ詩集』を
書い直しました。



10代の終わりによく読んでいて
一番好きな詩を使った学校の課題は
当時すごく気に入って
たぶん今でもどこかにとってあるはず。


課題というのは、
カセットテープにリルケの詩をはじめ
いろんな本から文章を切り取って
バラバラにして再構成して自分で朗読し
カセットテープに音楽とともに録音、
その後自分で撮った写真(スライド)と合わせて映写する、という作品でした。

今だったらパソコンを使っていろいろ加工し、
音をのせておしゃれに編集できそうですが
30年以上前なので、当時は全部アナログ作業です。

大変だった〜 ( ´△`)
懐かしいです。


そんな思い出の本を
ものすごく久しぶりに読んでみたのですが
一番良いと思うのは
やっぱり当時一番好きだった『いつひとりの人間が』という詩でした。


いつひとりの人間が

いつひとりの人間が 今朝(けさ)ほど 
目覚めたことがあったろう 
花ばかりか 小川ばかりか 
屋根までもが歓喜している 

その古びてゆく縁(ふち)でさえ 
空(そら)の光に明(あか)らんで 
感覚をもち 風土であり 
答えであり 世界である 

一切が呼吸(いき)づいて 感謝している 
おお 夜のもろもろの憂苦よ 
お前たちがなんと痕跡(あとかた)もなく消え去ったことか 

むらがる光の群(むれ)で 
夜の闇はできていた 
純粋な自己矛盾であるあの闇が 


Wann war ein Mensch je so wach. 

<リルケ詩集「一九二二ー一九二六年の詩」より> 


何が良いとか、うまく言葉にできないのですが
だいたい私が好きなのは生と死を感じるからです。
最後の3行が特に好きで、何度も何度も読みたくなります。


最後はなんだか人間ぽいぼたん。


読書日記[43]雨といえば

2025-01-14 23:58:11 | 読書
昨日の雨の日も悪くないの続きで
「雨」がタイトルの本が他にもあるなぁ、と思って。


生活に深く関わる自然現象ほど名前が多い、と
風の種類を説明する本を20代の頃に読んで
東風と書いて「こち」と読むのがいいなぁと思いました。
響きも良いし、春の風というのもまた良い。

空(雲)の名前とかも読むの好きですが
私が持っているのは『雨の名前』。



雨もまた、季節や降り方で名前がとてもたくさんありますが
この本で初めて知ったのは「猫毛雨(ねこんけあめ)」。
こまかな雨を猫のやわらかな毛に例えたのだそうです。

今は冬。
雪の呼び方も多いですね。
「ぼたん雪」について前に書きましたが→こちら
語感が好きなのは「風花(かざはな)」。
晴天の空から舞うように降る雪ですね。

昔知り合いが、春の花びらが舞う様子だと思って
文章に使ってしまって直された、と言ってました。
なんかわかる、春っぽい響きかも。


そして、
ジャンルが全く違うのですが
「雨」と聞いて一番に浮かぶ本が『白い雨』(赤川次郎)、



ホラーです。
中学生の時に読んですごく面白かった。
当時、おすすめを聞かれたら迷わずこの本を教えたと思います。
赤川次郎さんの本はかなり読みましたが、
ミステリーでも短編とかにたまにある、ホラー風味の話が好きでした。

この本、大筋は覚えているけど、覚えていない部分もかなりあって
ここに載せる前に再読しなかったのですが
今読んだらどんな感想になるのかな。


*****

最後は今日のネコたち。
なぜか最近キッチンで休むようになってしまったぼたん。
片付けておかないと、お皿とか洗い直すの大変です。


夜のふわり。
今日もはるの椅子で寝ています。


読書日記[42]雨の日も悪くない

2025-01-13 23:42:13 | 読書
心理学や行動経済学の本や記事をたまに読みます。
新しく気づくことが多いし、たまに仕事に役立つこともある。
でもあまり読みすぎないようにしています。

というのも、
高校の時、友人と進路の話をしていて、
私も彼女も美術系の学校に進路を決めていたのですが
「美術以外なら、心理学を勉強してみたい」と言ったところ
「え?気持ち悪い!!!絶対嫌だ!!」と思いっきり嫌な顔をされて。
それ以来、その子とほぼ話すことなく卒業しました。

私はあまり深く考えずに言ってしまったのですが、
その反応がものすごくショックで。
あとから思えば、その子は
自分の心の中を覗かれるような想像をしたのかもしれません。

その思い出もあって、
なんか、そういうのが好きな人だと思われたくない
という気持ちがいまだに少しあるのです… (´-`)


とはいえ、気になる本はある。
今回読んだのは、『雨の日の心理学 こころのケアがはじまったら』。



ある日突然、身近な人の具合が悪くなる。
子どもが学校に行けなくなる。パートナーが夜眠れなくなる。老いた親が離婚すると言い出す。部下が会社に来なくなる。あるいは、友人から「もう死んでしまいたい」と連絡が来る。
突如として、暗雲が立ち込める。
どうしてそうなったのか、なにをすればいいのか、これからどうなるのか、全然わからない。
でも、雨が降っていて、彼らのこころがびしょ濡れになっていることだけはわかります。
そのとき、あなたは急遽予定を変更せざるをえません。とにもかくにも、なんらかのこころのケアをはじめなくちゃいけなくなる。
傍にいるのがあなただったからです。その人があなたの大事な人であったからです。
<まえがきより抜粋>



私はここ数年ひきこもり生活を続けていますが
最初が、まさにこんな感じでした。
本当にある日突然。

と、当時は思ったのですが、予兆はかなり前からあったのです。
良好な期間(晴れの日)が当たり前すぎて、
相手の雨の日に気づけなかった。
そうして、災害級の土砂降りになったときに初めて正面から向き合って、
いろんな人の手を借りて、ようやくそのことに気づきました。

なので、この本を読んでも
やっぱりあのときのあの言葉は言っちゃいけなかったんだ、とか
改めて反省する事ばかり。。。

でも言葉にすると気持ちが整理できることもあるし、発見もある。
こころが元気な時に、読んでおくと良い本だと思います。
または何かあったら読んでみよう、ぐらいでも。


ちなみに、この本のように
一般的に「雨の日」をネガティブな感じに例えることが多いのですが
私は個人的にはそんなにどんよりすることはありません。

実家が兼業農家だったので、雨が降ると
「これで野菜が元気になるぞ〜」と喜ぶ言葉をずっと聞いて育ったし
休日も、いつもは早朝からみんな畑に作業にでてしまうけど
雨の日は家族全員が家にいてくれる日、ということもあり。

夏の夕立も「これでこの後涼しくなるぞ〜!」って嬉しかったし。

でもそれから40年くらい経った今は、
雨が降ればゲリラ豪雨とか注意報・警報がでるし
夏じゃなくても雷は鳴るし、
台風が来れば土砂崩れなど災害の様子がテレビで流れて
はるもすごく怖がってしまって大変です。


まあ確かに、雨の日は濡れてしまうので、
あまり外に出たくない気持ちもわかる。

以前見つけたのは、そんなときの過ごし方を提案してくれる本。

『雨ふりの本。』(十一月、空想雑貨店。)



雨の日に泊まりたい宿や過ごしたい部屋、
または雨の日に聴きたい音楽や観たい映画、
いろんな雨の日の過ごし方を紹介しています。



20年前に買った本ですが、今見てもかわいいし面白い。
こういう本は大好きです。


長くなったので続きます。


夜、ぼたんが私の布団でめっちゃ寝てました。



すごく痩せたと思っていましたが
こうしてみると、まだまだ丸い。。。

読書日記[41]たまに哲学(?)のあと

2025-01-06 23:46:56 | 読書
前回書いた『シュレディンガーの哲学する猫』の
実存主義の話から
芥川龍之介のことが気になって、
後期の作品や手紙などをちょくちょく読んでみてたのですが

友人に宛てた手紙に、

唯自然はかう云ふ僕にはいつもよりも一層美しい。君は自然の美しいのを愛し、しかも自殺しようとする僕の矛盾を笑ふであらう。けれども自然の美しいのは僕の末期(まつご)の目に映るからである。(青空文庫『或旧友へ送る手記』より抜粋)

とあって、
なんだか似たようなことを読んだ気がする、と思って

『八本脚の蝶』(二階堂奥歯)かなぁ、と出してみた。



『八本脚の蝶』
二十五歳、自らの意志でこの世を去った女性編集者による約2年間の日記。誰よりも本を物語を言葉を愛した彼女の目に映る世界とは。(河出書房新社公式サイトより)



私が似ていると思ったのは
結局そこに行くことはできませんでしたが、でも、ここも、とても綺麗です。
明日がこないからです。
これが最後の夜だからです。
(二〇〇三年四月二六日(土)お別れ その一より抜粋)



書いてみるとあまり似ていないかな?
ただ、なんとなく私が同じことを思っただけかも。
最期に見る世界は綺麗なんだろうか、と。

ちなみにこの本を読むと
編集者だった二階堂奥歯さんの読書量に圧倒され、
感性に魅了され、交友関係に憧れます。

ただ、読み進めるにつれ
だんだんと日記に不穏な文章が増え、
聖書の記述が多くなっていく。

そしてもうすぐ誕生日を迎える2003年4月26日、
命を断つ前に5回にわたって残した文章は、
すごく胸にきます。



『八本脚の蝶』をめくりつつ考えるのは、
『シュレディンガーの哲学する猫』の中に出てくる
ジャン・ポール・サルトルの、

人間は自由の刑に処せられていると表現したい
(一部だけ抜粋しました)

と言う言葉のところ。


私は、
まだ自分で命を断とうと思うことはありませんが
何かがあって、そんな選択肢がもし浮かんだら

サルトルが教え子に言ったという

君は自由だ。選びたまえ。つまり創りたまえ。

を思い出そう、と。
誰に相談しようと思うかで未来がみえそう。

なんだかんだでほぼ初めて読んだ哲学の本、
いろいろ考えるきっかけになりました。


*****


最近ふわりは、
はるがいつも座っている椅子がお気に入り。
顔と手と足としっぽが同じところにあるのかわいい。



写真撮ったらちょっと起きちゃった。