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京の冬の旅

<1月27日の日記>
今年もまた「京の冬の旅」の時期となりました。
「京の冬の旅」と申しますのは、普段非公開の文化財が特別公開される催しで、当然のことながら毎年公開される寺社は異なります。
観光客が減るこの冬の時期、集客のために催されるんでしょうね。

パンフレットを見ると、まだ訪れたことのない寺社が2,3ありましたので詣でることに・・・。
今回参拝したのは、大徳寺大光院、西陣 興聖寺、法恩寺の3ヶ寺。



淀屋橋から京阪電車に乗って終点の出町柳まで行き、そこから市バスに乗り換えて、まずは大徳寺を訪問しました。
大徳寺自体はもう何度も訪れているのですが、「大光院」は初めてです。って言うか、初公開らしい。
大光院は、豊臣秀吉の弟、秀長の菩提寺。

見所は2つ。
1つは、伊達政宗が狩野探幽に描かせた雲竜画の屏風を、襖絵に仕立て直させたもの。
元が屏風なので、縦に筋が残っています。
もう1つは、「蒲庵」と言う黒田官兵衛好みの茶室。官兵衛の子 長政、加藤清正、福島正則の三武将がそれぞれ1つずつ石を寄進したところから「三石の席」とも称されるそうですが、その3つの石は現存しておりません。




大徳寺からは京阪電車の出町柳まで歩くつもりで、その途中で、ランチを食べたり、あとの2寺にも立ち寄る予定で計画を立てたのですが、ランチでいきなりつまずいてしまいました(>_<)
大徳寺から興聖寺への徒歩移動の途中でランチに寄れるように、「御旅飯店」って中華料理屋さんによる計画だったのですが、ホームページを見た時には書いてなかったのに、行ってみると「臨時休業」(>_<)



仕方ないので、途中ランチできそうな適当な場所があれば寄ることにし、とりあえず西陣の興聖寺を目指しました。
通り道に適当な食事場所が見つからずそのまま、興聖寺へ到着。
今回の「京の冬の旅」は千利休生誕500年と言うことで、「茶人ゆかりの禅寺」がテーマになっているようです。
ここ「興聖寺」も武将茶人、古田織部ゆかりの禅寺となっております。



ここでの見所は、4つ。
1つ目は本堂。本尊の釈迦如来像。その両脇侍である文殊菩薩と普賢菩薩の像が童子の姿をされているのが珍しかったです。
それから、弥勒菩薩像、藤堂高虎寄進の達磨像や天井の「雲龍図」も見所の一つです。
2つ目は、方丈の襖絵、って言うか襖写真? 寺院の襖には珍しく、現代の写真家が撮影した青が印象的な海中写真が採用されております。
3つ目は、手水鉢なのですが、地面を深く掘り下げて造られた螺旋状の石段のその先に設けられた手水鉢で、「降り蹲踞(おりつくばい)」と称されるそう。初めて見ました。

4つ目は、茶室「雲了庵」。廊下がやけに暖かいので床暖房でも入ってるのかと錯覚しましたが、自然の日差しのせいらしいです。そう言えば、門のところにある梅の花がもうほころび始めておりました。毎日寒いですが、春はもうそこまで来てるのかも?(^o^)




更に、興聖寺から程近く(徒歩10分くらい)の「報恩寺」へ。
報恩寺は秀吉ゆかりの「鳴虎」の掛軸で有名なお寺。



ここでの見所は3つ。
1つ目は、快慶作と伝えられる本尊「阿弥陀三尊像」と、空海作と伝えられるとても小さな厨子に入った「大黒天像」。
2つ目は、「鳴虎」の掛軸。明の時代の画家が毛の一本一本まで精密な筆致で描いた虎の掛け軸で、本物を拝めるのは正月三が日だけ。普段はレプリカが飾られております。
ただ、このレプリカも優れモノで、4Kテレビの100倍、8億画素だそう。
「鳴虎」の由来ですが、秀吉に所望され聚楽第へ持って行かれたそうですが、この虎、寺へ帰りたがったのか夜中に鳴き続け、そのせいで秀吉は一晩中安眠できなかったため寺へ戻したとか。
3つ目は、平安時代後期の梵鐘「撞かずの鐘」。仲の悪い丁稚と織子が、いくつ鐘が鳴るかで賭けを行い、負けた織子が悔しさのあまり死に到ったと言う話があり、それ以後、除夜の鐘以外では撞かれなくなったそうです。




報恩寺から京阪の出町柳駅までは徒歩30分くらい。
立ち寄れる適当な食事場所も見つからず、結局難波駅まで帰って来て、なんばウォークの「日乃屋カレー」でミンチカツカレーを食べたのでした(^^ゞ
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