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善想寺と慈照院

<1月10日の日記>
今年も今日から「京の冬の旅」が始まりました。
普段観ることのできない非公開寺院等の特別拝観です。
もう今年で53回目だそうで、単純に考えたら53年間やってるってことですよね? 僕が生まれる前からやってるんだ・・・と思うと感慨深いものがあります。

そう言うわけで、朝早くから仕事前に、久し振りに京都へ行ってきました。
今回訪れた「京の冬の旅」は、「善想寺」と相国寺の塔頭寺院である「慈照院」。

いつものように一度店に出勤して簡単に開店準備を済ませてから、梅田へ。
今回は梅田から阪急で、京都の大宮へ行き、そこから徒歩で、まず「善想寺」を目指しました。
大宮駅からは徒歩7分と書いてあるのですが、道を間違えてすぐ傍を通り越してしまったようで、実際には10分以上掛かっちゃった(^^ゞ
「善想寺」なんてあまり耳慣れないお寺でしょ? 恐らく京都に住んでる人でも知らない人が多いんじゃないかな?
「京の冬の旅」では初公開の、普段は非公開の寺院ですので。


「京の冬の旅」で訪れる寺院は、どこもそうなのですが、部署ごとに説明をしてくださる方がいらっしゃいます。
ただ、今年の「京の冬の旅」はまさに今日からで、そのせいか説明される係の人も初日の緊張もあるのかまだ不慣れで、中には説明がめちゃ下手糞な人がいます(>_<)
カンニングペーパー片手に説明してくれるのですが、声は小さいし、言葉は出て来ないし、説明要らんから静かにパンフレットを読ませて!って言いたくなるような人もいました(-.-)

「善想寺」の見どころは、平安末期の「石仏阿弥陀如来」、本尊の「阿弥陀仏」、最澄作とも伝えられる「地蔵菩薩」等々。


「善想寺」からは「空也堂」、「本能寺跡」を経由して京阪祇園四条駅まで歩きました。
因みに、現在寺町にある本能寺は、「本能寺の変」の際に全焼し、秀吉によって場所を移して再建されたもので、「本能寺跡」の石碑がある場所が、織田信長が明智光秀の襲撃により非業の最期を遂げた場所なのです。


祇園四条駅から終点の出町柳駅まで京阪電車で移動し、出町にある「餃子の王将」でランチ。
京都の「餃子の王将」はさすがに本場とあって、大阪とは随分違います。千円足らずでお腹いっぱいになります(^o^)
御飯を大盛りで注文しても料金アップはありません。
勿論、大盛りで注文しました。
ところが、御飯を切らしたらしく、今、御飯を炊いているところなので10分待ってください、と言われ、その間待ってる間に、焼きめしをサービスしてくれました。

勿論、炊き上がった白御飯も美味しく頂きました(^o^)

王将(出町店)からはまた徒歩にて、相国寺の塔頭寺院「慈照院」へ。

「慈照院」は足利八代将軍義政にゆかりの深い寺院で、その法号から取られたものです。
同じく義政の建てた銀閣寺は正式名称を「慈照寺」って言いますよね?
また江戸時代初期には桂宮家の菩提所として皇室とも深い関りを持った寺院です。
見どころは、茶室「頤神室」(いしんしつ)、桂離宮と同じ材や建築法で造られた書院、それに客殿(本堂)前の庭園です。船を象った「陸船松(りくせんしょう)」と呼ばれる枝振りのの美しい松が見事です。

それから、今回は「朝鮮通信使に関する記録」がユネスコ世界記憶遺産に登録されたことを記念しての特別展示もあります。

慈照院から京阪の出町柳駅までは、再び歩いて帰ってきました(^o^)

今日の京都の最高気温は6℃だったみたい(>_<)
寺院って庭に面して開け放たれ、暖房もないので、廊下を歩くと底冷えがして足の裏がホント冷たくなります。
京の冬の寺院拝観には防寒対策が必要ですね(^^ゞ
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