エンジョイクラス

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ミュンヘン

2006-02-11 21:10:28 | Weblog
 映画「ミュンヘン」を見ました。歴史的背景を熟知してない僕には事件を深く理解するのは難しい映画だった。

 でも、とても強く人間の本質に迫るメッセージがあった。

 僕が受け取ったメッセージは「家族への愛」だった。この映画は“報復”というものを否定はしていない。むしろ人間の本能としての復讐心を肯定するかのように映し出している。しかし、国として復讐することについては、家族と天秤にかけて疑問を投げかけているようだった。

 イスラエルの機密情報機関モサドに所属していた主人公アブナーが、イスラエル選手団11人の殺害を企てたパレスチナゲリラ「黒い九月」への報復をすることになる。首謀者全員を殺すことがイスラエルの首相ゴルダ・メイアの決定。上官エフライムの指示に従い報復という任務にあたることになる。しかし、アブナーには妊娠7ヶ月の妻がいる。任務につくことに悩むが、以外にすんなり国に従うことを決断する。
 暗殺を繰り返すことで国への忠誠が強くなり、人を殺すことにも慣れていくアブナー。しかし、暗殺を繰り返す過程で幾度も“家族”を連想させるシーンに出会うことで、自分の行いに迷いが生じることがあった。ターゲットの娘を殺しかけたこと、またその子の父を殺してしまったこと。何よりも、非政府組織の長である“パパ”との出会いが印象的。

 パパはどこの国の政府も信用せず、政府のために力を貸さない。パパは国家への不信の象徴に見えた。しかしパパは強烈な家族の象徴でもあった。パパはアブナーに言う。「家族を養うのは大変なことだ。特にうちは人数が多い。家族を養うために仕事をする君が気に入った。」(引用不正確)と言いアブナーを家族として認めていた。パパの家族には血の繋がりの無い者もいるようだった。垣根の無い家族。陳腐な表現だが、人類みな兄弟と言っているようだった。パパは国を信用せず、家族のために生きている。

 暗殺を繰り返し、人を殺すことに慣れて行くアブナー達が一貫してきたことは、国から指定されているターゲットのみを殺すこと。一切の巻き添えを出さないようにしていた。テレビに仕込んだ起爆装置が作動せず窮地に陥った時にハンス(文書偽造屋)が強硬手段に出る。この時にターゲット以外の人間を殺すことになる。この頃には、メンバーが手段を選ばない殺戮集団になっているように見えた。このままいくと、止まらない殺戮の連鎖が生まれることを連想させた。

 アブナーがバーで独り酒を飲んでいる。誘う美女。この誘いに乗るアブナー。この女性の色仕掛けに引っかかりそうになるアブナー。自暴自棄になり、家族の存在を忘れそうになっているアブナーを印象付ける。ギリギリのところでアブナーは踏みとどまり、この女性の誘いを振り切る。しかし、数時間後に女性と会っていたバーに女性を探しにいく。女性がいないことにちょっとがっかり。部屋に帰ろうとした時、カール(後処理屋)の部屋からこの女性の香水の香りがするのに気がつく。「ずるいぞカール。僕が先だったのに」(引用不正確)とつぶやくアブナー。ほぼ家族を捨ててしまったことを印象付けるシーンだった。しかし、異変に気付く。カールの部屋のドアが開いている。中を見るとカールが殺されている。あの女性の仕業。自分の身の危険と、仲間を殺された怒りを抱くメンバー。この女性の情報をルイに求める。この時はパパも同席しているのが印象的。パパの口から「この情報はタダでやる」と言われる。非政府組織の長であるパパがまるで、“自分の家族が殺されたら復讐したくなる。その気持ちは理解する”とでも言っているようだった。そして、カールを殺したオランダ人女性を殺害する。あれほど、国から指定されたターゲットのみを殺すことをこだわっていたアブナー達が、自分達の意思で、任務には関係しない報復してしまう。この後のシーン。アブナーが3人では食べきれない量の料理をする(この料理がまた家族をイメージさせる)。そしてオランダ人女性殺害時に最も冷酷だったハンスが「あのオランダ人女性の姿が頭から離れない」と言い、食事を口にしない。そして自ら命を絶つ。
 このオランダ人女性によって、家族を忘れかけそうになるアブナーだったが、最終的には自分の行っていることへの不信が深くなった。まるで、まだ1人も殺していなかったころのアブナーに戻ったようだった。

 ミュンヘンテロの首謀者と見られている、サラメという人物を殺害しようと、サラメ達がパーティーしている建物に侵入する。このサラメという人物を殺すことがひとつの大儀だった。しかしこの時、サラメ本人と確認して、スコープでも捕らえたのに、アブナーは引き金を引くことを躊躇する。最初の殺しのときに躊躇したように。そこに偶然少年が通りかかり、アブナー達を発見し声をあげる。騒ぐ少年の頭を反射的に打ち殺してしまうアブナー。逃げるアブナーの表情から、差し迫る危険への恐怖の他に、人を殺すことに対する恐怖、子供を殺したことへの恐怖が見えてくる。これを最後に帰国する。

 帰国したアブナーは英雄。国も最大級の評価をする。しかし、アブナーは自分の行いに疑問を持っている。仲間も失い、自らの意思で報復もした。同時に自分の身の危険を感じていて、自分の命と家族の命を守ろうとする。そして自分を狙うのは誰なのか。自分の国に狙われているのか、他の人間にも情報を売っていたパパから情報を買った者か。帰国して家族と再会したアブナーは、自分の家族を守ることに必死になる。妻と娘に対面し、家族愛が復活する。自分の命を狙うものを探す。パパに電話するアブナー。パパはこう言う「俺を信じるか?アブナー。俺の側から君を危険にさらすことはない」(引用不正確)と告げて電話をきるパパ。この時のパパは、自分の家族を守る。アブナーを家族と認めたパパはアブナーの命は狙わない。家族を守ることに徹するパパは、国と政府を信用しない人間。アブナーは自分の家族を守ることを学び、国へ不信を抱いたように思えた。

 最後のシーン。上官エフライムがアメリカに住んでいるアブナーに「君に危険をさらすことはない。約束するから国へ帰って来い」(引用不正確)と言う。アブナーは「あなたを遠来の大切な客として私の食卓に招待する」(引用不正確)と返答する。アブナーは国へ帰ることを否定し、食卓へ「忠誠心の塊エフライム」を招待することで、エフライムにも国のしている過ちに気付いて欲しいと願っているようだった。そして、イスラエルによる報復が止まることも。エフライムにアブナーの思いは伝わっていたように感じた。心に響いていて、エフライムは食卓に招かれたいと思っていたのではないか。口では断りその場を去る。この時のエフライム役ジェフリー・ラッシュは最高の演技をした。表情と間だけで、「本当は国の過ちに気がついている。それでも私は立場上、断らなければならないのだよ。」と語っているようで、去る時の背中で「アブナーがうらやましいよ」と言っているようだった。僕の主観も強いが。
 アブナーが料理上手という設定も、この時に強いアクセントになっていた。アブナーの食卓は「最高の家族の食卓」というイメージが膨らんだ。作品を通してアブナーの料理には家族の匂いがしていた。

 家族というテーマが作品の至るところにちりばめられている。報復・血・民族・殺人などが常に家族と天秤にかけられているようだった。

 悲惨なテロによって、家族を失う。家族を失ったことにより芽生える復讐心については否定しがたいものがあるが、報復の連鎖は家族を失い続けることになる。血が繋がっている、他民族である、ということは関係なく自分の大切な人を家族と同じに扱うという感情がある限り、家族を失うという悲しみと怒りは消えない。自分の家族を想い、立ち返れたときに、怒りと悲しみを癒すことができるのではないか。家族には、激しい怒り・否定しがたい復讐心・深い悲しみを抱擁する力があるのではないか。
 
 僕はこんなメッセージを感じたのだった。

2 コメント

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Unknown (yuta)
2006-02-11 22:00:42
素晴らしい!

文章の構成も、文句がありません(えらそうに…。)。

完璧な批評文です。

こんな素晴らしい文章が読めて、幸福です。



エフライムの真意、には異論がありますが。

というのも、アブナー-エフライム-ツインタワー、というラストシーンには、いろんな解釈を許す余地があると思うからです。



とにかく、良かった。

うれしい。

ありがとう。

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Unknown (boban)
2006-02-12 03:58:09
ぐらっちぇぐらっちぇ。



そうだね。色んな取り方があって然るべきだと思います。そういう作品だし、そういうシーンでした。



何かを感じようとすることは、体に良いことですね。
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