愛しのリビヤ

日本からの訪問者がそれほど多くないリビヤに滞在する機会を得た。そこでその経験を記録することにする。

イスラム世界の葬式

2003-12-09 12:25:59 | リビヤ
イスラム教徒の葬式はどのように行われるのか、諸君は興味があろう。そこでそれを説明したいと思う。
滞在8月余で4件の葬儀を目撃した。最初は事務所1つ南筋の道路のど真ん中でテントを張っていたのだが、それが葬式だとは知らずに見過ごしていた。それが葬儀だったと知ったのは、2件目のときであった。
それは、我々の工事金支払いの要であるGMRAの資金部の局長夫人が亡くなり、葬儀に参列すべくラジックさんに連れられて出席したときである。会場は市内のほぼ中心と思える場所で、通りに車を置いて細い路地を入るとそこに空地があり、手前に周りを囲んだやや小さめなテントが、その奥には大きなテントが張ってあった。それは運動会で使うテントを10倍くらい大きくして三方を白い布で囲んだものと思っていただきたい。
大きい方に案内されて中に入ると、白のプラスチックの椅子がテントに沿った外周と、内部は背中合わせにして3~4列並べてあった。ラジックさんに促されて更に中に進むとほぼ中央に喪主である局長が来客と挨拶を交わしていた。
またまた、余談になるが、重要なことなので是非紹介しておこう。それは、アラブ流の挨拶法である。アラブ人あるいはイスラム教徒同士であれば、まず握手をして互いの頬を交互にすり合わせるのである。そして、右手を自分の胸に当てて軽くお辞儀をすれば、あなたも彼らの仲間入りである。手を胸に触れるのは相手の幸運が自分にももたらされるようにとの意味合いなそうな。だからといって喜んで女性にも同じことをすればどのような仕儀になるかあなたにも容易に察せられよう。我々日本人は男女を問わず単に握手をするだけである。もう少しなれてくれば、手を胸にあてることも自然にできるようになる。
ラジックさんは以上のような正式な作法で挨拶を交わしていたが、我々は単に悔やみをいい、喪主に握手してラジックさんの後を金魚のアレのようにぞろぞろついて行っただけである。我々4人(S氏、ケントン氏、A氏、それに小生)は、空いている椅子に腰を下ろして、小生はさあ何が始まるのかと興味津々の面持ちで待っていた。
ところが、待てど暮らせど一向に何も始まらないのである。手持ち無沙汰で回りを見ると、弔問客が次から次と来て、彼らもまた腰をおろして何するでもなくじっとしている。都合200人以上いたであろうか。暫くすると、リビヤ人のムサイ若い男が小さなコップを盆にのせて何やら弔問客に振舞っている。小生は飲まなかったが、恐らくあの甘いあまーいハッカ入りの紅茶と思われる。飲んだ後も何をするではなく世間話をして帰る人までいる。また、マイクで何やらキャッチバーの呼び込みのように叫んでいるのが近くから聞こえてくるのだが、悲しいかな、アラビア語であるためさっぱり分からない。英語なら100%(・・・・)理解できるのだが。
正直に告白すると、不遜にも小生は心わくわく期待していたのである。それは何か。それは生、(不適当な言い方と非難するのであれば言い換えてもよい)直にコーランを聞けるのではないかと。ところが、アラーの神は見事にその期待に応じて下さらなかったのである。
結局、30分余何をするではなし、ラジックさんが頃はよしと判断したのか、そのまま席をたってまた金魚のアレよろしくぞろぞろと各人帰途についたのである。こちらへきてからあれほど気抜けしたことはない。まだ、日本の通夜の方が宗教的にましに思える。
帰り道でラジックさんが説明してくれたのでは、こちらの葬儀は1週間ほど続くが、家族だけで行う密葬?が3日あるそうである。それで余り悲しそうな家族や弔問客がいなかったわけである。
しかし、一つだけ面白いことを聞いた。それは、先に説明した、手前のテントの正体とキャッチバーの呼び込みの意味である。小さい方のテントはご婦人方専用で、かの呼び込みは「○○の旦那さんが今から帰るので、後はヨロシク~」とかなんとか案内していたのである。要は宗教上の問題から男女7歳?にして席同じゅうできないので心憎いばかりの演出である。
3回目は事務所から3軒隣の葬式であった。そのときは既に参列の経験をもっていたので、道路にテントを張っているのを見て、あそこは葬式なのだなとすぐに分かった。その家では1週間ほど通夜のようなものが行われたのだが、その間の夜は事務所の前は車の駐車で一杯であった。しかし、一度もコーランが聞こえてこなかったように思う。

(3軒隣にあった葬式、奥のテント内が式場)
葬式の話があるのだから、当然結婚式の話題があってもしかるべきであるが、残念ながらそれに参列したこともなければ出くわしたことがない。たった一度だけ、外出した折、交差点で停車したときに隣に同様に停まったのが、リボンや花で車体を飾ったベンツを見たきりである。それには花嫁、花婿は乗っていなかった。