このとき私は自宅にいた。
部屋の照明を落として薄明かりにした。
テレビもついてないし音楽も鳴っていない。
ソファーに体をまかせて両目を閉じた。
できるだけ全身の力を抜きリラックスする。
よけいなことを一切考えない。
ゆっくりと落ち着いて呼吸をする。
閉じたまぶたの裏側で、
視覚に頼らず脳内で見える広がりがある。
暗く静かで穏やかな空間。
遠くの正面の一点に小さな光が見える。
その光点が急速にこちらに接近し、大きな光になる。
目の前いっぱいが一転して明るすぎる世界に変わる。
このとき、私の意識は覚醒したまま睡眠に一歩近づく。
フッと、一瞬で再び静穏な暗黒に戻る。
また遠くから光点が近づいて眩いばかりに白くなる。
再び、私の意識は睡眠にまた一歩近づく。
しかしそれでも眠らずに起きている。
これを何度も繰り返す。
意識がどんどんと沈んでいくのがわかる。
繰り返すうちにそれ以上意識が沈めないところまで到達する。
そこは、半眠半覚の不可思議な意識がただよう世界。
すべてが真白いところから、
目標とする相手を強く意識してみる。
真白い中から、別の情景が現れる。
どこだろう、何かの建物の廊下が見える。
そこに誰かがポツンと立っている。
それはきっと、
私の目指すターゲットのはずである。
最初はすごくボンヤリしていてはっきり見えない。
徐々にいろいろと見えてくる。
そしてそのうち、細部まで見えるようになってくる。
よく見えないときは、ボンヤリしたままだが、
よく見えるときは、目覚めて肉眼で見るよりも細かく見える。
気味が悪いくらいに。
今夜はそのどちらでもない。その中間のような感じだ。
私は、自分自身のことを、
この手の裏家業の人間たちの中では、
かなり異色のタイプではないかと感じている。
私は基本的には「見えない人」なのだ。
私は生まれてこのかた見えるはずのないものを見たことは、
まったくない。
恐ろしく当たり前のことをいっているが、
そうとしか表現できない。
同業の人間にはいろいろと余計な何かが見える者がいる。
しかし私は、
師匠やカゲたちとはコンタクトはかろうじてできるが、
彼らの姿でさえ見ることはできない。
ましてやほかの何かなど全然見ることはできない。
それと、
師匠やカゲたち以外の者との意思疎通は、原則としてできない。
例外はある。
私のことを強烈に意識して何かを伝えようとする者からは、
その何かを感じることはできる。
私がいままで知ることのできた同業者たちは、
私からみると驚くばかりの能力を有する者が多かった。
例えば、
見えるはずのないものが何でも見える者、
聞こえるはずのないものが何でも聞こえる者、
自分の霊体を飛ばしたいところに飛ばして自由に見れる者、
意識を覚醒したまま異世界の有り様を見ることのできる者、
意識を半眠半覚の状態にしてあらゆる異世界を闊歩できる者、
いろいろなタイプがいた。
生き霊を自在に飛ばして私の自室をのぞき、
お前のマックにはワードのソフトが入ってないとか、
PCのキーの隙間のホコリが多いなどといわれると、
これはネットでレスのやり取りをしながら文字にされるわけだが、
はっきりいってとても腹が立つ。
このような者には、当然トイレや風呂やそれ以外ものぞかれる。
私見ではあるが、あくまで認知能力に限っていえば、
覚醒した意識のままで、
つまりこの物質世界に意識を置きながら同時に、
異世界での自分や周囲の状況を見聞きして知る者こそが、
最も高等な能力者といえるのではないだろうか。
わけのわからない妙な技術をもっていなくても、
すべての人間は、寝てる間に異世界にいったり、
覚醒している間でも自分の霊体を飛ばしたりしていると思う。
ただ、それらの出来事を覚醒した意識で覚えていないだけだ。
この世とあの世との意識が連続していないだけ、ともいえる。
この世とあの世の意識を連続させ、同時並行させる者こそが、
本来は、最も驚くべき認知能力者ではないかと思う。
私はこの裏家業に入るのは成人してずっと経ってからだった。
かなり遅い方ではないだろうか。
能力的にもできることよりできないことの方がたぶん多い。
私は、師匠にさんざん霊体離脱を早く覚えろといわれ、
練習不足なのか素質不足なのか意欲不足なのかわからないが、
覚えろといわれた時期に覚えなかった。
結局いまだにしっかりとは会得できないでいる。
上記の半眠半覚はいわば不完全な霊体離脱もどきといえる。
それと私は、瞑想を一切しない。
しようと思ったことさえない。
これはかなり変わっているらしい。
能力開花のきっかけが瞑想であるという者が多いようなのだが。
これはひとつには、
現実世界において、私が誰も師を持ったことがないことと、
どの宗教にも関わったことがないことが、
大きく関係している。
ほとんどの者は、僧に瞑想を教わったり、
先輩の黒魔術師に手ほどきを受けたり、成書を読みふけったり、
教会で敬虔にお祈りをしたり、
とにかく既存の宗派ないし術派の影響を受けている。
私にはそれらが皆無なのだ。
師匠は一時期、私のことを、
こいつはモノにならないとサジを投げたことがあったらしい。
それで仕方なく別の方法を私に教えた。
自分の分身をコピーしてたくさん増やして使ってみろ、と。
それで私はコツコツと自分のカゲを生み出すことにした。
最初はひとり、もうひとり、5~6人、10人くらい、
それが20人になり、数十人になり、百人を越えていった。
私は自分が生んだカゲに、部下を必要なだけ生む権限を与え、
カゲがカゲを生んでいった。
私のカゲたちは、いつしか無数の膨大な数になり、
私は特性や能力ごとに専門部局制を導入し、組織を作った。
そして、
それらのシステムと化したカゲたちを運用する方法を覚えた。
私は異世界での戦いにおいて、
カゲたちに矢継ぎ早に指示を出しているが、
異世界における敵の姿などほとんど見えてないし、
こちらの攻撃も相手の攻撃も特に目の当たりにはできない。
ただ、
実戦経験の蓄積に裏付けされた勘のみに頼って、
カゲたちに指示を出しているにすぎない。
現在の私のスタイルは、
私が能力的に不完全で足りないものばかりだったからこそ、
その欠点を補うために苦肉の策として編み出されたものだ。
さらにいえば、
高い認知能力を有するものには、ある落とし穴があった。
他人に見えないものが見えるがゆえの落とし穴だった。
異世界を自在に見えるものは、
見えるがゆえに、見えたものを信じてしまう。
だが、
異世界というのは、この世よりはるかに、
見た目のウソや偽りにあふれたところであって、
見えるがゆえにかえって騙されることも多いのだ。
私は意識しては見えない分、
それを洞察や推察や分析や予測などで補った。
私の場合、これがむしろ幸いした。
見える相手には、こちらからウソを見せてだます、
これは何度も使えたし、今後も有効なはずである。
例えば敵に私が重傷を負っている姿を見せておいて、
その隙に私は別のところで別の目的を果たしたりする。
見える者は見える情報を元に判断して動き、
自分が見えていないところでの出来事に意識が向きにくい。
それに対して私は、
見えないところのあらゆる見えないことを洞察し、
より広い思考野をもって動く。
考えてみれば、この世あの世を問わず、
見えることよりも圧倒的に見えないことの方が多いのだ。
いつしか見える能力者に対し、私は先手を打てるようになった。
認識の広さが違うからこそそれが可能となった。
このように、
私は見えないことを逆にアドバンテージに変えてしまった。
とても逆説的だ。
私のカゲが私にたまにいう。
「能力的に障害があったのによくぞここまで・・・」
はっきりいって余計なお世話である。
この場を借りていいたい。
ハンディキャップ、つまり、
何らかの能力的ないし機能的な障害を持つ人たち、
何らかの深刻な欠点に悩む人たち、
他人の長所をうらやみ自分の凡才を恨む人たち、
それらすべてのあらゆる人たちにいいたい。
あきらめるな!
やり方次第では必ずや短所は長所になりうる。
欠点を補う創意工夫で知らぬ間に周囲を凌駕することもある。
発想を変えればマイナス要因はプラス要因に転化できる。
絶望は気持ちを切り替えれば希望になりうる。
本来なら私よりも能力特性が上であるはずの者たちが、
この数年間、次々と私に狩られていった。
山ほどの自称最強や自称最高を私は制した。
彼ら彼女らは、おごった時点で結果的には終わっていた。
おごりゆえに想定できなかった負け方をしていった。
反対に私は、
毎日毎夜自分には足りないものがあると常に考え、
いかに現状の自分から脱皮できるか工夫を重ねて努力した。
皮肉なことだ。
「なぜわかった!」
ある者は倒されるときにいった。
「お前にわかるはずがない!」
これも余計なお世話である。
私はこの裏家業では「座頭市」のようなものだ。
相手が私を盲人であると侮った時点で、
すでに私は一本取っている。
話の脱線が長くなった。
私はしばらくの間、
目標とする相手がしっかり見えるようになるのを待った。
その間、その建物のその廊下の情景の中で
私以外のすべてが動かなかった。
相手はピクリともせず、周囲の誰かも微動だにしなかった。
廊下の窓の外の風景も動かない。
毎回そうだ。
私は意識を眠りの少し前に潜らせたときはいつも、
私以外のすべてが絶対に動かない。
そこでは、私ひとりに自由がある。
ここから私は、さらに自分の特性を思い出すことになる。
相手の体が透けて見え、
全身の内部の血管や神経がはっきりとわかる。
あらゆる臓器もあらわになっている。
痛みの急所である胆管や尿管もわかる。
もちろん、
脳の構造や脳の血管もすべて・・・
それこそ手を伸ばせば触れるくらいに・・・
私は右手にあるものを持っている。
それは一本のメスである。