ともちの小さなGLOBE

人生は一期一会のLong and winding road。小さな地球儀をめぐる日々をブログにしました。

はままつ東北交流館がオープン

2012-04-21 21:22:55 | 徒然なるままに
今日は、4月16日にオープンしたはままつ東北交流館を尋ねます

館内で大船渡ボランティアのメンバーとも再開し、懐かしい時がを過ぎていきます…

はままつ東北交流館のHPは↓
http://www.venus.dti.ne.jp/akahori/koryukan_access.html#
多くの方々が訪れる事を願っています


交流館は、震災から1年が経ち、人通りの多かったモール街からの移転
新しい場所は住宅街のマンションの2階

エレベーター利用の案内があるけれど、階段を登れば入り口はすぐそこ

被災者のコミュニケーションの場の提供と東北物産を扱っており、子供達の遊び場も提供




東北物産品も販売しています


、、、思うことが一つ…

去年の6月に大船渡に行った時は、世界中からのNGO団体や善意の支援物資、そして官民あげての協力に強い絆を感じたのも事実…日本もまだまだ捨てたものじゃないと・・・

そして今を見るときに、瓦礫の受け入れに難色を示す地方の姿… 困っている仲間を助けるのは当たり前だろう…
あの時感じた””は何だったのだろうか…

少なくとも震災直後の日本人の凛とした姿勢は紛争だらけの世界の中でも範となるものだったと思う。
事実、世界中の訪れた国々の方々から、震災に対峙した日本人に対する賞賛の声を聞いた…

浜松市からの援助も終わり、交流館は市中心部から離れた露出の少ない住宅地へ
1年が過ぎればそれでいいのか…震災の記憶は風化しないのか…
未曾有の大災害に対峙する地方行政と、その根幹にあるべきPrincipleとは何なのか…
来るべき震災での被害を最小限に止める事は、地方行政の大きな目的である事は疑うべきも無い
それならば、近々の震災の記憶を風化させない手段を講じるのが自明の理
行政であってもビジネスであっても行動する時の、いろはの「い」の字は「目的」と「手段」を明確にすること
手段を具体化するには市民への露出の多い、市民施設に置くのが道理と思う

浜松市も近い将来確実に震災に見舞われるかもしれない
果たして、その時に凛として現実と対峙できるのだろうか…
 
昨今のマスメディアでは、地方の時代が持て囃されているけれど、大衆受けする個別最適の価値観の押し付けが見えてならない…

”が風化しないことを願ってやまない



東北交流館が移転オープンして、早1ヶ月…

この間のニュースを振り返れば、九州では、被災地の瓦礫の受け入れを拒否して市民団体が座り込み…馬鹿じゃないのか!!!
放射線の検査をしての受け入れすると言うのに…

ある馬鹿者は受け入れ量が少ないから意味が無いなどとも言う…

量の問題じゃないだろう!!
助け合う気持ちって何なんだ… 困っている同胞を助けられなくて何が世界に誇れる日本人の絆なのか…

正直言って、座り込みをやった連中は、自分の事しか考えられない自己主張のみの人間か…
自由平等、自己主張は良い事だ… USAは自由の国… しかし、USAでこれをやったら恥さらし呼ばわりだ
あんなニュースを見ると、少なくとも、アメリカ人の方が同胞を助ける気持ちは強いと感じざるを得ない…
国歌斉唱をしない教師の居る日本… どんな草レースでも国歌斉唱で始まるUSA

自由を履き違えた日本人の心は何処に行ってしまうのか?