国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

かつて和歌山駅裏に、貨物駅を設置する計画が有った?

2021-08-31 21:35:57 | JRと労働問題

かつて和歌山駅裏に、貨物駅を設置する計画が有った?

和歌山駅は、現在和歌山市のJR側窓口として長らく発展してきましたが、実は和歌山駅東口側に当初の予定では、貨物操車場が広がる予定となっていました。 しかし、その計画はその後再度見直されることとなるのですが、今回は当初の和歌山駅改修計画と言うことで、その当時の計画をアップしようと思います。
 

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第5代国鉄総裁 石田礼助とは 第10話

2021-08-31 08:04:15 | 国鉄総裁

気がつけば、1ヶ月以上明けてしまいました、今回も石田礼助総裁のお話をさせていただこうと思います。

石田礼助総裁は、昭和39年度の予算で400億円復活と国鉄基本懇談会の設置が行われ「頭をなでられたわけです、とてもこんなことでは国鉄としての使命を尽くすことは出来ぬ」と左手を腰に当てて世を反らせて、代議士たちを正に睥睨しての発言であった」
と、粗にして野では書かれていますが、昭和39年2月7日の衆議院運輸委員会第五号に、その当時の運輸記録が残されていますので、参照してみたいと思いますが。

この質問に至る背景には、田中織之進議員【日本社会党・左派】が、政府の国鉄に対する取り組みについて、総裁としてどのように考えているのかという質問から来たものでした。

そこで、石田総裁は以下のように述べたそうです。
以下、長くなりますが誤解の無いようにするために全文引用したいと思います。

○石田説明員 お答えいたします。
 御承知のとおり、国鉄は戦時におきましてだいぶ打ちこわされた。戦後においての修理というものも、ようやくほんとうに真剣にかかったのは昭和三十二年からです。それまでというものは、ほんとうの寡少資本の投資によって十分の修理もやらなければ、また輸送力を増強することもやらぬ。一方に経済というものはしんしんとして発展いたしまして、輸送需要というものは非常にふえてきたというようなことで、第一次五ヵ年計画では主として修理の問題、輸送力の増強というものもありますが、これはきわめてわずかなものです。それをやっておるうちに、とてももう追っつけないというようなことで、途中で第二次五ヵ年計画というものを立てまして、それが四十年に完成すると、そこにおいて輸送力の増強というものも相当にやるということになったのでありますが、いろいろの財政上の都合で三十八年度までには六割を完成しなければならぬのがようやく四割しか完成しない。そこで、こんなことではとても国鉄としては輸送使命を遂行することはできぬ。一方に世界にも珍しい過密ダイヤのもとに運転している。したがって、あやまって事故でも起こるというと、連鎖反応によって大きな事故になる。ここにおいて何とかひとつやらなければならぬということで、私は国鉄総裁として総理大臣に対して第二次五ヵ年計画はあと三十九年と四十年の二年しかないのだから、その間に残りの六割をぜひ完成するようにしたいので、予算をぜひ考えてもらいたい、こういうことでお願いしたのでありますが、御承知のとおり財政投融資その他において千億ばかり打ち切られた。三拝九拝の後、ようやく債務負担というような、ことしには金の使えない、来年になってようやく金の使えるようなもので四百億円、そのほかに百億円というようなことで、頭をなでられたわけです。とてもこんなことでは国鉄としての使命を尽くすことはできぬ。この改善策を一体どこにわれわれは求めるか、こういう問題であります。

国鉄としては、それまでも少ない予算をやり繰りしてきた、第二次五カ年計画も計画の半分を過ぎたが未だ、4割であり残り2年で実行するための予算を請求したのに、債務負担行為として400億円、他に100億円が認められたとしていますが、大いに不満が残るとしています。

ここで、債務負担行為について解説を加えさせていただきますと。
債務負担行為とは、会計年度を跨いで事前に予算を確保すると言う意味合いのものです。

例えば、自動車を購入するのに現金で買いたいのですが、手持ちの現金が200万円しかなく、購入したい自動車が300万円の場合、200万は現金で払って、残り100万は来月払うと言う約束をして車の引渡を受ける、そんなイメージです。
国や地方自治体の会計では、債務負担行為は次年度の予算で支払いを確定させてあるものであり、予算を他に流用することは出来ません。
ですので、総裁としても枠として純粋に財政投融資などから受け入れられたわけではなく、借金の先送りのような方法で、決着をつけさせられたことに対して、不満があったと思われます。

さらに、石田総裁は、国鉄の輸送力増強工事は、所得倍増計画と対をなすものであり、こうした国鉄の改良計画などは、「国鉄ばかりでなくて、大蔵省、通産省、それから国会議員その他の方々に入っていただいて、政府の案として計画を立てるように、そういう意味からして委員会をひとつ設置していただきたい」という風に、国鉄だけが長期計画で輸送力増強等しているわけではなく、政府全体の問題として取るあえげるべきだとして、堂々と語っています。

このように、石田礼助総裁の答弁は、官僚出身でないことで、所謂、しがらみがないという点で良かったわけで、石田礼助総裁も指摘しているように、経済成長と国鉄の輸送力増強はセットであり、改めて国の政策として取り上げるべきではないのかという極めて正論を述べています。

しかし、政府の考え方は引き続き、国鉄に対しては冷たいものでありました。
結局、総裁は昭和40年度を初年度とする長期計画を立てることになりますが、それにより更に国鉄の財政は追いやられていくことになるのですが、その辺は改めてアップしてみたいと思います。

以下で、今回の運輸委員会の議事録全体を読むことが出来ます。

併せてご覧ください。

第46回国会 衆議院 運輸委員会 第5号 昭和39年2月7日

 

 

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知鉄話 日本国有鉄道史 戦後の混乱期から、講和条約の発効までのお話し

2021-08-30 00:00:23 | youtube

知鉄話 日本国有鉄道史 戦後の混乱期から、講和条約の発効までのお話し


今回の国有鉄道史は、昭和25年に勃発した朝鮮動乱と、その後の講和条約に関して、支持政党社会党内の全面講和か部分講和かでもめることとなり、その支持基盤を巡って組織内分裂を生じることとなりました。

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関門トンネル建設までの経緯

2021-08-27 08:42:44 | youtube

 

関門トンネル 概要

関門間をトンネルで結ぶ構想は、古くは明治まで遡るそうです。

調査の結果、困難は伴うが不可能ではないとして、トンネル案と橋梁案が比較検討され、国防上の観点からも、トンネルが有利となりました。
その後、トンネルのルートについても種々検討された結果、現在のルートに落ち着いたと言われています。工事は初めてづくしであり、特にシールド工法は、全て国産の技術で賄うなど、その後の国鉄技術の発展には大きく寄与することとなりました。
太平洋戦争中の昭和17年7月から貨物がトンネルを通過し、11月からは旅客車もトンネルを通過することとなりました。

関門トンネルは、明治時代に 計画されていた?

下関と門司を結ぶ関門トンネルは、昭和17年7月に下り線が、昭和19年8月には上り線が開通していますが、関門トンネルの構想は古くは、明治29年第5回全国商業会議所連合会が博多で開催されたときに、本州と九州を海底トンネルで結んだら軍事上も商業上にも有益だとして、帝国議会に請願したのが始まりと言われています。
この時は、具体化されませんでしたが、積極的にこの案を取り上げたのは後藤新平で、明治45年、鉄道院技師岡野昇により、彦島を経て大瀬戸海峡をトンネルで横断する経路が調査されたそうです。

大正2年1月には、トンネル断面を単線として、シールド工法または沈埋工法であれば建設は可能という結論に達したそうです。
ただ、東大教授神保小虎の調査によれば、トンネル通過地点は地盤が軟弱であるという報告がなされ、鉄道院内でもその結論は中々出せなかったっといいます。

京都帝国大学理工科大学教授、田邊朔郎(画像wikipedia)

そこで、鉄道院では、京都帝国大学理工科大学教授であった、田邊朔郎を欧米に出張させて地質調査や海底トンネルの工法などを調査させることとし、帰国後関門区間は地質に困難はあるが工事は可能という判断に至ったそうです。(敬称は全て省略させていただきます)

橋梁かトンネルか?

田邊朔郎の報告では、建設は可能で工費は約1300万円(大正時代の1円が4000円程度だそうですので、現在の価値で520億円程度)とされています。
また、小樽港外洋防波堤等数多くの土木建築で名を残した東京大学教授の、廣井勇(ひろいいさみ)に橋梁の場合の調査を依頼、その結果、下記のような橋梁で工費は2200万円(880億円程度)と言う報告があったそうです。

東京大学教授廣井勇 画像 wikipedia


比較検討の結果、費用の点並びに国防上の点で有利であるとして、トンネル案が採用されることとなりました。
大正8年6月~9月にかけて、連絡路線の実地調査を行い、大正9年7月~10月まで関門海峡の海底地質調査が行われ、着工間近かと思われましたが、大正12年9月1日の関東大震災復旧の資金を割かねばならず工事はいったん中止となったが、関門間の輸送は増大して、昭和10年、当時の鉄道大臣内田信也により現地の視察が行われた同年6月には関門隧道技術委員会を設置、翌昭和11年7月15日には下関改良事務所が設けられたそうで。9月19日には、門司側小森江で起工式が行われたそうです。

鉄道大臣内田信也 画像 wikipedia

関門トンネル起工式 画像 wikipedia

困難を乗り越えて

シールド工法も国産のものを使用するなどして、工事を進めたそうですがかなりの苦労はあったようです、当時のシールド工法では、シールドを構築する前に水がトンネルに入ってこないようにシールド全体に圧力をかけながら行うのですが、地盤が軟弱(貝殻層)では、空気が地表に吹き出していたと言われています。また、覆工が不足して漏水も多いといった問題等もあったようです。
このような苦労を重ねた、トンネルは戦時中と言うこともあり、突貫工事で行われ。
国民勤労報国協力令に基づく、勤労報国隊の青年、更に昭和19年には学徒動員による工事の応援を行ったそうですが、戦時中だけにそうした話が表に出ることは無かったとも言われています。

待望の上り線も開通

関門トンネルの下り線が開通したのは、昭和17年6月11日から試運転が開始され、7月1日から正式に使用が開始されたそうです。

画像 wikipedia

旅客営業は、同年11月15日から開始されたそうです。
関門トンネルは、貨物輸送がメインですので先行して、昭和17年7月1日から貨物が営業運転を開始しています。 同年、11月15日には、旅客営業が開始されます。

注:特急富士は、関門トンネル開通に伴い昭和17年11月15日から運転区間を東京~長崎に延長します。
その後戦争の激化により、昭和19年4月1日、特急富士は運行を中止に追いやられます。
昭和19年には、上りトンネルも完成するのですが、戦時中と言うこともあり、人員が不足しており、工事末期には、勤労報国隊の出動を仰ぐとともに、昭和19年4月からは、決戦非常措置要綱ニ基ク学徒勤労動員ニ関スル件により、学生報国隊も工事に携わることとなりました。 こうした懸命の努力により、6月15日にレール締結、7月に電気関連の工事を完了させたと記録されています。同年、年8月8日についに上り線トンネルも開通。
その後、不具合が多かった下り線トンネルの改修工事を行うこととなり、すべての列車の運転を上り線トンネルに移しておよそ1か月にわたって下り線の運転を休止、補修作業を行ったそうで、9月9日に複線での運転が開始されたそうです。

参考記事 戦時中に発令された、学徒動員令

戦時中に発令された、学徒動員令

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グリーン車のお話し 第7話 今回は急行用グリーン車のお話しを中心に

2021-08-24 23:23:46 | youtube

グリーン車のお話し 第7話 今回は急行用グリーン車のお話しを中心に

今回は、サロ151を中心に特急形グリーン車のお話しをさせていただきました。
サロ151~サロ181までのお話しです。

 

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知鉄話 日本国有鉄道史 戦後労働運動の台頭と2・1ストライキの話

2021-08-22 23:23:33 | youtube

知鉄話 日本国有鉄道史 戦後労働運動の台頭と2・1ストライキの話

弊blog日本国有鉄道史でアップしている、日本国有鉄道史の動画版です、こちらはblogとも連携を図っていますので、blogも併せてご覧いただくと幸いです。 今回は、2・1ストライキ前後の話などを中心にアップさせていただきました。
 

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知ってた?関門海峡に国鉄の連絡船があったこと、

2021-08-19 23:36:19 | youtube

知ってた?関門海峡に国鉄の連絡船があったこと、

連絡船といえば、JR発足後直後に青函連絡船と宇高連絡船が相次いで廃止され、現在ではJR西日本が運行する宮島航路くらいですが、その昔新幹線開業後も、下関~門司港間で関門連絡船が運行されていました。
貨物輸送は、昭和17年の開通時に廃止になっていますが。旅客航路は昭和39年まで運行が続けられました。
当時の資料などを参照しながら、その昔存在した門司港と下関を結ぶ青函航路について迫ってみたいと思います。

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鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 日本国有鉄道史 国労の誕生

2021-08-17 08:30:20 | JRと労働問題

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 日本国有鉄道史 国労の誕生

日本国有鉄道史、国労の誕生の背景などについて動画に纏めさせていただきました。
戦後は、GHQの指示により民主化の一環で労働組合の設立が指示され、国鉄としては戦前の官制の組合(鉄道連絡会)を設立することを画策しますが、国鉄部内からも不満の声が出て、この案は立ち消えとなります。
その後、職場単位で、更には地方単位で結集した労働組合はやがて、全国単位への組合へと統合していくのでした。

 

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鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 公安官の制服の話

2021-08-15 11:20:41 | 国鉄思いで夜話

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 公安官の制服の話

今回も鉄道公安官に関するお話し、第3回目になります。
今回は、公安官の制服並びに装備品に関するお話しが中心になります。
警察官のけん銃は、多岐にわたっていましたが公安官のけん銃は1種類のみ、基本は携帯せずに雑踏警備などに当たっていたそうです。
それでも、年何回かは射撃の訓練もあって、私が和歌山県警に在職していた頃には、時々鉄道公安官による射撃訓練が行われていたと聞いたことがあります。

他にも鉄道公安官の胸章と警察官の階級章についてもお話をしています。
是非ご覧ください。

 

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え?まさかの大駅だった和歌山駅(現・紀和駅の話)

2021-08-14 10:40:21 | 国鉄思いで夜話

え?まさかの大駅だった和歌山駅(現・紀和駅の話)

本日は高架線にぽつんとある小さな駅ですが、かつては東は紀伊中ノ島駅まで、西は駅舎から300m先まで延々と続く広大な構内が広がっていた大駅でした。
戦後はGHQのRTOの事務所も置かれていた拠点駅でしたが、和歌山市駅や東和歌山駅(現在の和歌山駅)と比べると乗降人員が極端に少なく、和歌山市の都市計画でも東和歌山を和歌山の新しいターミナルにすると言う計画がなされ、和歌山駅(紀和駅)は縮小されることとなりました。
 

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知ってた?常磐線用にEF80形以外に、ED80形が計画されていた話

2021-08-12 23:48:18 | 国鉄思いで夜話

知ってた?常磐線用にEF80形以外に、ED80形が計画されていた話

国鉄では、常磐線用の機関車としてEF80形を量産しますが、実はEF80形以外に、ED80形が当初は計画され、EF80形は貨物用、EF80形は旅客用として計画されたそうです。
結果的に、将来的に客車列車が電車化されるとED80は使い勝手が悪いので、EF80形にMG搭載車を旅客用として、MG非搭載の車両を貨物用とすることとなり、特に番台区分等はしませんでした。
これにより1次形として50両が一気に誕生することとなりました。
なお、EF80製造に当たって、モーターと駆動方法についても検討された結果、ED46(92)で採用した2軸1モーターで駆動する方式が採用されたそうです。
1次形は台車は特殊心皿方式でしたが、2次形では引張棒方式(ボルスタアンカー)に変更となりました。

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JRはEB装置、私鉄ではデッドマン装置が一般的ですが。その理由ご存じですか?

2021-08-09 19:47:56 | youtube

JRはEB装置、私鉄ではデッドマン装置が一般的ですが。その理由ご存じですか?

国鉄では電車列車も機関車もEB装置、私鉄ではデッドマン装置となっていますが・・・、実は国鉄でも昭和30年代後半から40年代前半で、電車にあってはデッドマン装置を導入しようとしました。 しかし、諸般の事情で導入は見送られることとなりました。 その後、JRでは機関車で採用したEB装置を電車にも導入することとなりますが、本格的にEB装置が試用されるのは、昭和55年(1980)以降、本格的な採用に至っては昭和60年まで待たなくてはなりませんでした。 本動画では、デッドマン装置とEB装置の違い、さらに昔は国鉄でも電車にデッドマン装置を導入しようと紫檀という話なども合わせてしております。

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鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 鉄道公安官制度を廃止しよう!

2021-08-08 07:15:21 | JRと労働問題

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 鉄道公安官制度を廃止しよう!

今回も鉄道公安官に関するお話し、第2回目になります。 鉄道公安官制度を廃止しようという運動が昭和34年頃から国会などで議論されました。 その理由は、動労など総評系の組合が、交通網を麻痺させることに対して当局は、公安官を活用したのでした。 鉄道公安職員を廃止するための法案なる上程されますが、十分な審議もされないまま廃案となっています。 
 

 

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グリーン車のお話し 第6話 今回は急行用グリーン車のお話しを中心に

2021-08-07 06:37:53 | 国鉄思いで夜話

グリーン車のお話し 第6話 今回は急行用グリーン車のお話しを中心に

今回は、サロ165を中心に急行形グリーン車のお話しをさせていただきました。
サロ152~サロ455までのお話しです。

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グリーン車のお話し、サロ157とサロ153

2021-08-03 23:23:03 | youtube

グリーン車のお話し、サロ157とサロ153

国鉄時代のグリーン車(一等車)のお話し、第5回目

今回は、準急用電車のグリーン車として、サロ153とサロ157のお話しをさせていただきます。
サロ157は当初から冷房化の計画があったものの、流石に特急列車にもやっと冷房がつき始めた時代だけに、流石に時期尚早として、見送られることとなりました。
更に、サロ153-900番台は軽量化が目的ではなく、塗装省略によるメリットを求めていたとか、当時の資料などを参照しながらお話しをさせていただいております。

 

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