国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

阪和線に新車がやってきた 昭和30年編

2011-12-09 08:45:53 | 国鉄思いで夜話
みなさまおはようございます、長い間お休みしておりましたが、久々に書きこみなどさせていこうと思います。

今まで堅い話題のお話ばかりだったので今回は、柔らかめのお話をさせていただこうと思います。
急いで書いているので、乱筆はことさらご容赦の程を
今回取り上げるのは、昭和30年~のお話です。

私は昭和35年生まれなので、残念ながら昭和30年から昭和35年6月9日までは記憶にありませんし、昭和35年6月10日以降も残念ながら赤ん坊の頃は記憶が残っておりませんので詳しい記事は書けないと思いますがしばしお付き合いください。

今回は、阪和線に新車導入というお話です。

現在は、和歌山と大阪を結び近年では関西空港の連絡鉄道としての地歩も固めている阪和線は元々阪和鉄道という私鉄でしたが、阪和鉄道初代社長の自殺という異形で幕を引き南海電鉄に吸収された鉄道でしたが、戦争の激化により昭和19年には国有化され、南海山手線から国鉄阪和線に編入されました。

当時の阪和鉄道は、元々地方都市との連絡鉄道として出発していますから、阪和鉄道時代の車両は、国鉄型と比べても作りがよく、阪和線に晩年まで走っていた73形などは比べ物にならないほどしっかりした車両でした。
特に昭和30年代には、社型電車とはいえ、その作りの良さから更新修繕並びに国鉄型との機器の標準化工事などが実施されていて慢性的に車両が不足している時期でもありました。

さて、そんな社型ばかりの阪和線に、国鉄本社から新車が入ります。
昭和40年代には首都圏のお古ばかり回ってきていた頃と比べると嘘みたいなな話ですが、当時は結構平等に新車を導入しており、「阪和線=外様」ということをよく言われることがありますが、決してそういうことはありませんでした。

wikipediaなどを参照しますと、南海への対抗心から導入したといった記事も読み取ることができます、実際に昭和30年代の国鉄は、結構私鉄に対して対抗意識を燃やして新車を導入するといった事例が多々あり、東武鉄道の特急に対抗して準急日光のために、157系という専用準急を導入したりといった例などは顕著な例でしょう。
 当時の南海電車では、現在のサザンの先祖に当たる特急が10000系がデビューした頃であり、更に正面を当時大流行した湘南形2枚窓にした11001系をデビューさせるに及んで、何らかの対応策を取る必要に迫られたと書かれています。


「はりやんさん画像提供」

当時の11001系【昇圧後は1001系】は、オールクロスシート【当時はロングシートの部分はなく全て転換クロスシートでした。】で、背もたれの付近にはビニールのシートが掛けられ、高島屋の広告が丁度真ん中に小さく入っていました。
 更に南海電車伝統の、網棚下に設けられた蛍光灯と相まって、なんとも豪華なイメージを醸しだしていました。

 私は残念ながら、紀勢本線沿線だったので南海電車を利用する機会は殆ど無かったのですが、幼稚園の遠足で天王寺動物園に行った帰りだったと思いますが、初めてその電車に乗ってとても感激したことを覚えています。

 大きく話が脱線してしまいましたが、それほど豪華な車両を導入されたのでは、国鉄としても対抗心を燃やさざるを得ず、新型車両の導入を模索するのですが、さすがに転換クロスシートを導入するわけにはいきませんでした。
 それは当時の2等車【現在のグリーン車】の多くはいまだ転換クロスシートを使っていたため、阪和線だけにそのような車両を導入すると、直通していた「準急くまの」の2等車との区別がつかなくなってしまうことから、横須賀線に導入されていた70系電車に白羽の矢が立てられ、阪和線にも導入することとなりました。



 晴れて、昭和30年11月から、翌年1月にかけて70形(いわゆるスカ形)が配置されました。
このとき導入されたのは半鋼製車の0番代で、車内はニス塗りで、子供心にも南海電車と比べると見劣りする車両という感じは否めませんでした。
 ただし、塗装は阪和線独特の色が用意されました。



 翌年以降には、全金属製の300番代が配置され、阪和線をさっそうと走っていたそうです、というのは残念ながらデビューした頃には私も生まれていませんし、私の生まれた家は紀和駅の裏だったので蒸気機関車の汽笛は毎日聞いて育ちましたが、電車を見る機会は殆ど無かったので実際は見ていないんですよね。

ただし、子供の頃に和歌山近鉄百貨店ノ屋上か何かで鉄道展がやっていて、阪和色の70系の1番ゲージの模型を見た記憶が微かにありまして、それでかろうじて知っているというのが本当かもしれませんね。


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