今月、やたらきついじゃん?しんどすぎじゃないか?
・・・と思ってたのですが、
そりゃこんな処方薬を処方されたら、いつものようにはいかんでしょ?
って、思う節。
その処方薬を飲んだ後の午前中は、
何も使い物にならないくらい、副作用がきつすぎる。
約1週間ほど飲んでみて、確かに画期的ではある。
もう今後はお世話になりたくはないくらい、
キツめな処方薬である。
お薬には、そんな、
「一発屋」「一時的な役割」「使い捨て」
・・・な役割が、存在します。
「スクリーンタイム」又は「Digital Wellbeing」見たら一目瞭然。
1日何時間取られているのかよーくわかります。
しかしそれは「点灯時間」なので、
消灯させて音楽を聴いている時間は含まれないんだろうな~って思ったりもした。
スマホ<PC<印刷媒体
の順に、
1枚あたりに表示できる情報量はどうしても特性があるので、帰宅後の向き合い方がいかに、と思いました。
どうしても移動中は、スマホに制御されるけどね。
連日スマホに入ってくる某都知事選候補者さんの、
気持ちからうんざりする知らせが絶えないことに耐えられません。
もう拒絶反応が本能の奥底から湧き上がり、
許せない気持ちに使命を抱えているくらいです。
泡沫的な実像なのだから、
もうあっちゃならないあやまちなんだし、
本能から「駄目なものは、駄目」と、
威厳を持っていくのですが、
その気持ちを貫くことは、決して簡単ではない、「男性性」の揺るぎない気持ちなんですよね。
絶対に許すな!ということがもう使命としてあるのだから。
しかしこう思うだけでも、戦っていく気持ちですから、
自ら思うに、抱えるだけでも重たいんですよね。
息が苦しいですよ。
逆に、もうどこかの腹の内で「女性性」を僅かに取り入れていくしか、
解決策はないものだと感じています。
こんな雨にもかかわらず顕正会の勧誘がやってきました。
「このお部屋は事故物件ですよ。事故内容をご存知でしょうか。」
と言ったら、逃げていきました。
相手は宗教の勧誘員ですが、
私なりの生半端な知識ですと、
本当に宗教への信仰がある人は霊感を伴うようなので、
いわばそういうことをお伝えして心理的なダメージが与えられるようなので、
実践したところ、すぐに逃げました。
多分、新興宗教も同じ言い回しで撃退できるでしょう。
約10日ほどの入院を終えて帰宅しました。
本来はあと2日早く帰宅できたところ、
最後のところで手術がもう1回になり、
実際には2度、手術をしています。
今回の症状の特性上、
退院後にまた手術が必要なことで再度入院する患者さんもいますので、
入院中の発覚でよかったことだと思えるような近い期日を送りたいです。