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記録よりも記憶に残った元虎の人気者

2008-01-23 00:11:54 | 野球
複数のサイトで調べたところ、
野球解説者の加藤博一氏死去
の記事で書いたイベントのとき、加藤氏は牽制でタッチアウトになり、
「約束と違う」と言ったとのことです。


思い出しました。
プレーの後、場内に聞こえるマイクで1人1人にインタビュー
してたんでしたっけ。
5人の選手の現役時代のプレーやキャラクターを知っている
オールドファン(自分も含む)は爆笑してました。

その企画のあったのが2006年7月。
「2年前に肺がんと診断」ということは、
そのときすでに走れる状態ではなかった、
でもファンには楽しんでもらいたい、
じゃあ牽制でタッチアウトになろう、
と川口氏や達川氏と事前に打合せをしていたのかもしれません。

勝手な推測ですが、そう考えると泣けてきます。

  

記録よりも記憶に残った元虎の人気者、加藤博一さんが死去(サンケイスポーツ) - goo ニュース


 俊足巧打でプロ野球の阪神、大洋(現横浜)などで活躍した加藤博一(かとう・ひろかず)氏=フジテレビ野球解説者=が21日午後零時54分、肺がんのため、神奈川・横須賀市内の病院で死去した。56歳だった。2年前から入退院を繰り返し闘病生活を続けていた。阪神OBらは故人の突然の死を悼んだ。

 阪神で一時代を築いたスター選手の壮絶な最期だった。新人の80年から3年間、一緒にタテジマを着た岡田監督は神戸市内で訃報を聞いた。「去年、横浜スタジアムの試合で打撃ケージの裏に来てくれた。実はカツラをしている…という話をしていた。抗がん剤で…。56歳か、早いな…」と絶句した。


 加藤氏は2年前に患った肺がんと懸命に闘ったがこの日朝、神奈川・逗子市内の自宅で呼吸が停止。横須賀市内の病院に搬送されたが昼過ぎに帰らぬ人となった。


 関係者によると、加藤氏は肺がんを告知されたうえで抗がん剤治療を続け、昨年2月に左肺を摘出した。その後、一時は仕事に復帰したが、6月に名古屋でゴルフ中に足に痛みを訴え、診察したところ足にもガン転移が認められた。


 夏には全身に激痛を訴えて再入院。オフの阪神OB会ゴルフでは毎回パーティーで司会役を務めていたが、11月の同コンペには姿を見せることができなかった。最近は主に自宅で静養し、治療に専念していたが体重が激減していたという。


 大洋に移籍した3年目の85年、近藤貞雄監督のもと高木豊、屋鋪要と3人で『スーパーカートリオ』を結成。加藤氏はこの年、自身最多の48盗塁を記録した。しかし、虎ファンにはタテジマでの思い出も忘れることはない。


 西鉄から76年に阪神に移籍。79年7月28日の巨人戦では、阪神と因縁のある江川卓の甲子園初登板で右翼にプロ初アーチを放った。『江川に強い男』として翌年を含め計3本塁打をマーク。在籍7年間で一番輝いていたのは80年で、打率.314はベストテン5位、広島・高橋慶彦と盗塁王を争い、34盗塁ながら4差で涙をのんだ。


 その個性的なキャラクターも愛された。オフの納会でピンクレディー、ファン感謝デーではイモ欽トリオのモノマネで人気を不動にした。85年の阪神の21年ぶりのリーグ優勝が近づくころ、虎党から「早よう帰ってこい! 今なら胴上げに間に合うで!!」と声援を受けたこともあった。現役中も阪神OBだった。


 「昨年暮れに東京の病院に見舞いにいった。心配していた。OB会の世話役をやってくれて。あまりに早すぎる…」。阪神OB会長の安藤統男氏も言葉を失った。同OBの江本孟紀らが故人の早すぎる死を惜しんだ。


加藤博一氏死去…大洋時代にスーパーカートリオで人気(夕刊フジ) - goo ニュース

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