わたしと家族の日々

夫と息子(高3)と私の三人暮らし。
子育ても、いよいよ終盤です。

戦わなかった女

2024-05-02 | 日記
最近目にした
「進学に関する男女差」に関する記事に、

「女の子には、大学も就職先も
家から通えるところ、
という条件を付ける親は多い。」

ということが書かれていました。


これ、まさに私のことだ、と、
忘れかけていた昔のことを思い出しました。
受験校を決める時、
「浪人や下宿はダメだからね」
と言われたのです。

親からそう言われた時、
高校(私立)、けっこうお金かかったらしいし、
仕方ないな、と思い、
すんなり受け入れました。

うちからは関西圏の主要大学には
(頑張れば)だいたい通えることもあり、
不自由は感じませんでしたし、
特に行きたい大学があった訳でもなかったし。


ところが、です。


3歳年下の弟は、
中学受験も高校受験も連敗、
最終手段であった全寮制の私立学校に
なんとか進学ました。

当然、私にかかった学費より、高い。

なのに、大学受験になると
またもや失敗を重ね、
浪人し、
たっくさんの大学を受けまくり、
結局、遠方の大学に入学しました。

後から聞いた感じでは、
行きたくて行く大学ではなく、
後ろ向きな理由で流れ着いた大学のようでした。


え、そんなんで浪人も下宿もOK?
いい加減な弟のやりたい放題を、なぜ許す?
と思いましたよ。


もっとも
その時、私は既に大学4年生でしたし、
弟の状況を哀れには思えど
羨むことは無かったので、
「なんで弟だけ?」と
文句を言うことは無かったのですが、
今思うと
問題はそこでは無いんですよね。



私には閉ざしていた選択肢を、
弟には与えた。
理由は、私が女で、弟が男だから。
それだけ。
それが問題なんです。



当時、親は、
「女だから」「男だから」とは言わず、
その場その場で
もっともらしい理由をつけていたけれど、
それは後付けに過ぎなくて。

私の能力や目標がどうであろうと、
女である以上、
「浪人NG、自宅通学」の条件は
付されていたでしょう。


対して、男である弟のことは
能力が及ばず失敗続きだったから
「仕方なく」
浪人も下宿も許したのだと親は言っていましたが、
もし、彼の能力が高ければ
「だからこそ」許した
と言ったことでしょう。

なんとでも言える。
合理的な理由なんて、無い。
差別なんて、そんなもんです。

ああ、悔しい。
なんで気付かなかったんだ!


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思い返せば、当時、
進学に関して、
公立高校に行った友達から聞く話は
ひどいもんでした。

「女子はどうせ学歴を活かす仕事にはつけない。
お前がK大に受かったら、
定員枠を一つ無駄に奪うことになる。
K大は男子に譲るべきだ。
とか
「女子なら医学科ではなく看護に行け
とかね。
親が味方になってくれたら良いけど、
そうとも限らない。

私の時代は、まだ、
そういうあからさまな差別を
平気でふりかざす大人が
ゴロゴロいました。


第二次ベビーブーマーの受験は
ただでさえ過酷だったのに、
加えて、女だけ
(人によってはかなりハードな)
男女差別という障害物を乗り越えねばならず、
そうしてようやく
受験という男女混合競争の
スタートラインに立てる、みたいな。


ついでに言うと、
そこまでして戦わなかった女(←私)は、

「自分で選んだ道でしょ?
文句言うな」

「努力すれば道は開けたのに、
それだけの能力や根性が
お前には無かったんだから仕方ない」

などと言われることになるのです。


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朝ドラ「虎に翼」、
毎回、いろいろ刺さりながら見ています。


毒饅頭事件検証のシーンで、
よねさんが
「戦わない女」への怒りを吐露しました。

ぐさっ。うっ…
それ、まさに私だわ。

と胸に手を当てたその時、
寅ちゃんが
「戦わない女、戦えない女を愚かだと言うな」
と続けました。

はっとして胸が熱くなりました。
ありがとう。
なんて良い脚本だ!

ありがちなのは
そこで差異のある女同士の対立に
持ちこむパターンだけど、
そんな論点ずらし
乗っかってはいけない。
差別的構造を温存したい既得権益側(男)に
都合が良いだけ。
ちゃんと修正してくれて、スッとした!


進学の時も、結婚に伴う改姓の時も、
その他いろいろ、
結局、私は
不満を持ちつつも戦わなかった女
なのだけれど、
でもね、
その時飲み込んだ負の感情、
負の感情を
飲み込まざるを得なかった悔しさ
は消えない。

だからこそ、
そうした様々な事柄にに対して
歴史上戦ってきた人、
今、戦っている人、
これから戦おうとしている人のことは
心から尊敬するし、
全力で応援したい。

私の、せめてものプロテストです。
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