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カイブログ2

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ベンジャミンフルフォード 10/9 転載

2017-10-10 21:32:02 | イルミ

2011年3月11日の福島テロ攻撃の後に連絡を中断したあらゆる種類の人々が、突如として筆者を通じて白龍会(WDS)に連絡しようとしている。それには、ヤクザの暗殺者、MI6上級工作員、NSA担当者、新しいCIA派閥代表者などが含まれている。定期的な接触と共に彼らは皆、何か大きなことが起こりそうだということで意見が一致している。

The most colourful character to renew contact was a Mr. K, who was introduced to this writer years ago by Japanese military intelligence as the top assassin for the Yamaguchi-gumi mutual protection syndicate (this was before it splintered into three factions). The diminutive and serene-looking Mr. K says his job consists of chopping peoples’ fingers off, one knuckle at a time, until he extracts the information he needs. He then wraps the bodies in lead and dumps them in the ocean, something Takamasa Kawase of Japanese military intelligence independently confirmed. Mr. K also says that he has done work for the Mitsubishi banking conglomerate (presumably helping them locate missing funds).

接触を再開した最も個性的な人物はK氏だ。同氏は、数年前、日本の防衛省情報本部によって、相互防衛犯罪組織である山口組(以前のものが3つに分派した)の最上級の殺し屋として筆者に紹介された。小柄で落ち着いた感じのK氏は、自分の仕事とは、自分が必要な情報を聞き出すまで人の指を一度に関節ひとつ分切り落とすことから成ると述べている。彼はその後、死体をひもでくるんで海に投棄するなどいくつか、防衛省情報本部のカワセ・タカマサは、独立した別の情報筋として確認している。さらにK氏は、三菱銀行コングロマリット***のための仕事(行方不明の資金を突き止めるのを支援する)をやったとも言っている。

It was an associate of Mr. K, the daughter of former Yamaguchi No. 2 boss Masaru Takumi, who insisted on meeting this writer on March 10, 2011 to set my mobile alarm to ring at exactly 11:00 AM on March 11, 2011, the day of the nuclear and tsunami terror attack on Japan.

K氏の仲間で山口組ナンバー2の元若頭、宅間勝の娘は、日本に対する核と津波のテロ攻撃の日である2011年3月11日午前11:00に、筆者のモバイルのアラームが正確に鳴るようセットしようとして、2011年3月10日に筆者と会うように要求した。

Trucks were also spotted bringing large amounts of emergency relief supplies to the Yagamaguchi-gumi’s headquarters in the days before the January 17, 1995 Kobe earthquake, according to Kobe residents who live near their headquarters. As a result, their gang was far faster than the central government to provide relief supplies to quake-stricken residents of Kobe.

神戸の山口組本部近くに住む居住者によれば、1995年1月17日の神戸地震《阪神・淡路大震災》の前の数日間に、本部に大量の緊急援助物資を持ってきた複数のトラックも見受けられたという。結果として、その暴力団は、神戸の地震に見舞われた居住者に援助物資を提供するのが中央政府《国》よりずっと早かったのだ。・・・・・・・・・・

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・転載終了。

 

何か大きなことが起こりそうだ という箇所ですが、

コブラブログのコメントにイベントの事だと書き込みあるそうですが、まぁ噂の域ではある。


~ミニとか。

2017-10-10 11:39:44 | 日記

スーパーファミコンミニでしたっけ。ファミコンミニというのもありましたね。

これ買う価値、個人的には無いと思いますけど、これが7000円代で売れるのかという・・・。

売れてるってことにちょっと驚いてます。

 

スーパーファミコンは当時は当然所持してましたが、そのころにアーケードのスト2が出たんですよね。

移植はされてスーファミ版スト2かなり売れましたけど、アケ版知ってる身としては劣化移植でなんか違ったんですよね。

ただゲーム性は損なわれてはいなかったので遊べない事もない出来でしたが、当時はパッドでリュウ操作ずっとしてましたけど(笑)

劣化してる箇所は音声、BGM、グラフィック、アニメーションが省かれている、まぁ全て劣化してましたね。

ちなみにファミコンが幼稚園児の時にただこねて買ってもらって、小学生時にスーパーファミコンを貰ったんですよね。

子供でしたからかなり嬉しかったんだと思いますけど、ゲーセンで見てプレイしたスト2とスーファミ版スト2明らかに違うと

子供でもわかってしまう劣化具合なのと、スーファミというか家庭用ハードはゲーセンに追い付いていないというのが解ったんですよね。

それがプレイステーション2が出るまでそうだったな。

今はPCこそ最強で他は劣化だというのが昔では考えられない逆転環境となっている。

 

スーファミはドラクエとかFFとか、クロノトリガーとか、RPG系は傑作揃いでしたから、当時は持ってないといけないハードでしたね。

ただ今やるか?と言えばやらんだろうと・・。

ソフトの価格が当時凄く高くて1本1万~円とか、そんなんでしたね。

プレイステーション出た時はすぐ移行しましたけど、何故移行したかというと性能は言うまでもなく、ソフトの価格が安かったからですね。

当時の任天堂調子乗り過ぎだろうと。