
1日一仕事、今日は年賀状を完成させた。
シンプルにしようと思ったが、あまりにシンプルだったので、うさぎ部分の色を変えた。
少しムラになったけど、手作り感があってヨシとしました。
住所も印刷し終え、添えるひと言も書き終えました。
喪中は蟷螂宛はありませんでしたが、同居人宛てが1通。
この時期にしては少なかったような気がします。
ただし当初35枚で足りると思っていましたが、1枚ミスしたうえ、アメリカの分が足りなくなりました。
5枚ほど買い足して完成させますが、明日はいろいろスケジュールが目白押しなのでちょっと難しい。
毎年アメリカへの年賀状は悩みの種、オジキの相続の時に世話になっているので賀状は欠かせません。
叔母はもう直ぐ90歳のはず、ディーラーをしている従弟も55歳くらいでしょうか。
従妹と連絡がつかなくなって3年目に入ります。
やはりコロナで苦しいのではないでしょうか。
今日はあの無謀ともいえる太平洋に突入した日、あれから81年が過ぎたということです。
親父は翌日明大和泉校舎の学食で、『文系のオレたちも直ぐに呼ばれるんだろうなぁ』と、みんなで首をさすったそうです。
それは直ぐに学徒出陣という現実となり、商学部を繰り上げ卒業させられたのです。
明大のマンドリンクラブに所属していた親父は、演奏会では歌まで歌わさせられたそうですが、何を歌ったのか聞けないまま鬼籍に入りました。
古賀政男と共に合宿先で入浴している写真もありましたが散逸し、わずかに残っている写真は本ブログの中に掲載してあります。
母方のオジキは慶応の経済学部を卒業して海軍!に就職?。
霞ヶ浦で飛行機の乗り方を教えていましたが、多くの教え子が特攻で死んでいったことに責任を感じ、戦後は戦中のことを口にすることはありませんでした。
今日は一日『トラ!トラ!トラ!』を観ました。
毎年恒例です。
あの映画以上の真珠湾攻撃の映画を未だに観ませんし、これからも作られないでしょう。
黒沢監督が突如解任されたりと、いろいろあってWikでも長文の解説がついていますが、何より驚くのは福岡県の芦屋海岸に作られたという、長門と赤城の原寸大オープンセット。
そのうえ、赤城の発艦シーンはなんと空母ヨークタウンの実艦を使ったというから驚きです(by wik)。
でも、映画自体はアメリカでは評価が低かった。
そりゃあ一方的に自国が攻められている映画なんぞ、見たいと思う国民はいませんから。
いま進行しているウクライナも後世には映画となるんでしょうか・・・