蟷螂の独白

世に背を向けた蟷螂です。喜怒哀楽を綴って18年、モットーは是々非々の団塊世代です。

店の思い出

2021-04-04 18:18:45 | 徒然

昔は飲食店の従業員になる人なんぞはいませんでした。

なので地方へ行き、スカウトするのです。

長野の千曲川流域、小千谷に愚母に連れられて行ったことは昨日のことのように覚えています。

なぜ小学生の蟷螂を連れて行ったのかわかりません。

丁度島倉千代子さんの『からたち日記』が流行っていたから、8~9歳の頃でしょうか。

川辺を愚母と二人で歩いていた記憶があり、あの川は千曲川と聞かされました。

今調べると信濃川っぽい。

結局その時のスカウトはうまくいかなかったと記憶しています。

それでも戦後の開店直後は食堂と寿司屋合わせて従業員は20人以上いて、慰安旅行の写真を見ると団体様の中央で親父にだっこされた蟷螂の姿が写っています。

日本が高度成長し始めると、3Kの職場である飲食店から従業員の姿は消えました。

長野ルートから預かった娘さんの印象は深かったですね。

結構美人で、食堂の看板娘でした。

町長の娘さんで、『どうしても東京で働きたい』といって、蟷螂家の店ならと預けてよこしたのですが・・・

しばらく働いていましたが、出入りしていた与太者に声を掛けられるとあっさり後をついて行ってしまい、慌てた村長が連れ戻しに帰ってきて、その後村長家の座敷牢に入れられたと聞きました。

まだまだ様々な人が働いていましたが、記憶に残っているひとりです。

猫が憑依した従業員の話は以前書きましたが、それと双璧を成す出来事です。

美人だっただけに記憶が鮮明なのかもしれません。

 

 

 

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2 コメント

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Unknown (kaminaribiko2)
2021-04-05 03:06:13
私の父方も母方も商家で多忙だったせいでお手伝いさんを置いていました。たいがい田舎の口減らしのように働きに出た少女でした。夜は茶の間にお布団を敷いて寝ていました。そんなことを思い出しました。それとは別に私は結婚前に東京のお大家に行儀見習いに出されました。たった一ヶ月で逃げ出しましたが、その家の若旦那がしょっちゅう台所に入ってくるから若奥様が嫌がっていました。ひょっとして私が目当てだったのかとも思いましたが、それまでがどうだったかわかりませんでしたので、私の自惚れだったかも。銀行に勤めていた私がいきなりそんなお手伝いさんの真似事みたいなことができるはずもなく、すぐに母に迎えに来てもらったのでした。
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Unknown (蟷螂)
2021-04-05 12:41:27
コメントありがとうございます。
学校でも家庭(家庭とは言えなかった)でも暴力を振るわれた私には、一家団欒という言葉は死語なのではないかと思える幼少期でした。
オジキには、『お前らが20歳過ぎまで生きるとは思わなかった』とよく言われたものです。
なので『愚弟には1人しかつかなかった子守りが蟷螂ちゃんには2人ついた』と愚母に言われてもピンときません。
きっと気難しいガキだったのでしょう。
昔の女性は背が低かったからでしょうか、私は『脚が地面についてもおんぶされていた』そうです。
家政婦さんの思い出・・・大学の授業をサボって惰眠を貪っていた昼、『蟷螂ちゃん、三島なにがしとかいうのがなんだか自衛隊に入って騒いでいるそうだよ』と起こしに来たので、ガバッっと跳ね起きて階下へ行き、テレビ画面を食い入るように見つめたあの日を思い出します。
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