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愉しい触れ合いを目指してゆとりの有る人生を歩みましょう

平凡な日常生活にまつわる拘り情報、写真、並びに体験談等を交えて皆さんとの交流を深めて参りたいと思います。

遂に米国陸軍に志願決心

2008-10-14 16:20:46 | Weblog
私がハイスクールで2年を過ごし卒業した頃は丁度朝鮮戦争が未だ激しかった真っ最中でした。私達の年齢の若者は皆徴兵適齢期(?)で登録させられていましたので、皆次々と徴兵させられていました。 私と同年齢の従弟も徴兵の報せを待たずに海軍に一緒に志願をしようと誘ってくれましたが、海軍に志願すれば軍役の年期が4年と長く、其れよりも私は辛い船酔いが尤も苦手なので断りました。その後間も無く彼は独りでさっさと志願して入隊しました。

私も遂にその決断に迫られ、自分の英語の未熟さを少しでも上達させる事が出来ればとの思いで陸軍の通訳学校を志願して3年の軍役期間を勤める事にしたのでした。私が志願してハワイで16週間の厳しい基礎訓練中に私宛の徴兵の通知を受け取りました。 因みに徴兵された場合の軍役は2年間でした。 徴兵された人達は基礎訓練が終ると本人の派遣先の選択資格は無いので殆どの人達は真っ先に朝鮮の戦場地域に派遣されていました。 私は基礎訓練の終了後、直ちにアメリカ本国のカリフォルニア州のモントレー市に有る陸軍通訳学校に送られて其処で1年弱の日本語クラスに所属させられました。 クラスには私を含めて15,6人の生徒からなり、殆どが白人将校や上階級の下士官(軍曹)達で既に日本に駐屯した経験を持ち片言の日本語が話せる程度の者ばかりでした。 勿論日本語の判らない二世達も他のクラスに居りました。教師は勿論皆日本人で女性の教師も含めて2,3人居り私達のクラスを担当していた教師は中年の女性教師でした。 

私の場合は日本語クラスで逆に英語を習得する事が目的でした。 この学校に通学している間は軍の厳しい規則は無く、ごく普通の学生生活を営む事が出来、既婚されていた人達は家族と一緒にキャンプ外の市内で住居を持つ事が出来ましたが、独身者は皆キャンプ内に有る兵舎での団体生活でしたが毎朝の点呼だけは決められた時刻の6時までに起床しなければなりませんでした。 クラスが終れば翌日まで自由行動なので大変楽でした。 週末の土、日曜日は勿論休日で点呼も無く自由行動が取れました。モントレーの町はイタリア人が多く住む漁業の町でも有りましたが、この学校があるキャンプはそのこじんまりとした美しい海に面した小高い丘に有りました。 其の町で初めてイタリア人の好むピザと言うものを知りました。日本の小さいレストランも有ったので日本食には困る事無く毎週一度は日本食を楽しむ事が出来ました。 

クラスではお互いに日本語と英語の会話ばかりで教えたり、教わったりでとても愉しく各自の階級には全く拘る事無く親しく共に勉強する事が出来ました。 面白い事に日本に駐屯した経験者の殆どが喋る日本語は日本の女性から習った日本語と見えて話し方が当然女性の話し方になり、女々しく優しい話し方をしていました。 其れに益して女性の教師が教える時も当然女性の話し方で教えていますので教わる生徒の話し方は中々直らない訳です。 なので私はしょっちゅう彼らには女性と男性の話し方の違いを教え込んでいました。この学校は可なり大きい規模の陸軍外国語学校で、主に力を入れていたのはロシア語、ドイツ語、中国語などが日本語に続いて多くの生徒が修業させられていました。服装は勿論正式な軍服姿で通学させられていました。 (続く)



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8 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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モントレー (ゆら)
2008-10-16 18:00:18
ベンさま、こんにちは。。
モントレーと聞くととても懐かしい街です。
知人が海外留学をしていて、ロスに行ったときに遠距離バスで会いに来てくれました。
相当な時間かかったとか言っていました。

女性言葉を話される学生さんの話には笑いましたよ~
いまこちらでは「おねえ言葉」を話されるニューハーフ?の芸能人がたくさんTVで活躍しています。
聞いていると面白いです!!
父は海軍の軍人でした。
若かりし頃、セーラー服で写っている父親の写真があります。
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そうなんですか! (ぷうさん)
2008-10-16 18:36:08
ベンさん
こんばんは
いろいろとあるのですね!
読まさせて頂きました。
「軍服姿」ですか!
複雑な気持ちになります。
こんなことがあり、平和な現在があるのですね。

では、また
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写真? (osamu)
2008-10-16 20:18:57
昨日から読ませてもらっていますが、写真も見たいですね。確かに日本語の”男言葉””女言葉”は彼らに取っては理解し難い言葉でしょうね。

体格のいい男の軍人が女言葉を使ったのを聞いた感じはいかがでしたか?笑い事では有りませんが一度、男性軍人が話す女言葉による会話を聞いてみたいです?

むしろべんさんが日本語の教師のような感じを受けます。楽しそうで読んでも気が休まりました。
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陸軍入隊 (masa)
2008-10-16 21:13:54
ハワイでの陸軍志願、入隊、基礎訓練16週間、徴兵配属先がカリフォルニア陸軍通訳学校-1年弱、残り1年(?)はいずこへ?

前半1年は学生時代の延長の様ですね。苦しい事も多かったでしょうが丁度青春時代の真っ只中じゃあないですか。過ぎ去って懐ると大変貴重な時だったのでしょうね。

後半も楽しみにしてます。では又。






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ゆらさんへ (ベン)
2008-10-17 12:38:52
ゆらさんもモントレーの町はご存知だったのですか?
恐らくゆらさんの方が私よりアメリカには詳しいのではないでしょうか?モントレーの直ぐ近くには17マイルス ドライブと言う名で知られている美しい海岸沿いの眺めの良い豪宅が立ち並ぶ観光地が有ります。松林を通り抜けると海に突き出した形の良い岩には枝振りの良い松が盆栽の様に一寸した箱庭の情緒をかもし出した風景を目にすることが出来ます。関係無い事でしたが遂連想してしまいました。ゆらさんのお父さんは海軍軍人でいらっしたのですね。勇ましい感じがします。現在の日本には「おねえ言葉」を話す芸能人が多いのは一体何故なのでしょうね?目立つ芸能人になる為でしょうか? ご訪問有難うございました。
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ぶうさんへ (ベン)
2008-10-17 12:48:41
お越し頂き有難うございます。長い様で本当に短い人生でしたが、無事に生き抜いていく過程には何が起こっても当然な事、定められた運命によって生かされているのですね。何事にも最善を尽くして生きる事が出来れば幸せな人生だと思います。人の為、世間の為にボランテイアで頑張っておられるぶうさん、頭が下がります。
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osamuさんへ (ベン)
2008-10-17 13:07:10
当時の写真は総て黒白ですが、その内にアルバムから探し出して良いのが見付かればブログに紹介しますが恐らく無理でしょう。体格の良い白人の将校達に男言葉で喋らせても少しも凄みは感じられず滑稽で笑ってしまいます。彼らにとっては難しい事だと思います。日本語を喋るだけあって彼らは本当に日本人を好いていましたから私には非常に良くしてくれました。教室の中では階級の隔たりは一切無く親しい友人扱いでしたので軍隊の厳しさは少しも感じられませんでした。
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Dear Masa (ベン)
2008-10-17 13:37:21
残りの1年は何処へ? 私は志願兵でしたから軍役は3年間。戦時中に徴兵されると軍役は2年間でも戦場に配属される危険性が非常に高いので、敢えて志願に踏み切り自分の希望する学校を選択したのです。朝鮮に配属されると戦場地域なので朝鮮での任期は1年半と決められていました。その後の1年はその内に判りますよ。お楽しみ!学生時代も伯母の家を出てからは
総て自分で生活費を稼がなければならなかったので大変でしたが、浄土宗での寄宿舎生活で如何にか賄っていました。
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