ピヴォ プラハ・ノート

指揮者 武藤英明公式ブログ

一流店の証しって何?

2016年01月13日 | 一流のお店って?
なぜ一流店は、客に感想を聞かないか

「星の数」が多い店を一流店と決めてよいのなら話は
簡単である。しかし、外国のとあるタイヤメーカーが
極東に来て、寿司屋や日本料理屋をランク付けするというその凄さ。
「おい 本気かよ」と、悪態の一つもついてみたくなる。
尤も、幾つもの「星数」を有り難く頂戴する店があるから、
わざわざやって来るのだろう。
「★★★」の数に関係なく自分自身で勝手に
一流か否かは決めても、誰も文句は言うまい。
第一に、
高額だからと言って美味いという保証はない。
第二に、
高級だから居心地が良いとも限らない。
第三に、
有名だから客への応対が良いとも言えない。
そう、飽くまでも主観的なもの。

そんな中、バブル経済華やかな頃、
紀尾井町にある「福○○」
芥川・直木賞の舞台となる新橋「新○○」
京都下京区烏丸通り「和○○」等々、
世間では“一流店”とされているお店があり、
そこへ案内を受けたことがある。

勿論、これらのお店、美味さ、居心地の良さ、
接客マナーに至るまで文句なしだった。
確かに今回の表題である「客に感想」など
一切聞いたりはしなかった。但し、客の
問いには精神誠意応えてくれた。
食材は何か?産地は何処か?調理方法は?等々。
然も、「此処を先途と語り」始めるでもなく、
反対に「通り一辺」でもなく、客の問いに合わせ、
過不足無くという粋なものだった。
中でも料理を出すその絶妙なタイミングにも恐れ入った。

食事中、会話を中断されるのは嫌なものである。
それは演奏会の本番中、スマホの着信音や、それどころか、
爆竹を鳴らされる様なものだ。
これらのお店、その手の不快感が全くなかった。見事だった。
ましてや「トヤカク感想を客に聞く」など「野暮」の極みですよ、
と言わんばかりだ。
無論、感想を聞いたからと言って法に触れる訳でもないし、
聞いていけない訳でもないのだが、
要は、客に不快な思いをさせないというその一点に絞られると思う。

作家の森村誠一さんが、一流ホテルの心掛けに
「行き届いた無関心」と書かれていたのを思い出す―――
隅々までサービスが行き届きながら、宿泊客に不必要な
干渉をしないという事なのだろう。

お店に到着し、店を後にするまで、
そのひと時を心行くまで楽しんでもらう心掛け、
雰囲気良く・居心地良く・美味しいと感じ、また是非来てみたいと思わせる・・・・・・
この条件を満たしてくれるお店、これが一流の条件ではないだろうか?
そして、感想を聞く聞かないはその都度違っても
特に問題はないと思うのだが、どうだろう?

プラハ在住:棒振り一人旅:ヒデッチより