記憶
まるで映画のワンシーンでも見ているかのようだった。
永年、酒を大量に飲み続けた影響で脳がかなり萎縮してしまい、アルコール性脳萎縮による高度のアルツハイマー型認知症と診断され要介護4と認定を受ける。後に入院先の病院から介護施設へ移って早2ヶ月少し。
そこに居たのは、俺の知るあの腹が立つほど憎らしかった親父ではなかった。
大きなテーブルに並んで座る大勢の老人たちに紛れ、何をする訳でもなくただただボーっと、、
目の焦点は定まっておらず、随分と近くまで寄っても俺に気付く気配すらない。
よくよく見れば座っていたそれは、椅子ではなかった。
施設の人曰く、親父は既に歩くことが出来なくなり、今は車椅子での生活になっているそうだ。トイレも間に合わないのかそれとももう解らないのか、排泄物は殆どオムツにしているという。
大凡手首のように細くなってしまった腿や、そしてヒナ鳥のように小さくなった頭。
俄かには信じ難かったがしかしこの目の前にある光景はフィクションでも、何かのドラマでもなく紛れもない事実なのである。
最も、その都度異変や病気に気付き病院なり救急車なりと対処していた、お袋が居なかったら親父はとうの昔に斃っていたであろうし、むしろそっちの方が当人にとっても本望だったのかも知れぬ。が、不本意にも?幾度も助けられたが故に生かされ、結果、後の暮しと言えば現状に至っているというこれは無情、なのか。
係りの人に彼が利用している個室へと案内される。
…リモコンのないテレビ。
電池を外された時計。
破れた週刊誌、歪んだ老眼鏡…。
殺伐とした、何て殺風景な部屋だろう。
こんな痛ましい生活が、一体いつまで続くのだろう。
「おお…謙、か?。。久しぶりだなぁ…」
車椅子に乗りヘルパーさんに連れて来られた親父は、何とも弱々しい蚊の鳴くような小さな声であったが、辛うじて俺が息子だということは理解出来ているようだった。だが自分がどうしてここにいるのかも、なぜ家から出たのかも全く解っておらず、況してやそれら疑問を考える気力すら最早ありはしなかった。
土産にと持ってきた、親父が好物なナッツを数粒手渡すと、徐にそれを口に入れ、「これ、旨いなぁ…」
「これ旨いなぁ」と何度も何度も呟いている。
嗚呼、神よ。これが、本当にあの怖くて厳しかった親父なのか?本当にあの、優しくて面白かった親父なのか?…
幾何か他愛のない話しをして一緒の時間を過ごした。が、しかしさっき話したことをもう忘れている。
それどころか、珍しく、いやもしかしたら、これまで何十年と確執が俺と親父との間にあったなかで初めてかも知れぬ、この穏やかな空気の流れたひと時さえきっと明日には彼の記憶から消え、無かったことになっているに違いない。
俺は変わり果てた親父の姿に30年後の自分を照らし合わせていた。
そうだ、彼は将来の俺だ。その時俺もここで今俺が彼にしていることと同じように、我が子たちから哀れみの眼差しでナッツを渡されているのだ。いや、将又悪あがき親父を反面教師として僅かでも違った晩節を送っていることが、否そんなことが果たして出来るのか?
また、来るよ。親父。
「ん?…ああ。」
そう言って頷くと、当たり前のように再び元いた場所にゆっくり戻ってゆく、その小さな背中が余計別れをやるせなくさせるのだった。
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