旅音風馬 〜旅のち音 午後から風ときどき俄馬〜

ベチケン@苫米地謙治 Official blog by BecKen®

12月8日

2021-12-08 | 

80年前の今日。
1941年12月8日、空母「蒼龍」の飯田房太中佐(当時制空隊長)は、ハワイ・オアフ島カネオへ海軍基地を攻撃中、自身の搭乗する零戦の燃料タンクに被弾しました。


飯田隊長は並走する藤田中尉に燃料切れを意味する手信号(口元を指差し左右に振る)を送り列機に帰投方向を示した後、手を振ってアメリカ海軍基地格納庫に体当たりし戦死しました。(享年29才)

彼の突撃が事実上、日本國の零戦による最初の特攻であったと言われています。

 

 

当時のアメリカ軍の常識からすれば被弾した段階で落下傘降下して生還出来たにも拘わらず、格納庫に体当たり攻撃を図った飯田隊長の最期を目の当たりにし米兵たちは強烈な衝撃を受けたと言います。

 


 

アメリカ海兵隊は彼の遺体を丁寧に収容し(拾い集め)、現地時間12月8日カネオへ基地内に埋葬しました。
そして真珠湾攻撃から30年後の1971年、飯田中佐を讃え散華された場所に記念碑が建立されました。

 

この碑はアメリカ海軍基地内にある為、特別な場合を除いて一般人は立ち入ることが出来ず、日本人でもハワイを訪問した公人などしか献花することが出来ません。
 
そんななか2009年〜2012年の民主党政権時のある年、民主党議員団の一行がハワイを訪れる機会がありました。
その際にアメリカ側から「飯田房太海軍中佐のお参りをしませんか?」と促されましたが、民主党の議員たちは「忙しくて時間がない」という理由で断り誰一人として記念碑に、英霊に献花も敬礼もする者はいませんでした。

 

碑を建てたのは日本人ではありません。攻撃を受けた側にいたアメリカの人々です。
石には「日本帝国海軍大尉」と当時の階級と共にThe brave respect the brave. 「勇者は、勇者を敬う」と刻まれ、現在も米海兵隊により維持・管理され、1981年以降は毎年法要が行われています。

 

今日も現地の人々が足を止めひとりの日本兵に敬意を表しています。
 
祖国のために命を捧げた神軍に、黙祷。