Happy Happy Birthday to Aro!!
今日はAroの一年ぶりの誕生日
Happy Happy very Happy Birthday to Aro!!
今年もAroにとって 実りある月日でありますように…
その少し乙に澄ました装いに一目惚れして、無理を承知で懇願し譲って頂いたヤマハでもカワイでもない、『ROLEX-RX800DW』。
未だかつて見たことのない代物でした。というのもそれまでROLEXピアノのグレードと言えば、RXの600番台の型番までは聞いたことがありましたが、まさか800番があったなんて、、青天の霹靂だった訳です。
ローレックスは、戦後から平成の初期にかけて静岡県浜松市に所在した『大成ピアノ製造』(後の浜松ピアノ製造)という会社が手がけたピアノブランドです。
大成ピアノ製造は、ほんの数人ほどの職人さんたちだけで切り盛りする、それはそれは小さな会社でした。が、しかしここのピアノは全て彼らの手作りで、鉋と鑿でひとつひとつ丁寧に時間をかけて作られていたんです。
縁あって今こうして家屋のリビングで日夜心地よい響きを奏でてくれるこのRX800は、全高110cm×横幅140cm×奥行58cmとアップライトピアノのなかでは超小型タイプの部類に入ります。
また恐らく今から3〜40年くらい前に作られた古いものでしょうが、そこが狭くて旧びた我が家には如何にも丁度いい。
決して大手メーカーなどの大量生産では真似できない、こんな猫足部分とか、
こんな装飾箇所とか、いちいち手作り感満載なところがたまりません。
時に肝心な音色の方ですが、これまたなかなかどうして、、超小型というハンデを差し引いても、いわゆる日本の2大メーカーであるYAMAHAやKAWAIなんかに勝るとも劣らず。
一般的にROLEXピアノは明るくきらびやかな音が特徴、などと言われておりますが、、
Summer Joe Hisaishi by ROLEX-RX800DW Piano Cover
もうあと100倍くらい上手くなったときにまだ死んでなかったら、そろそろメンテナンスもせねばなるまいに、などと目論んでいる今日この頃であります。
ベトナムのベンチェ省にて
溺れて意識を失っている子犬を見つけた釣り人
必死の救助を試みます
背中をたたいたり心臓マッサージや
体を逆さにして水を吐かせますが
さらに一計を案じた釣り人は
付近の民家でペットボトルを切ってもらい
これを使って子犬に人工呼吸
これが功を奏したのか
子犬は意識を取り戻し
苦しそうな声をあげながらも
ついに起き上がります
その後、子犬は回復しとても元気な様子を見せているそう
釣り人の懸命な救助のおかげで
小さな命が助かりました
死んじゃう!瀕死の子犬を救え!
Happy Happy Birthday to Miu!!
今日はMiuの一年ぶりの誕生日
Happy Happy very Happy Birthday to Miu!!
今年もMiuにとって 実りある月日でありますように…
昼ご飯
「誰だ」
お袋と俺を見て親父は言った。
もはや自分の嫁も息子も解らぬか、、
「私よ、チアキよ」
「チアキ?」
「あなたの奥さんでしょ」
「俺の?女房か?…」
「……」
先月来たときはそんなことなかったのに、病魔は徐々にだが確実に彼の脳を蝕んでいる。
ヘルパーさんが言うには、日によって頭の調子が良いときと悪いときとで波があるらしく、どうやら今日は余り芳しくない日だそうな。にしたって、、
半世紀も毎日呼んできた嫁の名前を、いや毎日見てきた嫁の顔すら、忘れてしまうものなのか、、
ついさっき食べたばかりの昼飯も。
「美味しかったね」
「何?…」
「お昼ご飯」
「昼ごはん?…まだなんだよ」
もうコントやん。
そもそも飯の量が少なかった所為もあるが食欲だけは旺盛なようで、隠し持ってきた干し柿をそっと渡すと親父はそれをぺろりと平らげた。
厄介なことに或いは幸いなことに、体力の低下はあるものの萎縮してゆく脳以外は至って順調で、今のところ何処にもこれといった異常が見られないのである。
「先生(施設の人)の言うことを良く聞かなくては駄目だよ」と咎めても、ふた言目にはこう言って聞かない。
「どこも悪くないんだよ」
うん。頭が悪いんだよ、親父…。
いつ頃からだろう、実は予兆だったのかなという気配があったのは。1年?くらい前か、それとももっと前だったか。
今となっては定かでないしもうどうでも良いことだが、歳76前にしてアルツハイマー病とは少しばかし早い気もする、が、若年性という分類もあるくらいだし況してやあの酒の飲み方では、致し方あるまいか。
結局最後まで解らなかったな、
自分の年も誕生日も、俺たちのことも。
初めて見る仲睦まじきふたり…
最初にして最後、いや最期、かな…
脳ぜんかつら/安藤裕子
Harley-Davidson Evolution 1988 FLSTC Helitage Softail Classic
1988年式エボリューション
1988年というと今から約30年前のバイクですから、当然錆も出てきています。オイル漏れもあります。
それでも、特に88、という年式に拘るのには訳があります。
エボリューションは1984年から1999年まで15年の間製造されたエンジンですが、その中でも正確には「'88年まで」のエボは、エンジンに組み込まれているカムの角度が広く出来ていて、‘89年以降のものよりもトルクと馬力が高いのです。以後このカム角度は狭く造られるようになり、その分トルクも馬力も落ちてしまいました。無論こういった構造変更は、より快適な走りを得るための改良過程ではありますが、従って'88年以前とそれ以降とでは、当然ながら前者の方が一段と力強い走りや鼓動感を得ることが出来るという訳なのです。
それともうひとつ、'89年まではフライホイールも'90年以降のものよりも重いタイプが使われています。厳密に言えばいわゆるエボの「初期型」と呼ばれる'84年から'89年の間で、初年こそそれまでショベルで使用していたフライホイールがそのまま組み込まれた後、年々少しずつ(1kg程)軽量化されていったのですが、そういった意味で初期型エボのアクセルワークのフィーリングは中期・後期型のそれとはまた異なった、言わば「まるで軽く回るショベルのような味わい」といった表現がぴったりでしょう。<ダッタラオマイショベルニノレヨ2ch>
'95年式からデジタル化されてしまったメータートリップカウンターも、'88年ではまだ手動式アナログタイプになっていますし、また電子制御を掌るコンピューターも勿論付いていません。
キャブレターはSU
SUキャブの歴史は、今から遡ること112年前に始まります。何と言っても1905年にイギリスで開発された代物ですから。
当時としては最先端の技術で多くの英国車やバイクに使われていました。特にジャガーをはじめアストンマーチン、ロールスロイス、リスターといった名だたる大手メーカーの殆どの車種に、果てはレーシングカーにまで装着されていた訳ですよ。
SU carburetor
'50年代まで圧倒的シェアを誇っていたSUキャブですが、勿論それはそれは昔々のお話。 今日ある多くの一般的なキャブと比べれても、すぐオーバーフローはするし、ニードルバルブは張り付くし、年中掃除してやらなくてはならないし邪魔だし。だから腹が立つほど扱うのが面倒くさいし。
今となっては最高に旧式な造り故最高にスピードも出ない。でもそれが最高!。
そんな気持ちにさせてくれる愛おしいキャブレターは他にありません。
このSUの粘りある鼓動、低速時に回したアクセルより少しだけズレて着いてくる吹け上がり感、これが堪らなく病み付きになって、止められないのです。<Harley=Drug2ch>
マフラーはサンダンスのボマー
『HARLEY DAVIDSON』の記事の通り、ボマーは
「大型プロペラ爆撃機『ボマー』を彷彿させる独特で迫力のある排気音から名付けられたこのマフラーは、純正に近いルックスながらそれよりも10馬力以上ある優れた性能をも兼ね備え、サンダンス社製Exhaustのなかでも特に人気の高い製品として知られています。」
なんです。
SUNDANSE 'Bomber' Dual Exhaust
なんですが、でもこのマフラーを選んだ一番の理由は、実はそこに内臓されているサンダンスに取り付けてもらったピースメーカー。サイレンサー内の2系統完全分離排気ルートシステムにより、手元のボタンひとつで20dBものマフラー音量を走行中でも自由自在に調節可能なんです。
うちは閑静でもない住宅街のなかにあるものですから、エンジン音に対しての隣近所さまの白い熱い眼差しが眩しくて刺々しくて、、この装置を使わねばならぬがために「ボマーは絶対外せない」と言っても決して過言ではないでしょう。<ストックヲツケロヨジュンセイヲ2ch>
Piece maker
点火はポイントからダイナSに
ダイナSは純正のピンポイント点火と比べ、プラグギャップを広く設定できるため火種が大きくなって、より確実に着火出来るんです。走りが一層パワフルになり、冷間時の始動性も向上します。
などという尤もらしい謳い文句ですが、要はよりアナログチックに、より三拍子を出し易く!、といった何ともミーハー的な理由だけで装着しておりまして、、
DYNA-S
オイル循環の強化
底アイドリングにするとオイルが回らずエンジンを痛めてしまうから、それを防ぐためオイルポンプを取り付けて油圧を上げています。
また、街中の渋滞などでオイル温度の上昇を防ぐため、オイルクーラーも取り付けオーバーヒートになる時間を少しでもチョットでも、先に延ばすようにしています。見た目も少し、チョット…だけど、、<ドコニカネカケトンネン2ch>
Oil cooler
まぁ結局は、ほぼほぼ一般的Customってことだったね。チャンチャン<オモンナ2ch>
★赤いハーレー'88EVOなんちゃって3拍子☆
『Capatielli』
久々のNew シングルです。
ぜひ一度聴いてみて下さい。
右上にあるブックマーク『楽曲Download』からも
ダウンロード出来ます。
Happy Happy Birthday to Aro!!
今日はAroの一年ぶりの誕生日
Happy Happy very Happy Birthday to Aro!!
今年もAroにとって 実りある月日でありますように…
記憶
まるで映画のワンシーンでも見ているかのようだった。
永年、酒を大量に飲み続けた影響で脳がかなり萎縮してしまい、アルコール性脳萎縮による高度のアルツハイマー型認知症と診断され要介護4と認定を受ける。後に入院先の病院から介護施設へ移って早2ヶ月少し。
そこに居たのは、俺の知るあの腹が立つほど憎らしかった親父ではなかった。
大きなテーブルに並んで座る大勢の老人たちに紛れ、何をする訳でもなくただただボーっと、、
目の焦点は定まっておらず、随分と近くまで寄っても俺に気付く気配すらない。
よくよく見れば座っていたそれは、椅子ではなかった。
施設の人曰く、親父は既に歩くことが出来なくなり、今は車椅子での生活になっているそうだ。トイレも間に合わないのかそれとももう解らないのか、排泄物は殆どオムツにしているという。
大凡手首のように細くなってしまった腿や、そしてヒナ鳥のように小さくなった頭。
俄かには信じ難かったがしかしこの目の前にある光景はフィクションでも、何かのドラマでもなく紛れもない事実なのである。
最も、その都度異変や病気に気付き病院なり救急車なりと対処していた、お袋が居なかったら親父はとうの昔に斃っていたであろうし、むしろそっちの方が当人にとっても本望だったのかも知れぬ。が、不本意にも?幾度も助けられたが故に生かされ、結果、後の暮しと言えば現状に至っているというこれは無情、なのか。
係りの人に彼が利用している個室へと案内される。
…リモコンのないテレビ。
電池を外された時計。
破れた週刊誌、歪んだ老眼鏡…。
殺伐とした、何て殺風景な部屋だろう。
こんな痛ましい生活が、一体いつまで続くのだろう。
「おお…謙、か?。。久しぶりだなぁ…」
車椅子に乗りヘルパーさんに連れて来られた親父は、何とも弱々しい蚊の鳴くような小さな声であったが、辛うじて俺が息子だということは理解出来ているようだった。だが自分がどうしてここにいるのかも、なぜ家から出たのかも全く解っておらず、況してやそれら疑問を考える気力すら最早ありはしなかった。
土産にと持ってきた、親父が好物なナッツを数粒手渡すと、徐にそれを口に入れ、「これ、旨いなぁ…」
「これ旨いなぁ」と何度も何度も呟いている。
嗚呼、神よ。これが、本当にあの怖くて厳しかった親父なのか?本当にあの、優しくて面白かった親父なのか?…
幾何か他愛のない話しをして一緒の時間を過ごした。が、しかしさっき話したことをもう忘れている。
それどころか、珍しく、いやもしかしたら、これまで何十年と確執が俺と親父との間にあったなかで初めてかも知れぬ、この穏やかな空気の流れたひと時さえきっと明日には彼の記憶から消え、無かったことになっているに違いない。
俺は変わり果てた親父の姿に30年後の自分を照らし合わせていた。
そうだ、彼は将来の俺だ。その時俺もここで今俺が彼にしていることと同じように、我が子たちから哀れみの眼差しでナッツを渡されているのだ。いや、将又悪あがき親父を反面教師として僅かでも違った晩節を送っていることが、否そんなことが果たして出来るのか?
また、来るよ。親父。
「ん?…ああ。」
そう言って頷くと、当たり前のように再び元いた場所にゆっくり戻ってゆく、その小さな背中が余計別れをやるせなくさせるのだった。
Father(Daddy?) by BecKen®
銚子
日本一の水揚げ量を誇る、銚子漁港。
港から半里ほど南下した 下総の最東端に建つ、日本でいちばん早く日の出が見られると言わていれる、犬吠埼灯台。(国登録有形文化財)
意外にもあまり知られていない「日本のドーバー海峡 」こと、屏風ヶ浦。(国の名勝、天然記念物)
火曜と土曜日にやっている、サスペンスやワイド劇場の人たち(人形)は、ほぼほぼこの崖から落ちているとか いないとか、、
幾度となく経営危機に晒されながらも 市民一丸となって支えてきた私鉄、銚子電鉄。
銚子 - 外川間の片道6.4kmを継ないでいる。
その沿線上に店を構えるのは、老舗の醤油会社、1616年創業のヒゲタと1645年創業のヤマサ。
銚子には他にも3社もの醤油会社が連立し、醤油の生産量も下総一帯で全国一位となっている。
幾つもの偶然が重なって、そこに人々の英知が相俟ってやがて必然となり、磨ぎ澄まされていった地。
此処にもまたひとつ、歴史と共に歩む町の証しが在った。
銚子