暑いです
半端じゃありません
『土』が無いからかな……
ここ熊本市内は
私が小さいとき(すんごく昔)、幹線道路以外はほとんど
舗装されていない土の道でした。
世の中土だらけでした。
だからかな~
どこ見てもアスファルトだらけの『今』より
もっと、凌ぎ易かったような気がする……
幼い頃……我が家は、農家。
広い屋敷に畑・花畑(主に仏様用の切り花を栽培)
母屋・納屋・物置・その昔使っていた馬屋があった。
道の脇を流れる用水路に掛かる石橋を渡って両側に畑・花畑
そして、米や種やいろんなものを干したりするための広い庭・
納屋・母屋へとなる。
夏になると、屋敷の周りと石橋を渡って庭までの両脇に
苦ウリ(ゴーヤ)が植えてあった。
苦ウリはつるで伸びて行きます。
確か…石橋を渡って庭までの両脇に植えてあるのは
アーチ型にしてあったような…
暑い日でもここまで来ると、日陰でホットしていたような記憶がある……
家も凄く古い家で、西側に西日をしのぐように大きな木。
座敷から入ってくる風の涼しかったこと…
夏休みになると、いつもその座敷でお昼寝をしていた。
扇風機などなかったな…家に扇風機が来たのは私が小学生の頃。
お昼寝をしていると、お盆前に、年に一度の井戸の掃除に来られたり…
井戸水で、麦茶も西瓜も冷やしていたな…
そんな井戸水も出なくなり幾年経つことか。
あのころ、気持ちよく吹いていた風は
コンクリートジャングルで熱風となって襲いかかってくる。
道を歩くと、各家庭のエアコンの室外機から廃棄される暑い風。
エコ・エコって言ってるけど、
世の中、根本から変えないとキレイ事だけのエコになってしまう。
ある、韓国の研究者が
「我々は、今このときを預かっているだけなのです。
後世にまた渡して行かなくてはいけないのです。」
(もっと、ちゃんとした事をおっしゃっていたんですが…)
ここまで、壊しておいて、元に戻る訳ないと思いますが、
まず、土に返すことも考えて欲しいなと思う今日この頃。
夏の想い出は‥‥
涼しい座敷でお昼寝していたこと
実家は本家だったんでお盆に人が沢山来ていたこと。
水は井戸水だったんですが
年に一度、井戸の清掃をするのが夏だったんです。
業者さんがきて作業をされていたことを妙に覚えています
そして
「風鈴屋さん」が来ていたこと
知ってますか?「風鈴屋さん」
の風鈴みたいにさっぱりした物じゃなくて
いろんな色の(プラスチックの超薄いもの?ビニールの厚いもの?)
お飾りが沢山ついてて
これは赤ちゃんのおもちゃですが
こんな感じです。
(分かるかな?今はあんなコテコテの全く見ません)
それを
おじさんが両肩に棒を担いでたっくさん
引っ掛けて売りに来るんです
段々チリンチリンと、風鈴の音が
近づいてくるのが分かるんです
もうそこだけ別世界です
夏の日差しに輝いてキラキラ
風に揺られてひらひら
きれいな色に魅かれて蝶々も飛びかいます
一度だけおねだりして母に買ってもらった記憶があります
いつ頃まで来られていたんでしょう?
たしか、高校生の頃は見たような‥見なかったような‥
季節感がなくなってきた近頃、
夏休みだっていうことさえ忘れてしまいそう
だって、子供たち誰一人外で遊んでいません。
し~んと静まり返っています。
二学期が始まっても
昔みたいに、真っ黒になって登校する子、少ないかも
先日、幼い時のことを書きましたが、もうひとつ
むかしむかし、そのむかし
家の近所に”駄菓子屋さん”がありました。
いや~ 何でもあったから
”よろずや”さんだったのかな
小さい私は、
”たかんぽ”という、普段の生活にに使うなお金が
入っている竹筒から
”10円玉”をもらい
小さな手に握り締め、その店へ走って行きます
お店に入ると、子供の目の高さに
いろんなお菓子が並べてあります
小さな私は、いつも迷わず
5円の籤を引きます
ガムや飴やお菓子だったかな‥‥
まぁ、外れるんですけど
たまに、一等・二等・三等が当たります
当たると、少しは大きなお菓子になります
後の5円は、
お煎餅やビスケット類が
一枚2円であります。
口の大きなアルミの蓋が付いたガラス瓶に
数種類並んでます。
店のおばあちゃんに
「あれと、あれと‥」と言うと
小さな紙の袋に入れてくれます。
私は、あの頃の
硬く、パサパサした甘ったるい
ビスケットが嫌いで
いつも、お煎餅類を2枚注文し、
残りの1円は
”すずめの卵”2個で1円だったので
それを、お煎餅と同じ袋に入れてもらい、しめて10円
大事に持ち帰り、
大事に食べました。
この話を子供達にすると、たいそう驚きますが
時代が時代でしたから、今の100円位の感覚かな?
だって氷の棒アイスがたしか5円で、ミルクの棒アイスが10円
カップアイスが20円くらいだった記憶があります。
むかし、むかしのお話でした
ゴールデンウィーク、どうお過ごしですか
今日は「こどもの日」ですね
私にも子供のころがありました。
もう随分と昔のことなんですがね
四十数年前はまだまだ日本も(いや熊本だからかな?)田舎でしたよ
そうそう映画の「ALLWAYS三丁目の夕日」の
東京ですらああでしたから‥‥
熊本は想像を絶します。
実家は農家でしたから
本当に周りは田畑たくさんの農村地帯でした。
家はといいますと、
今で言う「古民家」。
周りの家も、どこもそうでした。
特に実家は100年余りたつ古い家でした。
道の脇を用水路が流れています。
その用水路に幅50cm程の大きな石が
何本も渡されていて、それを渡ると
両脇に大きな枝振りのいい松がありました。
庭があり、その両脇には畑。
家には、玄関とは違い、大きな入り口があります。
この入り口は、夜が明けると開けられ、
日が沈むと閉められます。
家に入ると裏口まで続く土間があります。
だいたい、家の半分は土間だった記憶があります。
入ってすぐの土間は、
ちょっとした農作業(野菜を出荷する為の準備)
をしたりするのに使ったり、
私達、子供は、雨降りの日は、そこで遊んだりしてました
奥は台所、屋内の物置、お風呂などです。
台所には、竃(かまど)が3,4個並び
お風呂は、もちろん五右衛門風呂
入り口から右が土間で
左が部屋です。
土間から登り段があり
まず、8畳の居間。その奥が仏間。
居間の右に中部屋。
その奥が台所の板の間。
その左奥が父母の寝室。
部屋数は少なかったのですが
畳が大きくて今の部屋の大きさとは
随分と違っていました。
仏間の南側は居間から続く縁側。
西は、縁側はないものの
西側の庭に出れます。
大きな木があり、夏は暑い日差を遮ってくれ
また、涼しい風を運んでくれていました。
台所には大きな”台”(あえてテーブルとは言いません)。
私達子供は板の間側から、
父母は履物を脱がずに済むよう
土間側から”台”を囲み総勢6名で食事をしてました。
一番、想い出すのは、今から先の夏のことです。
暑く、眩しい日差しを浴びて、汗をかき、家にたどり着き
一歩、足を踏み入れると、目の前が真っ暗になります。
(多分、眩しいくらいに明るいところから
急に、古くて真っ暗な家の中に入ったからだと思うのですが‥‥)
目の前のキラキラしたものを頼りに前に進みます
そこは、裏口から見える”まゆみの木”です。
葉っぱがお日様にあたり輝いているのです
そのまま、裏口から裏庭へ出ます。
す~っと涼しい風が通りすぎ
祖母が、冷たい井戸水で絞ったタオルで
顔や背中を拭ってくれるのです
家も、もう随分前に建替えて、その家でさえもう何十年と経つというのに
今でも夢に出てくる家は、この”家”なんです。
もう一度、行ってみたい、入りたい、住んでみたい、
と思っても、できない遠い遠い記憶だけの世界です。
と、センチメンタルにもなってみました
『こどもの日』でした