昨夜、NHK衛星第2 pm8:00~より放送があった。
「BSまるごと大全集」
司会は谷村新司・ばんばひろふみさん
主人は「この二人は昔の“セイヤング”を思い出させるな~
よく聞いてたもんな~おもしろかったな~」
でも私は分からない…年代がチョッと違うのかな…?
私はもっぱら「オールナイト・ニッポン」派。
特に「自切俳人」(北山修)が大好きだった。
番組のコーナーでやってた
「真夜中の辞典」 本まで買いました。
※これは「生きている言葉を自分達なりに捉える。又は自分達で言葉を創作し、それを自分達なりに解釈していこうではないか」とい趣旨のもとに作成されたもの※
云々と書いてありました。
ひとつ紹介してみます。
あいつ [彼奴](代) 男子同士で、お互いの恋人の話をする時に、一度は言ってみたい粋なことば。
しんきいってん [心機一転](自動) 新しく植えられた木が転んでしまうこと。何度も植え変えされることもまれにあるが、そんな場合もともと根のない木だったりする。
などなど…馬鹿々しいものもあれば、考えさせるものも。
みんな一所懸命に投稿していた。
夜中に起きて、ラジオ聴くってとこに酔ってたのかな。(私は)
勿論BCRが好きだったんですが
そこを入り口として洋楽の世界へと足を踏み入れた青春
高校生のときとても感動し、大人の曲だなぁ~と
チョッと背伸びして聴いてました
「バリー・マニロウ」
先日、生協の注文書を見ていたらCDが……
懐かしくなって買っちゃいました。
やっぱ、最高です
そして青春と言えば
「希林館通り」
多分、同じ年代の方はご存知かと思いますが…
週刊マーガレットに掲載されていました。
この中のいいシーンに
松山千春の「窓」が出てきます。
洋楽しか聴かなかった私、当時、松山千春は
名前しか知りませんでした。
早々に曲を探して聴いた記憶があります。
……下宿屋を営んでいる母娘達と下宿人達。
そして、娘達の恋愛。
特に主人公、次女の花梨が高3の進路指導の時
皆の憧れの担任教師にプロポーズされるというとこから始まる……
今と違う、当時の純な少女達の心をグッと摑みました
のコマーシャルで何やら懐かしい音楽
ライディーン?
そういえば、高校の時、クラスにYMO大好きな男の子がいたっけ…N君。
一年の時は女子クラス。二年になって男女クラス(言い方古い)の私。
二年になって、4月、5月、6月と席替えがあって、いつも隣どおし。
しかし、一年間女子クラスにいた私は、男子に慣れていない
N君もシャイで、何も話すこともなく過ぎていった。
その後、徐々に元気になった私。
N君も、個性的で、いい奴、って分かってきた。
趣味も同じと分かった後は、よく音楽の話もしたものだった。
ある日、(これがいつだったか覚えていない。高校生のときだったか、
卒業してからだったか…)
「YMO」の曲の入ったカセットテープ(これまた古い!)をくれた。
「いい曲ばかりだ、聴いてくれ」なんてメモがあったような・なかったような…
そんなN君も、卒業後、証券会社へ就職し、東京のほうへ
赴任して行った。
就職後、一度だけ手紙がきたけど、私も忙しくて
返事を書いたかどうかも覚えていない。
卒業20周年記念同窓会のとき、卒業後初めて会った。
姫路に赴任したとき結婚したそうだ。
とにかく、N君の音楽好きは凄かった。
YMOも、まだ巷で騒ぎ出す前から
「YMO・YMO」と騒いでいた。
コマーシャルを見て、昔を懐かしがっているのかな
今日は、また、調子悪く
仕事、お休みしちゃいました
しばらく、横になってましたが、
やっぱり、夕食のことが頭に引っかかって…
主人が仕事途中で「何もしなくて良いよ」と
お惣菜とお刺身買ってきてくれましたが
お味噌汁とサラダくらいはね
近所の叔父が白菜と大根のお漬物持って来てくれたので
チョチョッと切ってしまいました
ところで
もうそろそろ、高校三年生は卒業までお休みの時期かな?
二十数年前、私にもそんな時期がありました。
仲の良い友達で、長崎旅行にも出掛けました。
そして、楽しみにしていたものが、
もう一つ
「美容講習会」
その当時、資生堂とカネボウ二社のものがありました。
化粧の”け”の字も知らない当時の高校生の女子の為に
一から教えてくれるのです。
メンイベントは、メークです。
初めてするお化粧に、恥ずかしくて
ちょっと、頬を赤らめて帰宅したものでした
その当時、資生堂のイメージは『不思議なピーチパイ』竹内まりや でした。
ピンク・ピンクしたふわふわの可愛いメークでした。
残念ながらカネボウは覚えてません
帰りに、アイシャドウとチークと口紅が数色、小さめのパレットに入れてある
夢のようなおみやげをいただき夢心地で大事に持って帰りました
今は無いんですよね、いつ頃まであってたんでしょうか
三十代後半の人に聞いても知らないようで
体験したのは、四十代までかな……
今の子達は、普通に高校生でもお化粧してますもんね
わざわざ、教えることもないですもんね
でも、これもまた、古き良き日本の姿です。
「ホワイトデー」ってもう何日も前の事と笑っちゃうでしょう。
ところが、昨日届いた、会社の社報【アクション】2・3月合併号で
ホワイトデーの豆知識の記事が載っていたのです。笑うでしょ?今頃
その記事によると(はっきり覚えてないけど‥‥年なもんで)
1978年にお菓子関係の団体がバレンタインデーにちなんで作ったとか、
正式には,、1980年に初めてホワイトデーが設立されたとか
(たぶん、こんな記事だったと思うんだけど)書いてありました。
誰が書いたのか、たぶん、本社の総務部かなんかの人だとは思うんだけど
違いますよね~
40半ばの私が子供のころから『ホワイトデー』ありましたよ
あの頃は「マシュマロデー」とか「キャンディーデー」とかも言ってました。
前置きはここまでとして『ホワイトデー』のちょっと甘酸っぱいお話をひとつ。
私が、中2の14歳の時、クラスにとても仲のいい男の子がいました。
背もあまり高くなく、ちょろちょろしててかわいい子。
勉強もあんまり好きじゃないみたいだけど、古文とか暗記の試験があるときは、
一生懸命覚えてきて「ねえ、ねえ聞いてて。間違いないか」って来る訳。
「はい、はい」って聞いていました。
そして、バレンタインデーが近づいたある日、
友達が「あの子、あなたのことが好きなんじゃない」なんて言うから、
私も ”好き” って感じじゃなかったけど ”嫌い” ではなかったので、
”しゃれ”でチョコレートあげました。
しか~し、それ以来、全くしゃべってこないし、目もそらす。
の日々でした。。
段々私も気になる存在になってました
そして、ホワイトデーの前日、
彼の友達から私の家がどこら辺か聞かれたし、
”これはお返しかな?”なんて思っていたら、
当日、待てど暮らせど来もしない
諦めてたら、彼の友達から
「買い物に行く途中、チャリでこけて怪我して今日は行けない」との
その次の一週間、彼はお休みしたのでした
たしか、手紙が来たから、返事を出したと思うけどそれっきり。
そのまま一年を過ごし卒業
高校も別だし、出会う機会もほとんどなく何十年も過ぎた昨年、
中学校のプチ同窓会がありました。
連絡が取れた人だけだったんだけど8クラスあって、30~40人位だったかな。
そこに彼もいました。
酔って気分が良くなった頃「オレ○○ちゃんの事好きだったナ」なんて言い出して、
私にしたら、その時に言っててよって感じ
「○○ちゃんからチョコレート貰ったのは俺だけだったから自慢だったんだ」
なんて今更
そんな彼は、バツイチで9歳も年下の奥様と再婚してて
楽しくやってんじゃないの
でも、彼を好きだった私、彼も私の事を好きでいたんだと
分かっただけで満足でした
今思えば、本当に好きだったな
高2から高3に掛けてよく誘ってくれる子がいて
その子も中学が同じで”彼”の友達、高校も彼と同じ。
「バイクで海に行こう」なんて言われても、
そのバイクは”彼”のを借りるのだとか。
丁重にお断り続けました。
バイク持ってる本人にに誘われたかったし‥‥
皆さん、いろいろな青春の想い出ありますよね。
これは、私の箱の隅っこにチョンと置いてあります。
デアゴスティーニから発行されている
”CDつきマガジン(隔週刊)『青春のうた』”知ってますか?
1970年代が青春の真盛りの私達夫婦は発売になったらすぐに飛びつきました。
特に私が待っていたのは③に収められている
甲斐バンドの「裏切りの街角」
14才の時にラジオで聴いて衝撃を受けました。
それまでは、俗に言うアイドルの曲、またフォークなどは聴いていました。
特に「かぐや姫」「井上陽水」「グレープ」に感銘してました。
ところが、ある日、夜ひとりでラジオを聴いていると、
この曲が流れてきたのです。
それから、気が付くとこの歳になるまでつい口ずさんでいる曲でした。
レコード買うわけではなく、カセットテープに入れるでもなく、
また、甲斐バンドの他の曲は別にお気に召す事もなく‥‥
今は毎日聴いています。
もう何十年も前のことですが、
あの頃の想い出が走馬灯のようによみがえります。
(あの頃は楽しかったな)