ある草原の丘の上にとても年をとった”大きな木”が立っていた。
その大きな木は、もう何年、いや何百年もそこに立っていた。
仲間も何もいない、たった独りぼっちで‥‥
大きな木が立っているその丘は、チョッとしたところであった。
意外と広いところで、第一に”街”全体が見渡せる場所である。
大きな木は、若い頃、街を見ては、華やかな街に憧れた。街は、いつも活気に満ち溢れ、笑い声や、軽やかな音楽が途切れもなしに聞こえてくる。
そして、よく思ったものである。
『俺はどうして、あの街の大通りの真ん中に生まれなかったんだろう』と。
『俺があそこに生まれていたら街の人々のくつろぎの場になれる。
子供たちの笑い声が聞こえ、恋人達の囁きが聞こえる。最高さ。広い枝の下にベ ンチでも置いたら、もう言うこと無し!』
そんな大きな木も、今ではとても年を老いてしまい、若い頃の自分を想いだしては苦笑いをしていた。
しかし、街が嫌いになったわけではない。
街は以前にも増して活気に溢れ、今にも爆発しそうである。
そして、年老いた大きな木の一番の楽しみは、毎年、春に新しく芽を出す草たちに街の話をしてあげることだった。
ある春の昼下がり大きな木の根元に生えてきた小さな一本の草が、話し掛けた。
「大きな木のおじいさん、僕はこの短い一生を何でも見てやろう、知ってやろ う と思っていたのに、おじいさんの体が邪魔で、この世の中の半分しか見えない し、知ることもできない。
だから、これから毎日、この草原が雪に埋もれ、僕が この世の中からいなくな っちゃうまで、残りの半分のことを教えてよ」
『ああ、ごめんよ。いいともいいとも。何でも聞いてくれ』
「じゃあ、まずはっと、目の前のあの大きな建物はなんだい?」
『あれかい。あれは美術館だよ。世界でも五本の指に入るほどの美術館なのさ』
「ふぅ~ん。それじゃあ、その美術館の前を走っている赤いものは、いったいなん だい?」
『あぁ。あれは、電車といって、人を乗せて線路の上を走るんだ。ほら、今、人が 降りたろう』
そうやって大きな木と草との楽しい日々が続いた。
『君には見えないだろうね。向こうには、とてもきれいな遊園地があるんだ』
「えっ、遊園地?」
『そう遊園地。毎日、子供たちが楽しそうに遊んでいる。特に人気があるのが
”メリーゴーランド”だ。白い馬や馬車が、飛ぶように回っている。
わしも、一度乗ってみたいよ。楽しそうに笑っている子供たちの顔を見ていると ね。君にも見せてあげたいよ。遊園地を。メリーゴーランドを』
大きな木が小さな草に教えてあげたのは、”のことだけではなかった。
雨が降る時は、流されないように、しっかりと地面にしがみつくこと。
風が吹く時は、吹き飛ばされないように、自分に身を寄せること。
そして、いろんな雲の種類。満天にひろがる星のはなし。
そんな、北風も強くなりはじめたある日、草は大きな木に話し始めた。
「もう、僕は耐え切れない。とても寒いよ。
もう僕はダメかもしれない。
春から今まで毎日毎日、いろんなことを教えてくれて、本当にありがとう。
僕みたいな幸せ者はきっといないね。
僕もおじいさんと同じで、一度行ってみたかったよ遊園地に。
そして、乗ってみたかったよメリーゴーランドに」
『何を言い出すんだい。君には、この街最大のお祭り”クリスマス”を見せてあげ たいのに。
あの美術館の前に大きな”クリスマスツリー”が飾られるんだ。
一晩中起きていると”サンタクロース”にだって会えるんだ』
「でも、それってもっと先でしょう?もう僕はダメだよ。本当にありがとう」
そう言うと小さな草は、すっかりうなだれてしまった。
そして、その年、初めて霜が降りた朝、小さな草は死んでしっまった。
それから、幾日かたった日、この街最大のお祭りクリスマスが行われた。
美術館の前にも大きなクリスマスツリーが飾られ、サンタクロースが現れた。
そして、今年も独りで見守る”大きな木”であった。
恥ずかしながら、これは、私が高校3年生の時
学校の文芸部が発行していた(多分‥)
『託麻』に載ったものに少し手を加えたものです。
題名も「くすの木」から「大きな木」にしてみました。
このときの文芸部の顧問と『託麻』出版の責任者は
”福島次郎先生”でした。
ちなみに、私は文芸部ではありませんでした。
夏休みの宿題で書いたものが載っちゃったんです。
その大きな木は、もう何年、いや何百年もそこに立っていた。
仲間も何もいない、たった独りぼっちで‥‥
大きな木が立っているその丘は、チョッとしたところであった。
意外と広いところで、第一に”街”全体が見渡せる場所である。
大きな木は、若い頃、街を見ては、華やかな街に憧れた。街は、いつも活気に満ち溢れ、笑い声や、軽やかな音楽が途切れもなしに聞こえてくる。
そして、よく思ったものである。
『俺はどうして、あの街の大通りの真ん中に生まれなかったんだろう』と。
『俺があそこに生まれていたら街の人々のくつろぎの場になれる。
子供たちの笑い声が聞こえ、恋人達の囁きが聞こえる。最高さ。広い枝の下にベ ンチでも置いたら、もう言うこと無し!』
そんな大きな木も、今ではとても年を老いてしまい、若い頃の自分を想いだしては苦笑いをしていた。
しかし、街が嫌いになったわけではない。
街は以前にも増して活気に溢れ、今にも爆発しそうである。
そして、年老いた大きな木の一番の楽しみは、毎年、春に新しく芽を出す草たちに街の話をしてあげることだった。
ある春の昼下がり大きな木の根元に生えてきた小さな一本の草が、話し掛けた。
「大きな木のおじいさん、僕はこの短い一生を何でも見てやろう、知ってやろ う と思っていたのに、おじいさんの体が邪魔で、この世の中の半分しか見えない し、知ることもできない。
だから、これから毎日、この草原が雪に埋もれ、僕が この世の中からいなくな っちゃうまで、残りの半分のことを教えてよ」
『ああ、ごめんよ。いいともいいとも。何でも聞いてくれ』
「じゃあ、まずはっと、目の前のあの大きな建物はなんだい?」
『あれかい。あれは美術館だよ。世界でも五本の指に入るほどの美術館なのさ』
「ふぅ~ん。それじゃあ、その美術館の前を走っている赤いものは、いったいなん だい?」
『あぁ。あれは、電車といって、人を乗せて線路の上を走るんだ。ほら、今、人が 降りたろう』
そうやって大きな木と草との楽しい日々が続いた。
『君には見えないだろうね。向こうには、とてもきれいな遊園地があるんだ』
「えっ、遊園地?」
『そう遊園地。毎日、子供たちが楽しそうに遊んでいる。特に人気があるのが
”メリーゴーランド”だ。白い馬や馬車が、飛ぶように回っている。
わしも、一度乗ってみたいよ。楽しそうに笑っている子供たちの顔を見ていると ね。君にも見せてあげたいよ。遊園地を。メリーゴーランドを』
大きな木が小さな草に教えてあげたのは、”のことだけではなかった。
雨が降る時は、流されないように、しっかりと地面にしがみつくこと。
風が吹く時は、吹き飛ばされないように、自分に身を寄せること。
そして、いろんな雲の種類。満天にひろがる星のはなし。
そんな、北風も強くなりはじめたある日、草は大きな木に話し始めた。
「もう、僕は耐え切れない。とても寒いよ。
もう僕はダメかもしれない。
春から今まで毎日毎日、いろんなことを教えてくれて、本当にありがとう。
僕みたいな幸せ者はきっといないね。
僕もおじいさんと同じで、一度行ってみたかったよ遊園地に。
そして、乗ってみたかったよメリーゴーランドに」
『何を言い出すんだい。君には、この街最大のお祭り”クリスマス”を見せてあげ たいのに。
あの美術館の前に大きな”クリスマスツリー”が飾られるんだ。
一晩中起きていると”サンタクロース”にだって会えるんだ』
「でも、それってもっと先でしょう?もう僕はダメだよ。本当にありがとう」
そう言うと小さな草は、すっかりうなだれてしまった。
そして、その年、初めて霜が降りた朝、小さな草は死んでしっまった。
それから、幾日かたった日、この街最大のお祭りクリスマスが行われた。
美術館の前にも大きなクリスマスツリーが飾られ、サンタクロースが現れた。
そして、今年も独りで見守る”大きな木”であった。
恥ずかしながら、これは、私が高校3年生の時
学校の文芸部が発行していた(多分‥)
『託麻』に載ったものに少し手を加えたものです。
題名も「くすの木」から「大きな木」にしてみました。
このときの文芸部の顧問と『託麻』出版の責任者は
”福島次郎先生”でした。
ちなみに、私は文芸部ではありませんでした。
夏休みの宿題で書いたものが載っちゃったんです。