2011年5月3日(曇り?)
この日は父と母の31回目?の結婚記念日。
昨日(5/2)、父が病院に行くなり『豪徳寺の牡丹がきれいだから写真撮ってきて』と気にしていたので、母と病院に行く前に豪徳寺に行こう・・・と出かけようとした途端、
一本の電話が。
病院からでした。
あまり状態が良くないので、来てください。と。
私と母は慌てて病院へ。
行くと、父は呼吸が荒い。
酸素マスクは離せない状況ではあるが、酸素マスクをしてても「60」や時には「50」付近。
しかも、大きく深呼吸をさせても70、80まで回復するのはとても困難な様子。
5/1や2、3日前は咳をすると「70」あたりまで落ち込むがすぐ80、90まで回復していた。
昨日(5/2)の話によると、タンをチューブで吸い取る際など、一日に数回死にそうになる時があるそう。
そして、5/2は19時頃まで病院にいたのだが、別れ際に父が、
「安らかな朝がくるといいな・・・」と言っていた。
看護士さんの話によると、夜寝付いてから、22時から24時くらいとかに痰が絡むと、
呼吸困難になり酸素の数値が上がらなくなることがしばしあるそう。
安らかな朝がくるといいな・・って。
私にはまったくその辛さはわからないんだろうけど、本当に苦しいんだろうな。って。
最近だと、「お父さん、苦しい?きつい?」と聞くと、「うん、きつい。」と素直に応えるようになった。
そんなこんなで、5/3の朝11時頃病院に着いてからは、少し話せる余裕もあった。
母が、「今日は結婚記念日だね」
父は「すまんね。」
と・・・。
私には父が「城南島は?」と。
それだけ。
5/3に会話をしたのはそれくらい。
あとは苦しそうに呼吸をする父をうちわで扇いだりしてあげるだけ。
状態が良くないので、当直の先生だけだったけど、
主治医まで駆けつけてくれた。
先生と話をすると、非常に厳しい。と。
鎮痛剤にするか、鎮静剤にするか。
という判断をゆだねられたが、父が苦しそうなので鎮痛剤を。
でも、効果はない様子・・・。
鎮静剤を打つとなると、呼吸がゆっくりにはなってくる。けど、その分酸素が入ってこなくなる・・・そのまま呼吸停止になる可能性があります。と。
先生からの話は怖かった。
13時前かな?鎮痛剤が効かないので、鎮静剤を打ってもらう・・・。
父の額からは汗が止まらないので、私はずっと横についてうちわで扇ぎながらタオルで拭いてあげた。
あの苦しそうな姿は忘れられない。
鎮静剤を打つと、落ち着いてくると思いきや、酸素マスクをはずそうはずそうとする。
この症状は、末期の肺炎の方の症状だとか・・・。先生が横で言ってくれた。
体が震えて、熱も出てきた。
かと思いきや手が冷たくなってきた。
しかも、父の瞬きがなくなってきた。
私は大声で、「お父さんの手が冷たい!」「瞬きがない!」と言っていたを覚えている。
看護士さんと先生が横について、手を握ってあげて下さい。
と言うので、母と一緒に手をしっかり握って、「お父さん!!お父さん!」と言っても、
返事はない。
すでに、意識はないと・・・。
でも、父の左目から涙の筋が出てた。
そして、少し落ち着いてきたと思ったら、看護士さんが心電図を持ってきて、
つないでくれた。
心電図の波がポツリポツリになっていて・・・。
お父さん!お父さん!と声をかけて必死でお父さんの顔を抱えてたけど、
看護士さんの声で、心電図がまっすぐになっていることを見た。
そのときの心境は今でも覚えてるし、未だに嘘みたい。
心電図はうそをついているんだ!
看護士さんに嘘でしょ!って言ったのも覚えている。
先生があらためて、5月3日午後2時ちょうど・・・って言われて、
心電図とか酸素マスクとかはずそうとしたときも、嘘だ!!!!て思った。
とってもあっけなかった。
そして、本当に嘘のようだった。
お父さんはまだ生きてる、呼吸できるって・・って思いながら、
あきらめきれなかった。
これは、棺に入って火葬する瞬間までまだ生きてるって思ってた。
棺の中には信州の写真とお花の写真と。家族の写真。ダヴの写真。
そして、お父さんのお気に入りの私がロスで買ってきたキャップ。ベスト。チェックのシャツ。ズボン。道路地図。信州と徳島のガイド本を入れてあげた。
これで、お父さんはあの世に言っても退屈しないかな・・・って。
それと、お菓子もね。
また、お父さんと一緒に山に行こうね!私がこれからも連れて行ってあげる!って約束しました。
お父さんの好きな沖縄のヤマドリ?ってお花とかトルコキキョウとかカラーのかすみ草とか。たっくさんのお花でいっぱいにしてあげた。
今頃、何してるのかな?
って、まだ病院にいる感覚で、父がいなくなったっていうのが感じない。
お父さん、よく頑張ったね。
そして、5月3日だなんてお父さんらしい。
結婚記念日が命日になるなんて。
そして、仕事を休むのをいやがったお父さんらしい。
5月3日だと、みんなが休まずに集まれるもんね。
お父さん、ありがとう。
ほんとにお父さんの娘で幸せでした。
人生は一期一会。って・・・。
儚いものだね。
出会いもあれば別れもある。
お父さんは早すぎだよね。
なんであんなお父さんが早くに逝ってしまうんだろう・・って。。
でも、ほんとにほんとによく頑張ったね。
ありがとう。
そして、お父さんの棺に入れたトルコキキョウ、13日経った今も我が家に咲いてます。
この日は父と母の31回目?の結婚記念日。
昨日(5/2)、父が病院に行くなり『豪徳寺の牡丹がきれいだから写真撮ってきて』と気にしていたので、母と病院に行く前に豪徳寺に行こう・・・と出かけようとした途端、
一本の電話が。
病院からでした。
あまり状態が良くないので、来てください。と。
私と母は慌てて病院へ。
行くと、父は呼吸が荒い。
酸素マスクは離せない状況ではあるが、酸素マスクをしてても「60」や時には「50」付近。
しかも、大きく深呼吸をさせても70、80まで回復するのはとても困難な様子。
5/1や2、3日前は咳をすると「70」あたりまで落ち込むがすぐ80、90まで回復していた。
昨日(5/2)の話によると、タンをチューブで吸い取る際など、一日に数回死にそうになる時があるそう。
そして、5/2は19時頃まで病院にいたのだが、別れ際に父が、
「安らかな朝がくるといいな・・・」と言っていた。
看護士さんの話によると、夜寝付いてから、22時から24時くらいとかに痰が絡むと、
呼吸困難になり酸素の数値が上がらなくなることがしばしあるそう。
安らかな朝がくるといいな・・って。
私にはまったくその辛さはわからないんだろうけど、本当に苦しいんだろうな。って。
最近だと、「お父さん、苦しい?きつい?」と聞くと、「うん、きつい。」と素直に応えるようになった。
そんなこんなで、5/3の朝11時頃病院に着いてからは、少し話せる余裕もあった。
母が、「今日は結婚記念日だね」
父は「すまんね。」
と・・・。
私には父が「城南島は?」と。
それだけ。
5/3に会話をしたのはそれくらい。
あとは苦しそうに呼吸をする父をうちわで扇いだりしてあげるだけ。
状態が良くないので、当直の先生だけだったけど、
主治医まで駆けつけてくれた。
先生と話をすると、非常に厳しい。と。
鎮痛剤にするか、鎮静剤にするか。
という判断をゆだねられたが、父が苦しそうなので鎮痛剤を。
でも、効果はない様子・・・。
鎮静剤を打つとなると、呼吸がゆっくりにはなってくる。けど、その分酸素が入ってこなくなる・・・そのまま呼吸停止になる可能性があります。と。
先生からの話は怖かった。
13時前かな?鎮痛剤が効かないので、鎮静剤を打ってもらう・・・。
父の額からは汗が止まらないので、私はずっと横についてうちわで扇ぎながらタオルで拭いてあげた。
あの苦しそうな姿は忘れられない。
鎮静剤を打つと、落ち着いてくると思いきや、酸素マスクをはずそうはずそうとする。
この症状は、末期の肺炎の方の症状だとか・・・。先生が横で言ってくれた。
体が震えて、熱も出てきた。
かと思いきや手が冷たくなってきた。
しかも、父の瞬きがなくなってきた。
私は大声で、「お父さんの手が冷たい!」「瞬きがない!」と言っていたを覚えている。
看護士さんと先生が横について、手を握ってあげて下さい。
と言うので、母と一緒に手をしっかり握って、「お父さん!!お父さん!」と言っても、
返事はない。
すでに、意識はないと・・・。
でも、父の左目から涙の筋が出てた。
そして、少し落ち着いてきたと思ったら、看護士さんが心電図を持ってきて、
つないでくれた。
心電図の波がポツリポツリになっていて・・・。
お父さん!お父さん!と声をかけて必死でお父さんの顔を抱えてたけど、
看護士さんの声で、心電図がまっすぐになっていることを見た。
そのときの心境は今でも覚えてるし、未だに嘘みたい。
心電図はうそをついているんだ!
看護士さんに嘘でしょ!って言ったのも覚えている。
先生があらためて、5月3日午後2時ちょうど・・・って言われて、
心電図とか酸素マスクとかはずそうとしたときも、嘘だ!!!!て思った。
とってもあっけなかった。
そして、本当に嘘のようだった。
お父さんはまだ生きてる、呼吸できるって・・って思いながら、
あきらめきれなかった。
これは、棺に入って火葬する瞬間までまだ生きてるって思ってた。
棺の中には信州の写真とお花の写真と。家族の写真。ダヴの写真。
そして、お父さんのお気に入りの私がロスで買ってきたキャップ。ベスト。チェックのシャツ。ズボン。道路地図。信州と徳島のガイド本を入れてあげた。
これで、お父さんはあの世に言っても退屈しないかな・・・って。
それと、お菓子もね。
また、お父さんと一緒に山に行こうね!私がこれからも連れて行ってあげる!って約束しました。
お父さんの好きな沖縄のヤマドリ?ってお花とかトルコキキョウとかカラーのかすみ草とか。たっくさんのお花でいっぱいにしてあげた。
今頃、何してるのかな?
って、まだ病院にいる感覚で、父がいなくなったっていうのが感じない。
お父さん、よく頑張ったね。
そして、5月3日だなんてお父さんらしい。
結婚記念日が命日になるなんて。
そして、仕事を休むのをいやがったお父さんらしい。
5月3日だと、みんなが休まずに集まれるもんね。
お父さん、ありがとう。
ほんとにお父さんの娘で幸せでした。
人生は一期一会。って・・・。
儚いものだね。
出会いもあれば別れもある。
お父さんは早すぎだよね。
なんであんなお父さんが早くに逝ってしまうんだろう・・って。。
でも、ほんとにほんとによく頑張ったね。
ありがとう。
そして、お父さんの棺に入れたトルコキキョウ、13日経った今も我が家に咲いてます。