バティ子の陽気な日々

大好きな2PMをはじめ
K-POP、旅行やたべものの日記など
マイペースに書いています。

突然の高熱…

2015-12-23 10:49:34 | 家族
お久しぶりです。
もう今年もあと1週間になろうとしてる頃ですが…
そして、我が家は今年こそは家族でクリスマスをお家で過ごそうって願っていたのですが、大変な一週間でした…

先週の日曜日(12月13日)の夜に母が突然の高熱で救急車で運ばれました。

私はその日は出勤の日だったのですが、朝から突然の嘔吐。
心配しながらも会社に行きつつ、途中電話で様子を伺う感じでしたが…
19時半頃帰宅し、夜ご飯食べる?と聞いたところいらない…との返事。
犬の散歩の時にポカリスエットを買ってきて少し飲ませました。
そして、21時半頃、自分のご飯やお風呂やことを済ませて、ママの様子を見にママの部屋に行ったところ…
熱い。。足元にアンカ?を入れているのですが、アンカを抱いているかのように熱い。
そして、大丈夫??といってもしっかり回答が来ない。。言葉も発せないような状態で、ママに『救急車呼ぶ??』って言ったら、か弱い声で『うん…』みたいな返事はあったようなので、救急車を呼ぶのが嫌なママでもよっぽどなんだなと思って、あわてて救急車を呼びました。

救急車は10分くらいして到着。
私もオドオドしちゃって、とにかく病院に行く準備をしつつ、救急退院の方3名に処置を任せました。
熱を測ってみると40.2度…。
隊員の方が名前を聞いても応えれない。
隊員の方に、母の状態を聴かれ説明するも、失言症や意識レベル3という言葉が飛び交いながらもとにかく病院へ行きました。
初めての病院だったのですが、家から車で10分くらいで行ける病院となりました。

私は救急車には乗らず、車で後を追い…
私が到着したころには救急処置室へ入っていました。
母に会う事もなく私は処置室の椅子で待つことに。

運ばれた時の状況を思い出すと、危険な状態だったので待ちながらもよくないことを考えてしまって…
このまま命を引き取ったらどうしよう。とかよくないことを考えました。
とにかくママに会いたい。。。頑張って。。お父さん迎えに来ないで…って事ばかり。
ママがしていたコルセットと着替えを持ってこられてそれを見ながら辛くなってきてしまって…

そして、数時間して先生に呼ばれました。
先生は…

血液や画像からは悪いところは特にないけど、CPTだかPCTだかの数値が異常に高いと。要するに身体中に菌が回っていて敗血症を起こしていて血圧も低くとても危険な状態です。と。
ただ少し気になるのが左の腎臓が少し腫れている?ようです。とおっしゃっていました。

画像を見せられましたが素人の私にはまったくわからず…
とにかく命だけは助けてください。とお願いし、先生の処置に任せるしかないので、はい。。と返事するばかり。

これから腎臓から管を通して悪いものを出しましょう。とも説明がありました。
麻酔もしないのでとにかく緊急で。と。

私も説明されても本当にわからなくて…
とにかく願いは命を助けてって事だけ。

それから数時間して横たわったママが出てきました。
『ママ!!!』って言ったら声に気付いてくれて…
これは治ったの?と思いながらもやっぱりまだ危険なんだって。
このまま入院になるから病室へ運ばれるところでした。
夜中だったので、ナースセンターの横の部屋に移動して、ママと居ることができました。

ママに『ヒョクちゃんの誕生日は?』と聞いたら『4月4日…』と。
『テクの誕生日は?』と聞いたら『12月27日』と…。

その答えを聴いたら、一気に涙が出てきて…『ママぁぁぁ』って叫んだことを覚えています。
後々話を聞いたら、その時の状況が全く分かっておらず、ここはどこ?って感じだったらしいです。
そして、まみにヒョクちゃんとテクの誕生日を聴かれて泣いてるからどうしたのかと思ったって言っていました。

本当にね…あの瞬間は嬉しかった。。。
それからまたまた手術室に入るため私はその部屋で待機。
戻ってきたころには、少し会話ができる状態になっていました。
それでもまだまだ血圧は低く、上が80とかだったんじゃないかと…。

とりあえず翌朝出勤もあるし、ダヴの事も心配だし3時半頃家に帰ってきました。
おばにも電話したところ、起きてくれていたので状況を話す…

【入院一日目】翌朝、12月14日は出勤。
9時過ぎに会社に到着し、仕事をし始めたころに、病院から電話が。
『血圧が低く、まだ危険な状態です。緊急処置をするにあったって家族に説明があるので10時半までに来てください。』と言われ、
出社したのにすぐ退社。勝どき→浜松町→大森に到着したのが10:20。そこからタクシーに乗って、10:27に病院へ到着しました。
もうすんごく走った…これで電車止まったらどうしよう。とか考えながらもとにかく走りました。

話を聞くと、「エンドトキシン吸着療法」という処置を始めるとの事。
言われてもよくわからない。
ただ、今の母の状態には有効な処置なんだろうと先生を信じる。
数時間の処置をしている間に、私は家に帰り着替えや必要なものを用意してまた病院へ。

私が戻ってきてもまだママは戻ってきておらず…結局3時間くらいかかったのかな?
処置が終わっても血圧は低いまま。上が90くらいで推移。
結局血圧が上がらないとダメみたいで、点滴で血圧を上げるようにする。
6ml?だかそんな数字を調節し点滴を入れる、結局血圧が高いとその量入れて、その量が低くなって来れば血圧が上がってきてるという意味なんだなと理解しました。

それと抗生剤の投与。
1日に3回、8時間おきに90分の抗生剤を3日間するとのこと。
ただ、その抗生剤もオールマイティーに効くようなものだけども、効くか効かないかは数日しないと培養結果?などでわからないらしい。
とにかくここから数日。。。

私も一週間休みをもらい、毎日病院に通いました。

【入院二日目】12月15日
エンドトキシン吸着療法の2回目はせず、一日様子見。
血圧の点滴が6→3に減っていた。
つまりすこし血圧が上がってきたということ。

【入院三日目】12月16日
この日は家の事をするため病院には行かず。
エンドトキシン吸着療法の2回目はせず。
血圧も安定してきた模様。

【入院四日目】12月17日
血圧の点滴は外れた。
抗生剤も終了。
食事もお粥食だが、出始めた。
しかし1/4しか食べることができない。
リハビリもベッドの上で始まる。
2PM OF 2PMのDVDを持参してみたが、20分くらい見て疲れる。
でも、「早く会いたい。ライブに行きたい」という言葉を聞いて私も元気をもらう。
その気力って大事…TT


【入院五日目】12月18日
血圧の点滴と抗生剤はないが一つはずっと点滴している模様。
食事もお粥は食べきらないけど、軟菜食なので、おかずだけでも食べるようになった。
リハビリはリハビリルームで。
病院の屋上まで点滴と一緒に歩いて行ってみた。
病室からは富士山が見えたんだね。気づかなかった。



【入院六日目】12月19日
午前中病院へ。
経過良好の模様。
私はお友達と食事に行くことになったので、夕方帰宅。

【入院七日目】12月20日
この日は昼からDVD鑑賞会があったので、病院には行かず。
電話のみだが、まぁ、いい感じ。

【入院八日目】12月21日
午前中より病院へ。
お昼ご飯を一緒に食べる。



12月22日からは私が出勤の為病院には行けず…

と、大変な一週間でしたが、なんとか回復してくれているようで本当に良かった。
よく頑張ってくれたと思います…。

クリスマスはおうちに居れるかわからないけども、お正月は家で過ごせるといいな。
そして、とにかく早く元気になってライブに行けるようにしないとね。

ママが入院してから、お友達が心配してくれたり、ママにお手紙書いてくれたり…
おんきと電話して、おんきもママのために泣いちゃってくれたり…
本当に本当に周りの人に支えられた一週間でした…。
ありがとうございました。

早く元気になってライブ会場で会いましょうねTT
早く予定ください←
こんな時にまで…って思うかもしれないけど、本当にそれだけが生きる力になっていると思うんです…。

2PMは昨日、サムスン病院でチャリティーコンサートでしたね。
毎年この時期には慰問しているけど、本当によい活動だと思います。
病気で苦しんでる人にとって、好きな人に会える、好きな音楽が聞けるって一時の辛いことを忘れることができるし、活力になるよね。。

今年に関してはさらにそういう事を感じてしまいました。。










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