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石垣の反りにうっとり!

2011-03-27 | インポート

おはようございます

ヒデです。

熊本城のお手伝いで、思いがけないお土産をもらったオイラ達は、頬当御門(ほほあてごもん)に戻りガイドツアーへ参加することに。

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まず頬当御門を入ってすぐ左の石垣の上には、こんな窓のあいた塀があります。

これ良く見ると窓の大きさが違うでしょ!

長い方は弓を撃つためのもの。短いのは鉄砲を撃つためのものなんです。

ここから侵入してきた敵を狙っていたんだろうねぇ~。

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こちらの櫓は、左下に突き出た部分があるでしょ!

ここから石を落して、石垣を登ってきた敵を落としたりするんです。

こうやってお城は、天守閣以外でもいろんなところに敵を倒す為の仕掛けがあって、おもしろいんだよね!

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でたーーー!!

これが惚れちまった石垣です

見てよこの反り! 下の勾配はゆるやかなのに、上に行くに従い勾配が急になり、この反りが実現しているんだねぇ~。

通称、「武者返し」

いかなる屈強ば武士でも、この石垣の前では、跳ね返されたに違いない!

これをその名の通り石を積んで作ってるのが、これまたスゴイと思うのです。 隙間もほとんどなく大小いろんな石を使ってこれだけ大きく、反りのあるものを作っているんです。

エジプトのピラミッドもスゴイと思うけど、同じ石を積むということで考えれば、この石垣技術だって負けてない!

オイラは、そう思いました。

ここ熊本城では、2種類の石垣があって、写真のように勾配に大きな変化があって反っているのが『穴太積(あのうつみ)』というもの。 他にも下から急な勾配で反っているものが『算木積(さんぎつみ)』と言われます。

よく見ると石の積み方に違いがあるので、この石垣だけでもその技術の高さと勾配にうっとりすることができますよ。

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ドカーーーン!

これが日本三名城のひとつ熊本城だ!!

カッチョイイーーー

黒い外壁に大小の天守、そして立派な石垣、なんだか男のお城って感じがします。

今まで、大阪城、松本城、千葉城、館山城とお城を見てきましたが、石垣の造りは一番だと思うし、松本城を見たときにも思った、男のお城感というオイラのよくわからない直感を感じました。

マジ惚れました!

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もともと熊本城は、ドトーンとある大小の天守閣と櫓が49、櫓門が18、城門が29、広さ東京ドーム21個分という、ものスゴイ規模のお城なんです。

だから天守閣だけでなく、お城全体を見て回ることで難攻不落と言われた熊本城を楽しめるんです。

お城好きの芸能人であるロンブーの淳さんが、「自分がこのお城を攻めると思ってみるとおもしろいよ!」と言ってましたが、この熊本城を見て、その意味がわかったように思います。

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熊本城の石垣には、いろんなとこで写真のような痕を見ることができます。

さて、ここで問題

「この写真の痕は、いったい何の痕でしょうか?」

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大砲の玉の痕?

正解は、熱で石がはく離した痕なんです。

1877年の西南戦争で攻めてきた西郷軍を退けたものの、その後謎の出火が発生し、熊本城は一度大小天守を含め消失してしまったんです。

その出火のときの熱で石がはく離してしまったとのこと。 ここからも熊本城の歴史を感じることができるんですねぇ~。

出火の原因は、今も熊本城の謎となっています。

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熊本城、大小天守の前に何気なく生えているイチョウ(銀杏)の木。

このイチョウの木にも実は意味があるんですよ!

熊本城は、別名「銀杏城(きんなんじょう)」とも言われているんです。

それは、このお城を築城した加藤清正が、このお城を建てるときに植えたものと言われています。

加藤清正は、豊臣秀吉の家臣「賤ヶ岳の七本槍(しずがたけのしちほんやり)」の一人であり、「築城の天才」と言われています。

その加藤清正が、このイチョウの木を植えたとき「この銀杏の木が天守と同じ高さになった時、この城で兵乱が起こるだろう。」と、つぶやいたそうです。

その後、イチョウの木はすくすくと成長し、お城の天守と同じ高さになったとき、西南戦争が勃発! イチョウの木も出火の火で焼かれてしまったといいます。

しかし、イチョウの木の生命力は強く、焼けたイチョウの木から新芽が出て現在の高さまでになったそうです。

もしこのイチョウの木が、天守と同じ高さになったとき、また何か起こるのかもしれませんね。

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ここでガイドツアーは終了。 約30分くらいのツアーなので、気軽に参加できていいですよ!

もちろん大天守に入って、上まで登ってみました。

おおぉーーー!!熊本市が一望できますわ。

こうやって上から熊本の町を見下ろすと、なんだか熊本藩主になった気分になります。

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大天守を見て回ったオイラは、次に平成20年に復元された『本丸御殿』を見に行きました。

本丸御殿は、藩主加藤清正の居住空間として創設されたものです。

これがまたすごかった!! 黄金、煌びやか

この荘厳(しょうごん)な雰囲気が漂う部屋は、手前が「若松之間(わかまつのま)」、奥が「昭君之間(しょうくんのま)」と言われていて、藩主が客を招く場所として使われたと言われています。

ただ一藩主の加藤清正にしては、この部屋は煌びやかすぎると言われ、もしかしたら豊臣秀吉の子供を招きいれるためのものとも言われていたようです。

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天井にもキレイな花々が描かれていました。

この部屋で寝ることがあったら、こんなキレイな花を眺めながら寝れるのね!

すばらしいねぇ~!!

夜、ろうそくの火で照らされる、この部屋はどんな部屋になるんだろうね。 気になってしまいます。

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ここは「大御台所(おおおんだいどころ)」

食事が作られていた場所です。

とってもひろい台所だよね!

写真は、台所の囲炉裏を撮ってしまいましたが、実は天井がすごかったんです。 煙がこもらないように吹き抜けになっていて、梁や屋根裏の構造が丸見えです。

見ごたえあるよぉ~

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大奥みたい!

と思った、襖もいっぱいある大広間。

入ることはできなかったけど、この真ん中を偉そうに歩いてみたいねぇ~。

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ここにはいくつかパソコンが置いてあって、熊本城のことをクイズ形式で学ぶことができます。

子供達がみんなパソコンに向かって熊本城クイズに挑戦してました。

みんな熊本城大好きなんだねぇ~。

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本丸御殿の下には「闇り通路(くらがりつうろ)」が設けられていて、ここを通り天守閣に向かうんです。

この通路に使われている木が、これまたスゴイのよ!

超極太の赤松の梁。 たぶん樹齢は、何百年のものと思われます。

これらの木を見るだけでもなんかパワーもらえますよ!

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本丸御殿で豪華な気分になったオイラは、続いて西南戦争でも消失も免れた唯一当時からのこっている建造物「宇土櫓(うとやぐら)」へ行ってみました。

これぞ外から中まで当時のままの、もっとも当時の歴史を感じることができる建物であります。

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外から見ると通路が何故か斜めに建てられていることに気付きました。

中も通路に傾斜があるんです。

これは中に入ってみるとよくわかります。

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ほらこんな感じで床に傾斜があるんです。

しかも天井が低く、部屋の境目の入口もかなり低い。

これは敵が攻めてきたとき刀を振り上げられないように低く造られており、しかも傾斜があることで守る側は下から上で攻めることができます。

戦況を有利に進めるための構造になっているのです。

すばらしいっす!

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しかもいろんなところに隠れるための秘密部屋があるんです。

こういうところに隠れて敵を倒していたりしたんだろうね。

かくれんぼしたい。

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宇土櫓の一番上からみる熊本城天守も、これまた絶景ポイントでございます。

他にも阿蘇山などの山々も見ることができます。

ここで記念撮影する人も多かったです。

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見どころ満載の熊本城。

最後に忍者が見送ってくれました。(ニンニン)

ここは全国でも桜の名所として有名なところなので、春に訪れるのもおすすめです。

是非、熊本へ来たときは、熊本のシンボルである熊本城へ一度訪れてみることをおすすめします


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