紙魚子の小部屋 パート1

節操のない読書、テレビやラジオの感想、お買い物のあれこれ、家族漫才を、ほぼ毎日書いています。

ほらほらやっぱり。

2009-06-09 00:24:00 | 学校
 先日のブログ記事で、「神戸女学院の内田樹先生のヴォーリズ建築評が読みたい!」と書いたところ、ささやかながらも彼のご意見を読む機会を得た。うれしい。言ってみるもんである。求めよ、さらば与えられん、である。

 最近立ち上がったらしいが、内田先生が神戸女学院のHP内に入試部長として高校生たちに向けて書いているブログ記事がある。名付けて『入試部長のひとり言』

 この最新記事「『ぼおっと』過ごせる空間」の終盤あたりがそうなのだけれど、以下引用させていただく。大学で何を学び、どう過ごすのか、という彼の持論です。

(途中より)
 本来、高等教育のキャンパスには「誰にも邪魔されず、ぼおっと無為な時間を過ごすことができるための空間」が人数分用意されていなければならない。
ぼくはそう思っています。
たぶん、ケンブリッジとかオックスフォードとかハーヴァードとかそういう大学はそういうふうになっているはずです(パリ大学は違います。フランスの大学には建物だけしかありません。でもその代わりに、校舎を一歩出ると、街には「ぼおっと」用のスペースがほとんど無限にあります。だから、パリは「知性の都」と呼ばれるゆえんなんです)。
教育とは何か、学問とは何かということがわかっていれば、必ずそうなるはずなんです。
でも、残念ながら、そのような空間的「無駄」が大学教育には死活的に重要だと考えている大学人は現代日本にはほとんどいません。
みなさんすっかりビジネスマインデッドになって、「坪単価」とか「回転率」とか、そういうせこいワーディングでキャンパスデザインを論じています。
さいわい、本学は「そういう空間」だけはたっぷりあります。
これは設計したヴォーリズさんが「教育」というものについて深い洞察力を備えていたからだと僕は思います。
本学のヴォーリズ設計の学舎には「引っ込んだところ」がやたら多いんです。
ほんとに。
廊下の途中に意味不明の「へこみ」があって、古い長椅子が置いてある。
壁の裏に「隠し階段」がある。
隠し階段を登ると昼寝のできる「隠し部屋」がある。
理学館に「隠し三階」と「隠し屋上」があるのを発見したのは、ぼくが赴任して5年目のことでした。
理事室の奧に「隠しトイレ」があるのを発見するまで、17年かかりました。
「誰にも邪魔されない場所」「自分だけの隠れ家みたいな場所」をそこらじゅうに仕鰍ッておかないとキャンパスは機能しない。
たぶんヴォーリズさんは直感的にそう理解したんだと思います。
この大学に20年勤めて、いまでもぼくはふと廊下の角を曲がったときなんかに、この設計者のお茶目な「悪戯心」と教育についての見識の高さに驚かされます。
「ぼおっとしていること」が空間的にこれほど勧奨されているキャンパスというのは、日本でも例外的なんじゃないかと思います。
たぶん、それが「肩の力が抜けている」「無為な時間を過ごすことが得意」という本学学生のきわだった特性の涵養にもつながっているのかと思います。

(以下省略)

 ほらほら、やっぱり出てきました、「お茶目」「悪戯心」「意味不明のへこみ」「隠し○○」。ヴォーリズ建築を語る(少なくとも私が)時には必須のキーワードですよ、これ。

 以前放映された『日曜美術館』は、なかなかイイ線いってはいたんだけれど、上記のキーワードにまでは至ってなかったと記憶している。
 もちろん『件p新潮』の小特集も。惜しいな、せっかく内田先生にインタビューしているのに。肝心なとこ、スルーしちゃって。私にとっての肝心だけれどもね。はは。

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