カネサダ番匠ふたり歩記

私たちは、大工一人、設計士一人の木造建築ユニットです。日々の仕事や木材、住まいへの思いを記していきます。

ノリが決め手

2007年10月27日 | お茶室のこと
今週は私のお茶の先生である森崎邸の茶室の腰張り紙の張替えに行ってきました。
前の晩は糊炊きからです。





布海苔(ふのり)は海苔と書くように、海藻です。海の中で岩にくっついて生えていて、長さは10センチ前後。板状に干し固めてあります。
鹿角菜(ろっかくさい)という別名のとおり、よく見ると小さい鹿の角がびっしり並んでいます。

水に布海苔のシートを入れ、ふきこぼれないように注意しながら煮ると、きれいに溶けて黄色い糊になります。





森崎先生のお茶室は築100年の住宅を改造したもので、古材をうまく利用して茶室の造作がしてあります。
古い腰張り紙を剥がしたら、土壁の表面を安定させ、新たに貼る紙とのなじみを良くするために、ふのりを塗りつけて下地処理をします。

ふのりの特長は、「強くもなく、弱くもなく」といったところでしょうか。
水にすぐ溶ける性質であるため、次に再び紙を張り替える時には水で湿らせてやると土壁を傷めることなく、簡単にはがせます。





しかし、ふのりだけでは接着力に乏しいので、紙に糊を塗る段階で今度は麩煮糊(ふにのり)を加えます。
麩煮糊は小麦粉を煮て作った糊です。ふのりと麩煮糊を半分づつぐらいで混ぜて使います。
良く練って練って~!





紙貼りに来てもらったのは、兵庫県丹波市の南フスマさん。
実は私(夫)の父です。私の祖父の代は極貧で、和歌山城下の橋の下に住んでいたそうですが、ある日祖父が古道具屋で屏風を買ってきて、それを一枚一枚紙をめくって研究して襖屋を始めたのがきっかっけだそうです。

最近は私の建てた家には父に襖を入れてもらうようになりました。
今回は私は襖屋さんに弟子入りして、糊付けのお手伝いです。





糊をつけたら素早く壁に張り付けて、堅ハケを縦に持ってトントントンと土壁になじませていきます。
亭主側には手漉きの土佐西ノ内(にしのうち)紙を一段張り(高さ27センチ)にします。乾くと真っ白になります。





一方、客側は手漉きの越前湊紙(みなとがみ)を二段張り(高さ54センチ)にします。こうやって、腰張りの紙で亭主側、客側が一目瞭然となります。着物の帯で土壁がこすれて傷むのを防ぐわけです。

自然の素材を使った建物は長持ちもするし、修繕するのも簡単にきれいにできるようになっています。お茶室に使い捨ての感覚は通用しませんものね。





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お茶るさん

2007年10月22日 | 田舎暮らしのこと
実りの秋ですね。
カネサダ家の畑で見つけた秋の三題、お届けします。


第一題 「役者志望」




これから大根のおいしい季節ですね。おでん、ふろふき大根、鍋物には大根おろしなどなど、大活躍なのです。
それにしても、何ともグラマーな体つき、思わずその足に生のままかぶりつきたいような・・・あ、失礼しました。


第二題 「寄り添いたイモん」




イモにもいろいろありますね。ツチノコみたいにでっかいのやら、ミミズみたいに痩せてひょろひょろのやら、スーパーの店頭ではなかなかお目にかかれない形のものばっかりです。

しかし、このおイモさんたちは土の中でぴったりと仲良く寄り添っていたところを、いきなり鍬で掘り出されて白日のもとにさらされ、余りの恥ずかしさにこんなに赤くなってしまったのでしょうか?掘り出したこちらの方も何だか恥ずかしいやら、目のやり場に困ってしまいました。

カネサダ番匠も、こう、寄り添って・・・ああ、失礼しました。


第三題 「かわいいお茶るさん」




今お茶の木には、真っ白いかわいい花と、お茶の実がたわわに実っています。
お茶の実をもぎ取って地面でこすってやると、かわいいお茶るさんの登場です。

なんとも微笑ましい田舎の光景のようですが、最近はかわいくないお猿さんの被害が近所でも頻発して皆困っています。かぼちゃやハクサイなんかでも平気で脇に抱えて持っていくんですからね。
隣村では家に上がりこんで仏壇のお供え物を持っていったという話まであります。

「見ざる、聞かざる、言わざる」といいますが、これからはもうひとつ「盗まざる」を付け加えていただけるとうれしいですね。
ではこの辺で私も去るとしますか・・・大変失礼いたしました。
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あったまろう

2007年10月19日 | 田舎暮らしのこと
いよいよ岐阜県の乗鞍岳では初雪が降り、初氷が観測されました。
これからやって来る厳しい寒さを乗り切るために、本領を発揮してくれるのが、我が家のお風呂です。

我が家の風呂釜は薪と石油の兼用釜です。
毎日夕方になると、まず屋根の上に乗っかっているソーラー給湯器からお湯を湯船に落としてきます。これは太陽熱だけでお湯を沸かしてくれるものですが、夏は手でも触れないくらいの高温で、追い焚きしなくても十分に使えます。





天気の悪い日や冬場なら、薪を入れてお湯を沸かします。
薪は仕事で出た廃材を利用しています。

先日家の整理中に、この兼用釜が新発売された頃(かれこれ30年前ぐらいでしょうか?)のパンフレットが出てきたのですが、そのうたい文句は「全自動!!」なのです。

では、その全自動ぶりを紹介しましょうか。
薪をくべた後、タイマーをぐりっと回すと石油で点火してくれます。20秒ぐらいで薪は勢い良く燃え出します。ここで石油は切れます。
夕食の準備をしながら、何回か薪を継ぎ足します。その日の天気によって沸かす時間はまちまちです。
いつ沸いたのが分かるのかですって?それはお風呂場に行って、お湯をぐるぐるとかき混ぜて、いい湯加減になったなと思った時です。

家族がお風呂に入る時には声を掛け合います。
「たった今薪をくべたばっかりだから、上のほうが熱いから注意してよくかき混ぜてね。」
「お先に入ったよ。少しぬるかったから、もう少し薪入れとくね。」
かと思うと、お風呂の中から大きな声で、「おーい!薪入れてー!」と呼ぶ人もいたりします。

こうやってみんなのバトンタッチで、お風呂は全員が入る間中あったかいお湯がいつも沸いています。
薪で焚いたお風呂は心と体の芯まで暖まり、湯冷めもしにくいようです。

家族全員参加の「全自動!!」これからも大切にしていきたいと思っています。
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墨は半分

2007年10月11日 | 大工のこと
現在Y邸新築工事の墨付けの真っ最中です。





家の新築にとりかかる場合に、新たに作成するものには、まず絵図板があります。
看板板ともいい、家の設計のあらましを板に描いた物です。昔は設計図なんてありませんから、大工は絵図板一枚で全ての仕事をこなしました。





次に間竿(けんざお)です。尺杖(しゃくづえ)ともいいます。4メートル程の細く削った杉の木に長さの目盛りを記したもので、垂直用と水平用、そして小屋用の3本を作ります。小屋とは屋根を指します。全ての部材はこの間竿を使って長さをとっていきます。

そして今日紹介する墨刺(すみさし)があります。





墨刺は、差金(さしがね)、墨壺(すみつぼ)とならんで、墨付けにはなくてはならない道具です。
最近は大工道具店に行けば、プラスチックや真鍮製などの既製品が簡単に手に入りますが、私はいつも自分で作ることにしています。

作り方は簡単です。
一晩水に漬けておいた真竹(まだけが一番いいみたいです)を、自分の手にあった寸法に削り、刃先をカッターナイフで細かく割り込んでいきます。こうやって作った墨刺は軽く、角材をはじめ丸太にも自由自在に墨付けをすることができます。





さて、大工の仕事は「墨半分」といいます。
髪の毛ほどの細さで描かれた墨を、ノコギリやノミで加工する時に、墨の太さの半分で切ったり掘ったりしてあげると、木と木を接合した場合に元通りの寸法に納まるからです。

私が上之保村の親方から教わった、「墨半分」の極意があります。

親方の修行時代には兄弟弟子がたくさんいて、親方の親方はたいそう仕事に厳しく、特に墨半分ということをやかましく言われたそうです。
なかなか駆け出しの頃はうまく道具を使えません。思わず墨を大きく外れて、墨が見えなくなるほど切ってしまうこともあったとか。
親方に見つかって大目玉をくらう前に、墨刺でそおっと角をこすってやると、あら不思議!墨半分にきっちりと仕事ができた(ように見える)ではありませんか!兄弟弟子たちがみんなこっそりやっていたそうです。

えへへ、私の修行時代、上之保村の親方は私の極意には気づいていたんでしょうかねえ?

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一年生、がんばれ~!

2007年10月07日 | 山のこと
今年も杉の葉枯らし乾燥に取り組んでいます。
今日は郡上市北部にある「鮎立中山(あゆたてなかやま)国有林」に杉の伐採の見学に行ってきました。





郡上を長良川に沿って、グングン北上し、高鷲(たかす)町のあたりまで来ると、本流はだんだんと細くなってきます。
さらに、支流の切立(きったて)川に沿って山に入っていくと、今日の目的地である鮎立中山国有林に到着します。





山では、白鳥林工さんの山師の方々が杉の伐採作業中です。
郡上のあたりでは、伐採適期は、お盆過ぎから春の彼岸までといわれています。





こちらの杉は直径60センチの75年生です。
倒れる時の音は豪快です。ドドーン、ババーンと周囲の山中に大音響が鳴り渡ります。

山の上手または横に倒し、葉っぱをつけたまま山中にて乾燥させ、本格的な降雪になる前には山から出してしまいます。何しろこのあたりは2~3メートルは平気で雪が積もるんです!

さて、このような乾燥方法を「葉枯らし(はがらし)乾燥」といいます。
伐採後に山中に2~3ヶ月葉っぱをつけたまま放置することによって、杉は「あれ、僕ってまだ生きてるんだよね?よ~し、頑張って葉っぱから水分出しちゃうもんね~」とばかりに、水分の蒸散を促進してくれます。

もちろん木の中の水分は完全には抜け切りませんので、山から下ろして製材後にしっかりと乾燥期間をとってやりますが、この山中での葉枯らし中に、適度に木の内部応力が抜け、クセが取れ、乾燥割れの程度も低くなります。色つやも良く仕上がります。





一方こちらは、同じ山中に昨年植えつけられた一年生の桧です。目と鼻の先で、70~75年生の杉や桧が林立していますが、かれらもしっかりと育ちつつあります。なんだか、私たちまでうれしくなってきました。
一年生、がんばれ~!





そしてもう一つ、今日のうれしい収穫。帰りがけに近くの谷で見つけたトチの実と山栗です。

手前の小さいのが山栗です。小粒ながら市販の栗よりもずっと甘いんですよ。
トチの実は後ろのコロコロと太った栗みたいなものです。これは市販の栗と同じくらいの大きさです。まわりにある丸い殻の中に入っています。
近所の物知りおばさんに聞いて、トチ餅にチャレンジしてみます。

山の恵みに感謝、感謝の一日でした!






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ミニ製材所

2007年10月05日 | 木のこと



ミニ製材所のオープンです。(といっても、カネサダ番匠の作事場です。)





この小型製材機は、バンドソーに製材用の台車をくっつけただけのものですが、直径30センチ、長さ5メートルまでの丸太の製材が可能です。

どうやって台車が動いていくかですって?
ご覧のとうり、人力でじわーっと押していきます(だからといって押部くんというわけではありませんが、彼の名前なんです)。





製材している丸太は、以前このブログの伝令、走れ走れ!でも紹介した、家族総出で山から下ろしてきた間伐材です。

実際にやってみると、これが以外に難しく、以外におもしろいのです。
丸太は真っ直ぐなように見えて微妙な曲がりがあったり、元口(根元のほう)と末口(その逆で、立ち木の状態でいうと先っちょのほう)でも直径の差があったりして、板を取ろうか、角材を取ろうかなど、丸太さんとにらめっこしながらの楽しい作業です。





製材したものは、丁寧に桟木を敷いてやり、直射日光の当たらない、それでいて風通しの良いところでじっくり自然に乾燥させてあげます。さあ、何に使ってあげましょうかねぇ。





早速、これらの木を使って、作業台を作ってみました。

最近は、山では間伐材は放置されることが多く、せっかくの貴重な資源を有効に利用できていない場合もあります。その理由には、採算が取れないとか、規格・長さが不揃いだ、などが挙げられるでしょう。

個人的なレベルではありますが、少しづつでも、山の貴重な恵みである木を大切に使っていきたいと思っています。
そしてその思いの輪が少しづつでも広がれば、日本の山も、もっと元気を取り戻してくれるのではないでしょうか。
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想いを感じる旅

2007年10月01日 | 家のこと
カネサダ番匠では、「よし、建物見学会にいくぞー!」と意気込みだけはあり、事務所の壁には、『カネサダ番匠見学会候補地』と張り紙がしてあります。

例を挙げてみると、明治村、リトルワールド、白川郷、高山・吉島家、飛騨民俗村、三渓園、四君子苑、無鄰庵、紀伊風土記の丘、四国村・・などなど、いつになればいけるんだろうと、ため息をつきながら楽しみにしているのです。
楽しみは多いほどいいですものね。

先日東京方面に所用があったついでに、ひとり抜け駆けして日本民家園(川崎市)に行ってきました。





園内には東日本の代表的な古民家が20数軒移築されており、他にも園路には道祖神やお地蔵さまなどの石造物があったり、生活用具類などの展示もあり、非常に充実したもので、私も限られた時間内では、とても全てを見学することはできませんでした。





古い建物を見学するとき、私はいつも「ここにはどんな人が住んでいて、どんなドラマが繰り広げられたのだろうか?」と想いを遥か昔に巡らせてみます。





建前の賑やかな様子も想像してみます。大工たちはどんな服を着て、食事はどんなものだったんだろうか?近所の人たちも大勢手伝いにきたんだろうな・・
ドラえもんがいたら、タイムマシンで昔のその場所に連れて行ってもらい、その光景や音を肌で感じてみたいものです。





そういう思いで何軒も見ていると、一番心に響いてくるのは、これらの家に住んでいた人たちの生活への想いなのです。
もちろん、これらの家を作った大工や棟梁たちの想いもあるでしょう。
しかし、住人の「この家で、この土地で、この生業で、私たちは生きていくんだ」との想いの方がはるかに強く感じられるのです。





古いものや、長年使い込まれたものに惹きつけられるのは、単なるノスタルジックな感傷からくるものだけではなく、その明らかに過去に存在した人々の様々な想いが込められているからではないでしょうか。

それを思うと、最近の生活習慣や時代の流れ、住宅建築を取り巻く環境の中で、後世見る人々を魅了するような住宅は残りうるだろうか?と自問してしまいます。
わざわざ「伝統」という言葉を持ち出してきたり、本当にいいものは何か?という問いかけをしなければいけない時代は果たして健全と言えるのでしょうか。

簡単に出てくる答えではないことは、現代のあらゆる人々が感じているのでしょうね。
カネサダ番匠の、人々の想いを感じる旅は、まだまだ続くのであります。
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