
集まった大工の平均年齢が61歳の建前、というと最近はめずらしいかもしれません。
心配していた天候にも恵まれて、無事に建前が進行中です。
「煎じて、煎じて、煎じて、あとはカン」で紹介した、80坪の本家普請です。
年明けから墨付け・手刻みを進めていましたが、ようやく上棟することができました。

「おやっさん」とは、岐阜県関市上之保の私の親方です。今年68歳です。
私が小僧(大工見習い)の頃と比べて、変わったことといえば、眼鏡をかけていることぐらいでしょうか。
2階の桁に丸太梁を架ける時などは、ひるむ私を尻目に「俺が行くから」と先陣を切って桁の上を歩いていきます。
大屋根に登っていたのは、私とおやっさんと、72歳の大工さんです。スーパーマンみたいな方々です。

二階の大屋根の庇を支えるのは、上之保村で「せんがい」と呼ばれる方法です。
柱に腕木と持ち送りを差し、その上に出桁を載せ掛け、軒を大きく出すのです。こうすることで、独特の屋根の景観が生まれます。

大屋根のせんがい軒と縁側の磨丸太桁を、ルーフィングを届けに来てくれた瓦葺き師さんが、腕組みをしながら「うーむ」とひとしきり眺めていたのですが、「せんがいなんて見るのは本当に久しぶりやな~これは最後のせんがいかもしれんな~」、と言い残して去っていきました。
その後の一服の時に、皆で「最後って言ってたけど、どういう意味やろうね?瓦屋さんにとって最後?このあたりの建物として最後?令和時代で最後?まだ始まったばかりだけど・・」と話していたら、おやっさんが「どれにしても最後だなんてさみしい、俺はまだまだやるよ」と頼もしい言葉を発してくれました。

今回の建前に集まった大工は9人。おやっさんの3兄弟大工を始めとして、私の大工人生の中でずっと関わってきた大工さんたちばかりです。
カネサダ番匠の30歳代の若い衆を除いた平均年齢は61歳になります。皆さんがほとんど60歳代ということです(ちなみに私は今年50歳。まだまだ若造です・・)。
こんなメンバーですから、一服の話題に上るのが、手刻みのこと、昔の現場のこと、かんながけはこのようにする、ボルトの長さの勘定はこうしてやる・・などなど、みなさんウンチクを熱く語ってくれます。そのどれもが、みんなが「分かる分かる」というものです。もちろん私にとっても「分かる分かる」ということばかりで、ためになることばかりです。こういう時は、それぞれの場所で仕事をこなしてきた大工が感じてきたことは、皆さん同じなんだな~、と感心します。

これは通し柱の墨付け風景です。通し柱とは1階から2階までに通して伸びている柱です。2間(約3.6メートル)おきに配置するのが通例です。
通し柱は6寸角(18センチ角)です。最近のプレカットを主とした木造住宅の通し柱の一般的な寸法は4寸5分角(13.5センチ角)です。
これは大工であれば誰でも分かっていることなのですが、13.5センチ角の通し柱をトラックから下ろす時に荷台から誤って落としたとしたら、下手をすると真ん中で折れてしまいます。これは胴差しという部材が取りつく部分の加工穴の欠損が非常に大きいためです。こんな通し柱で大地震が来たら・・想像に難くありません。
もちろんこのリスクを下げるために、外壁側に構造用合板などの面材を張ることや、柱・筋違い(構造用合板を使用する場合は筋違いは入れません)などを金物でしっかりと留めつけることが現在では一般的(建築基準法に定められています)ですが、合板の寿命はいいところ(条件によってはまちまちですが)30年~40年程です。新築時はいいとしても、30年後に大地震が来たとしたら・・これも想像に難くありませんよね。
実験では、通し柱を6寸角以上にすれば、胴差しの仕口で折れる可能性はぐんと下がります。私は通し柱はまず6寸角以上を使用します。

これは大黒柱です。大黒柱は一尺角(30センチ角)です。これを手かんなで丁寧に仕上げます。

最近は新しい工法や法律などの変化が目まぐるしく、正直なところを申しますと、60歳代以上の大工や職人はその変化についていけていないかもしれません。
しかし、新しいことが全て正しいのか、というとそうではない、と私は思っています(かといって、新しいこと全てを否定するわけでもありません)。新しいことに足りないことは、時代や時間の淘汰を受けていない、ということです。新出の工法や建材が30~40年後にどうなっているのか、誰に予測できるというのでしょうか?
おやっさんを含め、年季の入った大工さんは、50年以上の経験と勘と実績を持ち合わせています。おやっさんのおやっさん、そのまたおやっさんを含めるとどうでしょうか。木造建築に限って言えば、私はこのような大工の言う言葉の方が頷けるし、正しいと思えるのです。
私の目標は生涯現役です。ずっと私自身の手で家を刻んで建て続けたい、そう願っています。
おやっさんや先輩大工さんたちと仕事をするにつけ、いつも勇気づけられるのです。