まだ記憶に新しい「平成30年7月豪雨」ですが、2018年(平成30年)6月28日から7月8日にかけて、西日本を中心に北海道や中部地方など全国的に広い範囲で記録された集中豪雨です。死者221人、行方不明者9人と「平成最悪の水害」になってしまいました。
私の住む岐阜県郡上市にも7月7日大雨特別警報が出され、郡上市ひるがのでは期間内の総降雨量が1214.5㎜になり、長良川が氾濫寸前になりました。郡上市でも土砂災害をはじめ、住宅の浸水被害が出ています。
今回は同じく大雨特別警報が出された岡山県のお話しです。岡山県での被害は倉敷市真備町に代表される、県内の風水害による被害としては戦後最悪のものとなりました。全半壊・浸水家屋の数は14,000棟にのぼりました。

現在、岡山県総社市で行われている仮設住宅建設のお手伝いに行ってきました。



実はこの仮設住宅は木造なんです。東日本大震災以来、7年間にわたり福島県いわき市に建設されていた仮設住宅の一部を、総社市に移設する作業が現在旧ピッチで進められています。屋根の母屋が黒ずんで見えるのは、そのためなのです。9月の半ばにはこれらの仮設住宅に第一陣の方々が入居される予定です。

構造材、内装材はすべて杉材で、木の香りが充満しています。福島県でも入居されている方々に好評だったそうです。解体後も自然素材でできていますから、再利用・移設もできますし、環境にも負荷をかけません。実は、被災地での通常のいわゆるプレファブの仮設住宅は建前としては再利用をうたわれてますが、そのほとんどは解体後には破棄処分されています。仮設住宅までビルド&スクラップでは、環境に負荷をかける一方ですし、災害が増えるほど自治体や国の負担は増えていく一方です。今後、いろんな自治体・国の関係者の方に、この木造仮設住宅の建設や再利用・移設を検討していただけたら、と思います。実際に福島県いわき市の、この木造の仮設住宅を買い取って、基礎コンクリートを設けて永住用の住宅に転用されてる方もみえます。
私たちは仲間の大工さんを含めて、3人で参加したのですが、25人ほどの全国から集まった大工さんたちと寝食を共にし作業してきました。参加者リストに載っているのは全部で79人。10月半ばまで工事が続くのですが、短期間の人もいれば、全期間通して参加される人もいて、入れ替わりながら作業が進められています。20歳代の若い大工さんもいれば、50歳代のベテランの大工さんもいます。みんなで和気あいあいと、それでいて熱心に作業が進められていて、こんな熱い大工さんたちが全国にいるのか!と、とても頼もしく思い、勇気づけられもしました。リーダーのマイケルこと、杉原敬さんもすばらしい方でした(アメリカ人と日本人のハーフ。実はすごい大工さんらしいです)。宮城県の方で、東日本大震災も経験され、当初のいわき市での仮設住宅建設にも関わっておられます。
さて、作業中の昼食は敷地すぐ隣の公民館でとるのですが、玄関から入ったロビーで、ちょうどその朝に起きた震度7の北海道胆振東部地震のニュースを食い入るように見ておられた初老の男性がみえました。もしや?と思い、「あの、もしかして被災された方なんですか?」と尋ねたら、案の定そうでした。

これは総社市下原地区の被害の様子です。男性は下原地区の方で、朝日アルミ産業岡山工場の水蒸気爆発の被害に遭われました。工場は写真のすぐ左側にあります。7月6日、岡山県を含め8府県に大雨特別警報が出され激しく雨が降り続いていた夜のことです。午後11時35分、高梁川の増水により工場内が浸水し、高温の溶融炉内のアルミに触れて水蒸気爆発が起きました。ごう音が鳴り響き、爆風のせいで工場に隣接する下原地区のほぼ全ての家のガラスが割れ、天井や壁が落ち、屋根瓦が吹っ飛びました。焼失した家もあります。男性は、あまりの衝撃の激しさにその時何がおこったのか全然わからなかったそうです。ごう音は数十キロ先まで聞こえたといいます。
それだけでは終わりませんでした。下原地区の混乱・散乱する家々は、破壊された窓や屋根から降り続ける豪雨が浸入し、あろうことか夜中に高梁川の支流の小田川の氾濫によって浸水してしまいます。あの真備町が浸水した、まさにその氾濫水です。下原地区は倉敷市真備町に隣接しているんです。写真では奥の方向が真備町になります。
こんなこともあるのか、と絶句しながら男性の話を聞いていました。第一陣で入居されるのは、この男性をはじめとする方々なのです。男性は、「いままでテレビなどで被災された方々を見て、お気の毒だと思うだけだった。自分が被災するとは夢にも思わなかったし、いざ被災してみると今そのつらさを痛感している」とおっしゃってました。
その男性を見て、「ああ、なんとお気の毒な」と思っているのが今の私なのです。大規模な想定外といわれる災害が頻発するこの頃ですが、なにが日常・非日常、公平・不公平、正常・異常なのか誰にも分かりません。もし、そこに何らの差異がないのなら、あたり前に次は災害が自分の身にも降りかかってくるのではないかと思うのです。

これから以後に建設される仮設住宅の部材が、福島から搬入されて、うず高く積み上げられています。
引き続き仮設住宅の建設工事に入られる大工さん・業者さんの方々には、ぜひ頑張っていただきたいと思います。そして、被災された方々・地域の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げています。
私の住む岐阜県郡上市にも7月7日大雨特別警報が出され、郡上市ひるがのでは期間内の総降雨量が1214.5㎜になり、長良川が氾濫寸前になりました。郡上市でも土砂災害をはじめ、住宅の浸水被害が出ています。
今回は同じく大雨特別警報が出された岡山県のお話しです。岡山県での被害は倉敷市真備町に代表される、県内の風水害による被害としては戦後最悪のものとなりました。全半壊・浸水家屋の数は14,000棟にのぼりました。

現在、岡山県総社市で行われている仮設住宅建設のお手伝いに行ってきました。



実はこの仮設住宅は木造なんです。東日本大震災以来、7年間にわたり福島県いわき市に建設されていた仮設住宅の一部を、総社市に移設する作業が現在旧ピッチで進められています。屋根の母屋が黒ずんで見えるのは、そのためなのです。9月の半ばにはこれらの仮設住宅に第一陣の方々が入居される予定です。

構造材、内装材はすべて杉材で、木の香りが充満しています。福島県でも入居されている方々に好評だったそうです。解体後も自然素材でできていますから、再利用・移設もできますし、環境にも負荷をかけません。実は、被災地での通常のいわゆるプレファブの仮設住宅は建前としては再利用をうたわれてますが、そのほとんどは解体後には破棄処分されています。仮設住宅までビルド&スクラップでは、環境に負荷をかける一方ですし、災害が増えるほど自治体や国の負担は増えていく一方です。今後、いろんな自治体・国の関係者の方に、この木造仮設住宅の建設や再利用・移設を検討していただけたら、と思います。実際に福島県いわき市の、この木造の仮設住宅を買い取って、基礎コンクリートを設けて永住用の住宅に転用されてる方もみえます。
私たちは仲間の大工さんを含めて、3人で参加したのですが、25人ほどの全国から集まった大工さんたちと寝食を共にし作業してきました。参加者リストに載っているのは全部で79人。10月半ばまで工事が続くのですが、短期間の人もいれば、全期間通して参加される人もいて、入れ替わりながら作業が進められています。20歳代の若い大工さんもいれば、50歳代のベテランの大工さんもいます。みんなで和気あいあいと、それでいて熱心に作業が進められていて、こんな熱い大工さんたちが全国にいるのか!と、とても頼もしく思い、勇気づけられもしました。リーダーのマイケルこと、杉原敬さんもすばらしい方でした(アメリカ人と日本人のハーフ。実はすごい大工さんらしいです)。宮城県の方で、東日本大震災も経験され、当初のいわき市での仮設住宅建設にも関わっておられます。
さて、作業中の昼食は敷地すぐ隣の公民館でとるのですが、玄関から入ったロビーで、ちょうどその朝に起きた震度7の北海道胆振東部地震のニュースを食い入るように見ておられた初老の男性がみえました。もしや?と思い、「あの、もしかして被災された方なんですか?」と尋ねたら、案の定そうでした。

これは総社市下原地区の被害の様子です。男性は下原地区の方で、朝日アルミ産業岡山工場の水蒸気爆発の被害に遭われました。工場は写真のすぐ左側にあります。7月6日、岡山県を含め8府県に大雨特別警報が出され激しく雨が降り続いていた夜のことです。午後11時35分、高梁川の増水により工場内が浸水し、高温の溶融炉内のアルミに触れて水蒸気爆発が起きました。ごう音が鳴り響き、爆風のせいで工場に隣接する下原地区のほぼ全ての家のガラスが割れ、天井や壁が落ち、屋根瓦が吹っ飛びました。焼失した家もあります。男性は、あまりの衝撃の激しさにその時何がおこったのか全然わからなかったそうです。ごう音は数十キロ先まで聞こえたといいます。
それだけでは終わりませんでした。下原地区の混乱・散乱する家々は、破壊された窓や屋根から降り続ける豪雨が浸入し、あろうことか夜中に高梁川の支流の小田川の氾濫によって浸水してしまいます。あの真備町が浸水した、まさにその氾濫水です。下原地区は倉敷市真備町に隣接しているんです。写真では奥の方向が真備町になります。
こんなこともあるのか、と絶句しながら男性の話を聞いていました。第一陣で入居されるのは、この男性をはじめとする方々なのです。男性は、「いままでテレビなどで被災された方々を見て、お気の毒だと思うだけだった。自分が被災するとは夢にも思わなかったし、いざ被災してみると今そのつらさを痛感している」とおっしゃってました。
その男性を見て、「ああ、なんとお気の毒な」と思っているのが今の私なのです。大規模な想定外といわれる災害が頻発するこの頃ですが、なにが日常・非日常、公平・不公平、正常・異常なのか誰にも分かりません。もし、そこに何らの差異がないのなら、あたり前に次は災害が自分の身にも降りかかってくるのではないかと思うのです。

これから以後に建設される仮設住宅の部材が、福島から搬入されて、うず高く積み上げられています。
引き続き仮設住宅の建設工事に入られる大工さん・業者さんの方々には、ぜひ頑張っていただきたいと思います。そして、被災された方々・地域の一日も早い復興を心よりお祈り申し上げています。