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空と無と仮と

沖縄・日本史・ミリタリーなど、拙筆ながら思ったことをつれづれと、時には無駄話、時にはアホ話ってなことで…

飛行機オタクから見た飛行機嫌いのグレタねーさん

2019年09月29日 18時27分12秒 | いろんな歴史いろんなミリタリー
今話題の環境活動家さんについて。


CO2排出しまくりの飛行機が嫌で、

ヨットで大西洋を横断した強者さんですが、

そのヨットが修理しまくりな状態なので、

母国であるスウェーデンに帰れないそうです。

ならば、グライダーに乗って帰りましょう。

CO2は出ませんよ!

飛行機にちょこっと引っ張ってもらってビュ~ンと飛べば、

あら不思議!

大西洋はおろか北海までビュビュ~ンと越えますです、ハイ。

ま、命の保証は全くありませんがね…

ただ、飛行機を乗らないでヨットに乗ったというその論理を、

そのまま好意的に採用すれば、

グライダーもアリだと思うのですが、どうでしょうか?

ま、命の保証は全くありませんがね…

なんか、突っ込みどころ満載な環境活動家ですね…


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イギリス軍ラグビーチームの靖国参拝

2019年09月23日 00時14分01秒 | いろんな歴史いろんなミリタリー
まず、ラグビーには興味がありません。
好きでも嫌いでもありません。

ただ、サッカーはよく見るし、
2002年のワールドカップは、
35000円ぐらい払って準決勝を観戦しましたけどね…

ま、それはともかく、
そのラグビーチームが靖国に参拝し、
記念写真を撮影したのを、
英国大使館が非難したとのこと。

ちなみに、
最初はラグビーのワールドカップが日本で開催されるから、
そのラグビーチームはイギリス代表かと思いましたが、
要は「イギリス軍」のラグビーチームだったのですね。
ま、いいか…


「駐英韓国大使館の報道官はザ・タイムズに「靖国神社は過去の日本の植民地支配と侵略戦争を美化するための場所」とし「特に戦犯が合祀されており、神社境内の戦争記念館は過去の帝国主義と軍国主義を美化している」と説明 」(韓国 中央日報)


つまりは「A級戦犯」が合祀されているから等々の理由で、
駐日の英大使館が非難したということです。

ただし、当の英国大使館は公式ツイッターで完全に否定しています。

つまりは全くのデマってことです。
あ~あ、くっだらねぇ~…

そもそも、
何故すぐバレるような嘘を平気でつくのか、
自分には全く理解ができません。
もう…アホくさくてアホくさくて…

ま、出所は結局お隣の国みたいですがね…
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渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い 前編②

2019年09月20日 00時01分54秒 | 渡嘉敷島の集団自決 沖タイ連合と曽野組の仁義なき戦い
沖縄戦に「神話」はない──「ある神話の背景」反論 第1回と第2回


 第1回と2回は主に「伝聞証拠説」に関するものです。

 その「伝聞証拠説」とはいったい何かということになりますが、まずは「ある神話の背景」から少し長いですが引用させていただきます。


 「太田氏が辛うじて那覇で《捕らえた》証言者は二人であった。二人は、当時の座間味村の助役であり現在の沖縄テレビ社長である山城安次郎氏と、南方から復員して島に帰って来てきた宮平栄治氏であった。宮平氏は事件当時、南方にあり、山城氏は同じような集団自決の目撃者ではあったが、それは渡嘉敷島で起った事件ではなく、隣の座間味という島での体験であった。勿論、二人共、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが、直接の経験者ではなかった。しかし当時の状況では、その程度でも、事件に近い人を探し出すのがやっとだった。太田氏は僅か三人のスタッフと共に沖縄戦の状態を三か月で調べ、三か月で執筆したのである。(もっとも、宮平氏はそのような取材を受けた記憶はないと言う)
 太田氏は、この戦記について、まことに、玄人らしい分析を試みている。太田氏によれば、この戦記は、当時の空気を反映しているという。当時の社会事情はアメリカ側をヒューマニスティックに扱い、日本軍側の旧悪をあばくという空気が濃厚であった。太田氏は、それを私情をまじえずに書き留める側にあった。「述べて作らず」である。とすれば、当時のそのような空気を、そっくりその儘、記録することもまた、筆者としての当然の義務の一つであったと思われる。
「時代が違うと見方が違う」
 と太田氏はいう。最近沖縄県史の編集をしている史料編集所あたりでは、又見方が違うと思うという。違うのは間違いなのか自然なのか。
 いずれにせよ、恐らく、渡嘉敷島に関する最初の資料と思われるものは、このように、新聞社によって、やっと捕らえられた直接体験者ではない二人から、むしろ伝聞証拠という形で、固定されたのであった。」


 特に難解な文章ではありませんが、「述べて作らず」というのは論語からの出典で、故事成語大辞典によりますと「古人の言動など昔から伝えられてきたことを伝えたり解説することはしても、自ら勝手に新しい話を作ったりはしない」という意味です。つまり当事者の証言だけでなく、アメリカ=善人、日本軍=悪人という当時の雰囲気も「述べて作らず」取り入れた、というような意味合いになるかと思われます。

 沖縄タイムスという新聞社、あるいはマスメディア、ジャーナリズム側の立場で執筆された「鉄の暴風」は、本来なら当事者に取材をしなければならないのにもかかわらず、実は当事者以外の人物から聞いた話によって構成されているということを、「ある神話の背景」で曽野氏は主張しています。別の見方をすれば、たとえ困難な当時の事情があったにせよ、その取材方法に問題があるのではないか、ということも言えそうです。
 
 そういった曽野氏の「伝聞証拠説」に対し、当然ながら太田氏は反論しておりますので、以下に箇条書きで要点を掲示します。
  • 宮平氏と山城氏は「新聞社がやっと那覇で捕らえることのできた証言者」ではなく、「向こうからやってきた情報提供者」である
  • その時に初めて渡嘉敷島の事情を知った
  • 誰に取材したかについて確かな記憶はないが、宮平氏(渡嘉敷島出身だが集団自決当時は出征していた)については中学の同級生だったことで覚えている
  • 「伝聞証拠」を主張する前に、曽野氏は誰から取材したかというような事実を確かめるべきである

 以上が曽野氏の主張する「伝聞証拠」説と太田氏による反論の応酬です。

 個人的な見解ですが、上記の応酬は厳密にいえば「集団自決の実像」という観点からは少し離れており、むしろお互いの取材やその方法に関する不備を、具体的な名前を出し合って非難するといった構造になるのではないでしょうか。従って、あまり深く考察、分析する必要性がないのではないかと思われます。
 第一、誰がどのように取材したかについては、曽野氏太田氏といった当事者にしかわからないことが多く、第三者からすれば捉えどころのない部分が多々あります。しかも1985年という、2019年現在からすれば34年前のことになりますので、時間の風化によって真相は藪の中になってしまう可能性が高いです。そういう経緯で、これ以上の考察・分析は省略いたします。

 しかしながら、太田氏は第2回の最後に「伝聞証拠」説への反論としてだけではなく、「ある神話の背景」全体への反論とも受け取れる主張をしております。これは太田氏、あるいは沖縄タイムス社全体が、渡嘉敷島の集団自決や沖縄戦全体に対する考え方の本質を垣間見られるようなものですので、以下に引用いたします。


「「ある神話の背景」は、集めた資料や情報から帰納的に結論が導かれたものではなく、あらかじめ予断があって、それを立証するための作業であったようにおもわれる」


 次回以降に続きます。


追伸

 「ある神話の背景 沖縄・渡嘉敷島の集団自決」は、2006年に「沖縄戦・渡嘉敷島「集団自決」の真実」と改題され、2019年現在もWACから出版されております。当ブログでは便宜上「ある神話の背景」で統一しております。これは単にわかりやすくするためのものですので、特に他意はございません。
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ユーチューバーを見て思うこと

2019年09月02日 00時02分33秒 | いろんなこと日記
昔は当たり前のように見ていたテレビですけど、
今では一日で十数分ほどにまで減ってきました。

とにもかくにも、何だか面白くないんですよね。

ニュース番組も興味はあるのですが、
単に情報だけを知りたいのであって、
どうでもいいコメンテーターの個人的な意見なんて、
最初から聞く気はありません。
ただ、難しい事柄を解説するということは、
是非とも必要だと思うのですが…

その代わりに、
Youtubeを見る時間が多くなりました。

それこそ有象無象・千差万別なチャンネル数でありますが、
自分は旅行関係のYoutubeを閲覧するのが多いです。

例えば鉄道で日本を往復するとか、
ユーラシア大陸を横断するとかなどなど、
国内や海外を問わず見てしまいますね。

ヘタなテレビのタレントが騒ぐ旅行番組よりも、
様々なユーチューバーのほうが面白いですね。

それぞれに個性があって、
その個性で好き嫌いが分かれるかもしれません。

そういうユーチューバーを見ていると、
時々思うことがあります。
「あの時にYoutubeがあったら、自分もやったのかな?」って…

あの時というのは20年以上前にハマった沖縄のことです。

自分はもう40代後半のオッサンですが、
20代前半はヒマとお金さえあれば、
東京から沖縄に行っていました。

時にはレンタカーでグルグル回り、
時にはマウンテンバイクで縦断し、
時には南部戦跡を歩いて歩いて巡りました。

栃木に帰ってからは沖縄に限らず、
北海道以外の都府県を、
全て自動車で巡ったこともあります。
時には一人で、
時には思い出の人と…

そういう時に、
ビデオカメラやスマホやタブレット、
あるいはゴープロなんかを駆使して、
今のユーチューバーみたいなことができたら、
その時の旅行はどうだったのかな?
楽しかったかな?
なんて考えることがありますです。

「旅行を記録」するという点からいえば、
スマホやらそういった機材がある現在のほうが、
楽しいかもしれません。

でもでも、これは自分だけかもしれませんが、
あるいは僻みだと思われるかもしれませんが、

なかったらなかったで、
それはそれで楽しかったと思いますよ。
いや、楽しかったです。

「一期一会」という四字熟語がありますが、
ほんの一瞬のタイミングのズレで、
偶然にも出会ってしまった人々の交流…
あの時、あの場所で、
あの時間でしか出会えなかった人や風景の数々…
それはその時でしか経験できないんですよね。

カッコつける気は毛頭ありませんが、
「記録」に残すより、
「記憶」に残すほうが、
自分にとって最高の思い出だと思いますね。

だから、
多分、負け惜しみに聞こえるかもしれませんが、
自分もユーチューバーより、
面白いことや楽しいことをしてきたと自負しております。

皆さんも是非、自分なりの楽しい旅行を満喫してくださいね。
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