私が今でも忘れられない一瞬がある。
それは、小学校の3年生の初夏。音楽の時間。視聴覚室で、歌を歌っていた午後。
外から、温かい穏やかな光が入り、風でカーテンがそよぐ。
その風の心地良さ、音楽の軽やかさ。なんて幸せなんだろうと、あの時の感覚は、いまだに覚えている。
そして、何か、つまらないと思ったときは、そのときの空気や色・光、窓から入る風で揺れるカーテンを思い返す。
週に3回、人口透析に通う母を迎えに行き、自宅に戻ってからベッドに寝かせて、私も買い物を済ませて家に戻っていた日。
明日は残業が出来る日だと、働けることを喜びとし、夕飯を作れる喜びを感じながら、母を見舞ってた。
決まった時間にお風呂に入れる人が羨ましかった。
楽しい寄り道のできる人が羨ましかった。
それでも自分に課せられたことと、小さな喜びを探しては、自分を律していた・・・・。
今。
涼しい風が入るこの秋。
カーテンが揺れる。トカゲのティちゃんが、振り向く。
内職の手を止めて、好きなテレビの再放送を見る。
飲みたいものを飲みたい時間に飲み、眠りたいときに、ゴロンと横になれる。
こんな時間が欲しかった。
施設にいた母が、日向ぼっこをしていた。
車椅子に乗り、パンパンに浮腫んでいる足を日向に出して、ゆっくりと・・・・・・
でもそれは、猫が、そうしているのとは、訳が違う。
母の、楽しみといえば、私が行くこと。
なのに、私は、人と同じような時間が欲しかった。羨ましかった。
今。
穏やかな時間の中で生活しているのに、心穏やかではないのは、〔人間〕という生き物は、欲深いものだから。
静かな日々なのに、社会から取り残されたような、もっと自分には何か出来るはず、だと思ったり。
あそこに行こう、だけど、できないと言い訳をする。
あの日々より、好き勝手にしていられるのに、時間はたっぷり手にいれたのに、身体が動かない。
体力も仕事に出ていた頃より落ちた。
自分の車で、時間を気にせず、のんびり旅にでも行こう・というのが私の夢。
1日に50kmくらい走っていたのに、今は買い物に行くくらい。
そうして運転の勘も鈍くなっていくんだろうなぁ。
幾つもの用事をやってのけて、それでも、笑顔でいられたのに・・・あの頃。
何か・・こう諦めというか、出来なくなっていくことが出てきた。
私は今が一番幸せなんだと思う。
今を、あの頃・・という日がやってくる。
あの頃は、部屋が狭い・掃除もできないくらい荷物で溢れていると、言いつつも、あの頃が幸せだったと。
3人の息子たちと一緒にいられる今が幸せ。
いつか、1人・・・また1人と家を出て行く。そんな寂しさを味わうくらいなら・・・・と。
母は、私を長女だから、家を継ぐのだと言い聞かせてきた。
継ぐものなんか何もないのに。
継ぐものは・・・母の意志だったのかもしれない。
その母を私は置いて・年老いたら、施設に入れてしまった。
その時の母の悲しさ・寂しさを、私はいま、幾分かでも分かったんだろうか。
人はいう。
これから、孫ができて、賑やかになっていく。
幸せはまだまだやってくる、って。
それまでの、歪なんだろうな。
家にいるのに、雨で洗濯物が濡れたときに・・・・・情けなくなって、思う。