昨日は、ちょっとした事件がありました。
私の心の中はどす黒く、修羅が渦巻いていました。
内職をしている間中、沸々と煮えたぎる主人への鬱憤。
だからといって、面と向かっては、それらを打ち消し無意識のうちに、能面を付ける。
猫のように甘えず、犬のように忠実でもなく、私は私のままで歩みよりもしない。
しかし、この家の中で守るものは、息子たちの未来。
そのためには、笑顔は本物。
そんな日々の私。
真正面から、「阿修羅」のサガをぶつけてこられた人がいた。
その姿に、自分を見ていました。
人を数年に渡り恨みつづけ、いつ会っても、根に持った事柄を、湾曲して、噛み付いてくる。
確かに、その人は、その痛みを胸に受け、傷ついたのでしょう。
事実はこうだったと、何度説明したでしょう。何度、納得いくようにと、話し合いの場を持とうと提案したでしょう。
それらを受け入れる隙間のないその方に、ただただ、陳謝を繰り返しました。
もうそれをするしかありませんでした。
私は、自分もこうなんだと、感じました。
自分ひとりだけが、正当で、悪いのは、相手と決め付けて、自分の中で固執している。
自分が変わらなければ、相手が変わるわけがない。
そんな、昨日の夜。
家が変わったのです。
家というくくりでいえば、そう・・・家が、我が家が、ここの空気が変わったのです。
くの字に曲がっている下の庭。それに続く畑。
5人家族で車は7台。縦列駐車をするも、はみ出す車。
次男の車を畑の一角をつぶして止めていた数年。その場所を主人の車と交換して止めるように変わったのは、半年前。
先日、近くに住む叔父が、草だらけの畑を見るに見かねて、やってきた。
そして、草刈を主人とともに、してくれた。
その時、数年前、私が長屋にある板や棒、鉄などで、次男が止められるようにしたところもはがした。
その跡を、昨日は整理して、少しだけ広げたではありませんか。
自分が止めているのだから、もっと上手く整地すれば、良いだろう・・ぐらいに思っていた。けど。その後ろに軽トラを止めるように広げていたんです。
有り得ない・・・・・
人に言われなくても、何かのために、誰かのために、何かをしたなんて。(*≧m≦*)
それがこんな感じです。
そして。
無職だった主人。
何か、仕事が見付かったようです。
それは、きちんとした時間働くものではなく、幾つかをかねて・・というものらしい。
それに伴い、畑仕事にも時間を作れない、と考えたのか、もう少し、畑を駐車場にしようとしている。
今でも、止めるだけなら、何台でもとめられる。だけど、それじゃ、出たい時に、あれを動かし、こっちを出して・・とやる手間。
それを考えた・・ということ。
これはまさに、天と地がひっくり返るほどの、偉業です。
今朝・夢まで見ました。
家が、自分の望んでいたように、仕切られ、幸せの扉が開いた夢を。
今が幸せ。今が、幸せのど真ん中。
そう感じます。
幸せは、いつでも、今がど真ん中なんですょね。
これから、幾多の悩みが起こるかもしれない。
それでも、その時が幸せだといえるように。自分を変えること。
修羅を捨て去ること。それを、昨日は、前述の事件で、出来たんじゃないか・と思いました。