「冬蜂紀行日誌」(2009)・《絶筆》

「冬蜂の死にどころなく歩きけり」(村上鬼城)という句に心酔した老人の日記

小説・「フライト・レコード」・《八》

2010-12-24 00:00:00 | Weblog
2009年12月24日

抱く、抱かない、抱かない、抱かない、抱く、不遜にもボクはそんなことをつぶやきながら、プラット・ホームの女の子を眺めていた筈だ。そんなとき、その中の一人が度の強いメガネをはずして涙をふいていて、それがたしかボクのいたはずの恋人だったんだ。抱かない。悲しいんじゃないんです。太陽がまぶしいのです。オンナは抑圧されていました。嫌いだ。生活を豊かにしなければならないのよ。ボクはどこにいるのだろう。助けてください。いたはずの恋人は図々しい。コドモだったのよ。現実を信じたい。信じない現実を、信じようとボクはいたはずの恋人から消え去ったのだろうか。ダンスやらないの。愛なんて、妥協したんです。畜生。抑圧されていないオンナ。すなわちボクのいたはずの恋人は、オトナだ。あなたがこわいのです。空が、ただもうやたらに青くて死にたい。お元気でね。楽しみにしているわ。愛しているのよ、平和。恥ずかしい。ボクは沈黙しただろう。死ぬほど退屈んあって、レモン・スカッシュをなめてみた。できあがってしまた恋人は年老いた。いたはずの恋人は、やはりいなかったのです。これで終わりなんだ。十二時。太陽は図々しくも中天に光り輝いているだろう。ある朝めざめてサラバ恋人よなんて童謡なんぞは、遠い遠いボクのおとぎ話でした。こわいんだよ、青い空。成熟してテクニックの化身と成り上がった恋人の蔭にかくれて、シンジュクの駅に行く。黄色い水を吐いた。それはボクにかけられた消火液だろう。あと二時間、家に帰ろう。ゴトゴトゴト。まやかしの電車にのるまい。お元気で、恋人さん。汝、平和主義者よ。おのれの無力さを知るべし。信頼は大切なことよ。信頼は大切なことだ、裏切るために。可愛らしかったのね、昔。とんでもございません。クソ婆あ、今。ゴトゴトゴト。いたはずの恋人との必然的な邂逅は、終わったんだ。(つづく)
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