「冬蜂紀行日誌」(2009)・《絶筆》

「冬蜂の死にどころなく歩きけり」(村上鬼城)という句に心酔した老人の日記

小説・「ダイヤローグ・公園」・《一》

2010-12-13 00:00:00 | Weblog
2009年12月13日 (棺の中に入っていた私の作文・その3)
【小説・《ダイヤローグ・公園》】(1966年3月25日脱稿)

「政治」なんてひらきなおられて、ボクは恥部をのぞかれたように真っ赤になってしまった。しかもそのヒトは「政治をやりませんか」というのだ。それはどういう意味なのか、ボクにはサッパリわからなかったので、黙ってモジモジしながら、それでも心の中では、わからないなんて答えるのは恥ずかしいな、と一生懸命考えた。第一そのヒトは、ボクなど比べものにならないほど立派な顔つきをして、そのまなざしといったら、ボクの心の奥の隅の隅までボク自身すら気づいていないようなところまで、即座に見透かせると思うほど鋭いのだ。ボクはしきりにコマッタコマッタと思いながら小さくなった。「どうです。やりませんか」またそのヒトの骨までひびきわたるような声が、ボクにたずねるのだ。ボクは、なんとか答えなければ失礼だな、と思っておそるおそるそのヒトの顔を見上げた。すると、思いがけなくも、ボクの唇は自然にひらいて蚊の鳴くような声で答えていたのだ。「あの、まだ慣れていませんから」そしてそれは、ボク自身も感心するほど上出来だな、と思った。でも甘すぎた。そのヒトは平気でいうのだ。「誰でも初めはそうですよ」ボクはもう観念して、恥ずかしいけど本当のことを言ってしまおうかな、と思った。どうやらそのヒトは、政治とは何かについてボクがよく知っているものと勘違いしているらしいのだ。(つづく)

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