「冬蜂紀行日誌」(2009)・《絶筆》

「冬蜂の死にどころなく歩きけり」(村上鬼城)という句に心酔した老人の日記

大人のための童話・「月のエチュード」・《上》

2010-12-04 00:00:00 | Weblog
2009年12月4日
 実を言えば、今、私が居るのは「冥界」ではない。冥界への入り口は、通夜の場、導師様の御教示にもかかわらず、私自身の不注意(未熟さ)によって閉ざされてしまった。肉体は死んでいる。しかし、魂は成仏できない。文字通り、「魂魄この世にとどまりて」といった状態なのである。見聞しているのは「この世」なのだが、すでに肉体は「単なる物体」と化し、やがては焼却されて「灰」になる定め、まことに「頼りない」話である。これから、いったいどうすればいいのだろうか。ただフワフワと「この世」を「さまよい歩く」なんて、いつまで私は辛抱できるだろうか。とはいうものの「辛抱」「我慢」は、私の「特技」、これまで、どうやら生きてこれたのも、そのおかげであったと私は確信している。ともかくも、時間つぶし、これといってすることもなし、棺の中に入っていた、「おびただしい活字の羅列」(私の作文)を辿ってみることにする。思わず想起した友人の川柳一句。「古新聞、活字を旅する へたり虫」

 【大人のための童話・「月のエチュード」(1966.2.11)】
 そこはたしかに味気ない一つの部屋でした。外は冷たいあらしだと云うのに、満ち足りたお月さまだけがやけに明るく輝いているのです。ボクはそのとき、オクさんと二人きり寒さにふるえながら抱き合って寝ていました。 
・・・オクさん。あなたのからだはコタツのように温かいですね。
・・・顔があついの。
でもやっぱり寒さにふるえていたのは事実です。ボクはそれから、燃えるようにあついオクさんの顔に唇をおしつけてキスをしました。オクさんは、いつもそうなのですが、ボクに抱かれているといつのまのか「子供」になってしまうのです。甘いアンズの味がしてボクはオクさんを愛しました。
・・・オクさん。ボクはあなたを愛しているのでしょうか。あなたはまだ「子供」なのでしょうか。シマッタ、とボクは思いました。何故と云うにオクさんは二つ以上の質問を同時にされると、発作を起こしてしまうのです。斜めにさしこんでいた月明かりに、オクさんの顔が余りに美しく照り輝いていたので、思わず気をゆるしてしまったのでした。案の定オクさんは苦しそうに顔をゆがめると、かすかにつぶやきました。
・・・わからないわ。
やんぬるかな、オクさんの唇のアンズの匂いがニンニクのそれに変わって、ボクは顔をそむけました。というよりオクさんとの二人の「仕事」を思い出してしまったのです。「仕事」というものはもともと自分達の生活を支えるためのものなのです。それだのにボクとオクさんは、それによって支えるべき生活を持たないばっかりに、きびしい掟だらけの他人のための「仕事」をめざしていました。具体的には、貧しい子供達に夢をあたえるのがボク達の「仕事」だったのですが、それが「仕事」である限りつまり遊びでない限り、たとえ夢をつくることは許されても夢をみることは、きびしい掟の中でも最もきびしい禁断の掟なのです。とは云え、夢はみることによってしかつくることのできぬものなのですから、その掟は矛盾しているようです。それ故に、ボクとオクさんは、かすみを食って生きる仙人のようにその生活の気楽さにもかかわらず、へとへとにくたびれて冷たいアラシの中をこの部屋にたどりついたのでした。部屋には汗にまみれた貸フトンが一対あるだけでした。ボク達はそれにくるまって、外の気配におびえながらというのは「仕事」をサボっているのを見とがめられないだろうかという本能的な懸念からなのですが、互いに身を寄せ合って眼を閉じるのです。(つづく)

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