「冬蜂紀行日誌」(2009)・《絶筆》

「冬蜂の死にどころなく歩きけり」(村上鬼城)という句に心酔した老人の日記

大人のための童話・「月のエチュード」・《下》

2010-12-06 00:00:00 | Weblog
2009年12月6日
【大人のための童話・月のエチュード」《下》】
・・・オクさん。眠ってしまったのですか。
ボクはオクさんを揺りおこそうとしました。しかしオクさんは眼をさましません。それでいいのです。ボクは静かにオクさんのブラウスのボタンを掛けました。まえより一層寂しくなって一層強くオクさんを抱きしめました。でもそうすればするほど、ボクとオクさんのからだはかすみのように、たよりなくなっていくのです。夢なのです。みんなみんな夢の虫に食い尽くされた夢のかけらなのです。貧しい子供達に夢を与えようとする夢をボク達はみているのです。おしてそのときはじめてボクは、オクさんのからだにしあわせと夢の巣があってボクのからだにはコトバの巣があるという考え方が、ボクの思い上がりにすぎないということを知ったのでした。なぜなら、知らず知らずオクさんはボクの夢の虫を食べていたのです。従ってそれ故に、夢の巣はボクのからだの中にこそあるのではないでしょうか。でもだからといってボクの夢の虫がオクさんのしあわせの巣を食いつぶしたかといえば、それは嘘です。
いつしか再びお月さまが天高く輝き、やがてその光もかすかになって朝が来ました。オクさんは貸フトンの中で力一杯背のびをすると、大きくアクビをしながらいいました。
・・・オハヨウ。
・・・はい。そうですね。そういうことです。
ボクはうろたえて、混乱しました。オクさんは、またもや新しいしかも繰り返しの夢の入り口でオハヨウといったのです。外は冷たいアラシに代わってポカポカとお日さまが輝きはじめるのでしょう。ボクは夢の虫はどこにかくれているのかしらんと思いながら、オクさんが「ケセラセラ」の唄を口ずさんで髪の毛をとかしているのを見ると、きっとコトバの巣もボクの中にではなくオクさんのからだのどこかにあるのだろうと思いました。(おわり)

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