「冬蜂紀行日誌」(2009)・《絶筆》

「冬蜂の死にどころなく歩きけり」(村上鬼城)という句に心酔した老人の日記

小説・「センチメンタル・バラード」・《六》

2010-12-31 00:00:00 | Weblog

2009年12月31日

朝、スープに浮いていた髪の毛の感傷にサヨナラをいって、ボクと恋人は公園へ行った。恋人は死んだ方がいい。たたかいは、はじまっているかもしれない。そして、ボクと恋人の生活は、その無言のたたかいによって、保証されるのだろうか。恋人を愛していない。それは大切なことだ。ボク達は、むなしさを愛さなければならない。おまわりがいた。私建を無理やりたたかわせるのは誰ですか。私達は守らなければなりません。この沈黙が、つまりおまわりの前の、公園の恋人達が、それほどまでに彼等を恐怖におとし入れるなんて、馬鹿らしい。たたかうことがむなしく、たたかわないことがむなしいとき、ボクはたたかわなければならないのです。ボクの内側に蓄えられた、インクのしみの総量は、はたしてむなしいたたかいをたたかうために、たたかわないむなしさを愛することを教えただろうか。サヨウナラ。生活はどこにもない。

【補説】「ボクの内側に蓄えられた、インクのしみの総量は」、すべてきれいに(跡形もなく)洗い流され、私は「生まれ変わったように」、白々しく「たたかわないむなしさ」を愛し続けてきたという次第・・・。サヨウナラ。そして、今もまだ「生活はどこにもない」。恋人の面影だけが、かげろうのように漂っている。

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小説・「センチメンタル・バラード」・《五》

2010-12-30 00:00:00 | Weblog

2009年12月30日

公園の向こうの、森の中のベッドに、美智子とかいう女の子が、生まれたばかりのコドモと一緒に横たわっているのを、ボク達は知っているだろうか。知らない。ボク達は見なかった。だが、ボク達は見た。おまわりが倒れていた。何のために。守るために。守られただろうか。国会議事堂には、ピストルを積んだトラックと一緒に、倒れていないおまわりが、並んでいるかもしれない。流産した恋人は、ボクを見た。愛しているのね。苦しんでいるのね。しあわせではないのね。おかしい。電気ゴタツが、サーモスタットでついたり消えたりするように、あちこちでおこる「小ぜり合い」はむなしくない。恋人は国会議事堂まで駆けただろうか。ボクはたたかいを見なければならない。おまわりは木刀を抜いた。敵はどこにいるのですか。おまわりさん、味方は誰で何を守るために、あなたはそのように木刀をぬくのですか。血が流れていたかもしれない。公園から森を通って、国会議事堂まで。恋人のからだに飽きたとき、ボク達はねた。この室にはベッドがないわね。とてもしあわせなのね。ボクの仕事はどこかにあるかもしれない。ボク達の生活はあるかもしれない。それは、おまわりのようなたたかいかもしれない。おまわりはきらいだ。公園の噴水が青い色から赤い色にかわって、ボクと恋人はすべてを忘れるために、流産のことについて討論した。苦しまなかったわ。しあわせだったわ。むなしくなかったわ。恋人のからだのことを思い出してはいけない。ボクのからだのことを思い出してはいけない。ボクと恋人は、つかれた。眠い。ボクは自分がみじめかもしれない。むなしさを愛さなければならないことは、みじめだろうか。流産はみじめだ。しかし、流産のあとに安産を夢みることは、それ以上にみじめだということを、ボクは知っている。おまわりは、恋人の流産のことを、あるいは美智子とかいう女の子の安産のことを、知っているか。おまわりは、みじめではないか。おまわりは流産したか。

【補説】あれから45年、日本に「貧乏」はなくなった(かに、見える)。だが、心の「貧乏」は、ますます拡大・蔓延し、まさに今は「修羅」「畜生」「餓鬼」の世界、いずれ「地獄」と化す日も遠くないだろう。そんな時、あのブルースが私の心中に響きわたる。「夢をなくした奈落の底で 何をあえぐか影法師 カルタと酒にただれた胸に なんで住めよか なんで住めよか ああ あのひとが」(「赤と黒のブルース」、作詩・宮川哲夫、作曲・吉田正、唄・鶴田浩二)

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小説・「センチメンタル・バラード」・《四》

2010-12-29 00:00:00 | Weblog

2009年12月29日

ボクは夢をみることがある。恋人を、何よりもまず愛しています。ボクには仕事があります。ボク達は生活しています。おまわりはいません。恋人は安産しました。交通巡査たちは木刀を抜いた。何のために。仕事のためにだろうか。生活のためにだろうか。交通の整理に木刀はいらない。国会議事堂は、木刀では守れない。だが、彼らはたたかいを開始した。おかしい。誰とたたかっているのか。砂煙があがって、彼等は国会議事堂へかけ出していく。彼等の敵は誰か。ボクにはわからない。討論すべきだろうか。誰と。すべきではない。生活を守るためにたたかうのです。しあわせをかちとるためにたたかうのです。平和のためにたたかうのです。たたかいをなくすためにたたかうのです。ボクには、愛してない恋人には、守るべき生活がない。生活とは安産のことか。それとも流産のことか。ボクの前に、おまわりが倒れていた。ボクが倒したのではない。ボクはたたかわなかった。足音がする。ボクの恋人が来たのだ。公園で会うことになっていた。しかし愛についての不毛な討論はよそう。ボクは愛していないのだし、恋人も愛していない。たたかいがはじまっているのよ。いつもたたかっているのよ。たたかわなければいけないのよ。ボクと恋人の生活は、ゴハンをたべることと、活字を拾いよみすることのはざまから生まれるだろうか。たたかいって何ですか。戦争ははじまっていないか、あるいはもうおわったのではないですか。続いているのですか。馬鹿らしい。恋人は見た。恋人の前におまわりが倒れていた。

【補説】恋人は、私を「たたかい」へと誘う。そう、いつもそうなのだった。でも、私はたたかわない。なぜか。私は「戦争」の中で生まれたから。私が「生きる」ことによって、多くの人々を「殺した」から。「戦争」は「死者」を作るだけ。「平和のための戦争でも人は死にます」。そう言う私を残して、恋人(たち)は去っていった。

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小説・「センチメンタル・バラード」・《三》

2010-12-28 00:00:00 | Weblog

2009年12月28日

あまり上手でない恋人同士が、ころげ回っている公園の、生垣のあたりを一人の兵士がかけぬけて行った。おかしいじゃないか。おかしいのです。戦争はまだ始まっていないか、あるいはもう終わったかのどちらかなのに。そうだ、彼はやはり兵士ではなかった。彼は、頭にヘルメットをつけ、腰に木刀をさし、身を乱闘服でおおた、何とりもまず交通巡査だったのだ。おかしいじゃないか。おかしくありません。ボクは恋人との生活について再び考えるためにこの公園に来ていたのかもしれない。暗がりで抱きあっている恋人達と討論すべきだただろうか。流産しましたか。しますか。すべきですか。日の丸が国会議事堂にひるがえったとき、ボクと恋人は拝みながら、お賽銭箱がないのに気がついた。そして「黒地ニ赤ク血ノ丸染メテ」という歌が好きになるだろうか。
 彼、すなわち交通巡査は公園をかけ抜けて、仲間のもとに加わった。ボクは彼の公園をかけ抜ける行為に感動しなければならない。彼は逃げていたのかもしれない。何から。わからない。公園の恋人達は、ほとんど彼に気づかない。公園には彼等を除いて、誰もいない。ボクはおまわりが嫌いだ。彼には生活があるだろうか。彼の仕事は交通の整理と国会議事堂の警備だろうか。ボクの恋人の仕事は、ボクに生活費を与えることだろうか。僕の仕事は、ない。恋人がヘルメットと木刀と乱闘服を身につけていないのは何故か。

【補説】日比谷公園のベンチで、「独り」私は缶コーヒーを飲んでいる。過ぎ去った昔の「夢」を追っている。「ボク」も「恋人」も「おまわり」も「木刀」も「ヘルメット」も「乱闘服」も、今は「存在」しない。すべてが「無」、すべてが「空」、まもなく私は死ぬだろう。私は生きた。そして死んだ。「生活」とは、それがすべてだと、私は思う。

 

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小説・「センチメンタル・バラード」・《二》

2010-12-27 00:00:00 | Weblog

2009年12月27日

サイダーを二人で乾杯したととき、ボクの恋人は流産した。妊娠していることを知らなかった。ボクは、それによってできた恋人の裂け目に手を入れて、引き裂いたのかもしれない。コドモが出てきただろうか。苦しい。愛しているんです。すべてを忘れた方がいいと思います。退屈な生活があるはずがないというような主張は、生活主義者から革命家の手にゆだねられるべきだろうか。オトナ、すなわちボクと恋人は、コドモをダスター・シュートに捨てた。しあわせだ。罪は、それを犯したことに気づかないとき成立する。ボク達は、犯すことに気づいた。だから、当然のこととして犯さなかった。サイダーがボク達の内臓をつたわって、水洗便所に捨てられた。ところで、ボクと恋人は、生活について討論すべきだっただろうか。討論した。活字を拾い読みすることは生活ではありません。ゴハンを食べて寝ることは生活ではありません。コドモを安産することは生活ではありません。討論すべきではなかった。いっさいのコミュニケーションを拒絶するところに生活はある、ということもできない。ボクと恋人には生活はなかったし、ない。恋人はボクに愛されていないことを誇るべきだ。しかしボクは誇れない。何故か。

【補説】私を捨てた恋人たちは、今、何をしているだろうか。今にして思えば、「ゴハンを食べて寝ること」が生活の《すべて》だったのだ。やんぬるかな、かくて、私は「犀の角のようにただ独り」歩み続けなければならない。

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小説・「センチメンタル・バラード」・《一》

2010-12-26 00:00:00 | Weblog
2009年12月26日(棺の中に入っていた私の作文・その5)
【小説「センチメンタル・バラード」】

美智子とかいう女の子が、安産をしたちょうどその日、ボクの恋人は流産した。恋人が死んだほうがいい。ボクは恋人を愛していないし、恋人もボクを愛していない。美智子とかいう女の子の、腹のふくらみがしだいにへこんで、その代わりに胸のふくらみが大きくなるにつれて、「しあわせ」というやつが美智子とかいう女の子の非生活的な生活の日々を満たしてくれるのだろうか。とはいえ、ボク達の生活といったところで、彼女の生活にまさるともおとらず、つまり時たま行った施設の子供達の頭をやさしくなでまわしたり、あるいは日々の外交的なおじぎや、微笑みのくりかえしのむなしさと同じように、毎日数ページのインクのしみを頭につめこむむなしさで満たされているのかもしれない。だがしかし、ボクはそのむなしさを愛さなければならない。恋人は流産したほうがよかった。生活はそんなこととは別問題だ。電気音楽にボク達はふるいたつけれど、それが終わると停電のときのあのあせりとはくらべものにならないほど、むなしい。むなしいのは、ボク達のどこかが何かで満たされているからなのだろうが、美智子とかいう女の子とボクの恋人はむなしいだろうか。むなしくないだろうか。パクられることを覚悟でなければ見ることのできない、恥部の象徴なんて、ボクは興味がない。それに比べると、愛してない恋人は大切だ。

【補説】吉本隆明によれば、芸術で用いられる言語は「表出言語」。「指示言語」と違って、「伝達」を目指さない。一切のコミュニケーションを「断絶」する。自己の内部から湧き上がる「心象」を、そのまま表出する。場合によっては「沈黙」も言語だとか。はたして何人の読者が、その「世界」を共感できるか。いずれにせよ、「詩人」は、意味不明な「表出言語」を羅列する。その結果、詩人とは「変人」「奇人」の代名詞ということに。生産社会においては「厄介者」に成り下がる。

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小説・「フライト・レコード」・《九》

2010-12-25 00:00:00 | Weblog
2009年12月25日

「家」に帰った。さあ、楽にしてあげますからね。ボクはいるだろうか。豊かでありはしない生活は、どこでつくられるのだろう。ダンスをおぼえよう。いたはずの恋人の、オトナの希望自体に、ボクの責任はない。コドモだったのではありません。既にコドモだ。楽にしてください。あのたまらなく青い空を早く早く真っ赤に染めてください。ボクは焼かれるのだろう。すなわち、荼毘にふされるのだろう。楽しみにしているわ。お元気でね。たたかわないくるま、早く来い。ボクも楽しく見るだろう。ボクとの最後で最初の一回的な邂逅としての、そのゲンシュクなセレモニーを。死んでしまえばよかったんだ。「告別式」のとき、ボクはいなかった。桜吹雪の山寺に、友達と行ってそこの真新しい墓石に、たしかボクの名前が刻まれてあったのかもしれない。そうだ、お父さん、お母さん、ボクの不孝を許してください。お兄さん、お姉さん、ボクのわがままを許さないでください。おとうとさん、いもうとさん、ボクの勇敢さを見習ってください。おい、出て来いよ。桃の木の陰にかくれていたボクは、ボクの墓石を抱きしめてニッコリ笑った。(おわり)
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小説・「フライト・レコード」・《八》

2010-12-24 00:00:00 | Weblog
2009年12月24日

抱く、抱かない、抱かない、抱かない、抱く、不遜にもボクはそんなことをつぶやきながら、プラット・ホームの女の子を眺めていた筈だ。そんなとき、その中の一人が度の強いメガネをはずして涙をふいていて、それがたしかボクのいたはずの恋人だったんだ。抱かない。悲しいんじゃないんです。太陽がまぶしいのです。オンナは抑圧されていました。嫌いだ。生活を豊かにしなければならないのよ。ボクはどこにいるのだろう。助けてください。いたはずの恋人は図々しい。コドモだったのよ。現実を信じたい。信じない現実を、信じようとボクはいたはずの恋人から消え去ったのだろうか。ダンスやらないの。愛なんて、妥協したんです。畜生。抑圧されていないオンナ。すなわちボクのいたはずの恋人は、オトナだ。あなたがこわいのです。空が、ただもうやたらに青くて死にたい。お元気でね。楽しみにしているわ。愛しているのよ、平和。恥ずかしい。ボクは沈黙しただろう。死ぬほど退屈んあって、レモン・スカッシュをなめてみた。できあがってしまた恋人は年老いた。いたはずの恋人は、やはりいなかったのです。これで終わりなんだ。十二時。太陽は図々しくも中天に光り輝いているだろう。ある朝めざめてサラバ恋人よなんて童謡なんぞは、遠い遠いボクのおとぎ話でした。こわいんだよ、青い空。成熟してテクニックの化身と成り上がった恋人の蔭にかくれて、シンジュクの駅に行く。黄色い水を吐いた。それはボクにかけられた消火液だろう。あと二時間、家に帰ろう。ゴトゴトゴト。まやかしの電車にのるまい。お元気で、恋人さん。汝、平和主義者よ。おのれの無力さを知るべし。信頼は大切なことよ。信頼は大切なことだ、裏切るために。可愛らしかったのね、昔。とんでもございません。クソ婆あ、今。ゴトゴトゴト。いたはずの恋人との必然的な邂逅は、終わったんだ。(つづく)
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小説・「フライト・レコード」・《七》

2010-12-23 00:00:00 | Weblog
2009年12月23日                            七                                       喫茶店をでると、カナリヤ色の電車が走り出した。あれはボクだ。ボクにちがいない。センセー。生活について教えてください。知ってしまったことに耐えることではない。愛について教えてください。違うんだよ。愛してなんかいねえよ。愛しています。おかしいなあ。吐き気がするのはコーヒーのせいだ。一時間もすれば、ボクはまたシンジュクへ帰ってくる筈だ。明日、いやもう今日二時に、ボクは帰らねばならない。「告別式」があるんだ。ヒトが死んで名を残すのは、トラが死んで皮を残すほど正確ではない。電車、たたかわないくるま。夜がすっかり明けたんだ。空がまたしても青いんだよ。コドモがいとしくて、もう空を飛ばない。死ぬことは思い出です。誰もボクを助けてくれるヒトはいないのに、不覚にもボクは女の子の名を呼んだ。おかあさん。ゴトゴトゴト、カナリヤ色の電車がシンジュクに帰って、それに乗った。長い寝台にねそべって、夢をみたんだ。海の中の潜水夫が、沈んだ軍艦にむかってささやく。楽にしてあげますよ。ゴボゴボ。涙が泡になって昇って行った。兵隊さんはどこにいるのですか。どこにいるのですか。答えてください。楽にさせてください。潜水夫の動揺が、高いうねりとなって浜辺の岩に衝突し、真っ白なしぶきが上がった。何もない浜辺。はてしない海の中には、はてしない兵隊さんがいない。何もない海。そんなはずはないでしょう。潜水夫は、沈んだ軍艦に向かってささやかなかった。軍艦の形をした岩に向かってささやいた。岩は答えなかった。一時間、夢をみたんだ。シンジュク。まぶしくない。(つづく)
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小説・「フライト・レコード」・《六》

2010-12-22 00:00:00 | Weblog
2009年12月22日

コッカイギジドウマエの次はアカサカミツケである。そこにボクのコドモが後向きで立っていた。ボクはあしたの二時までに「家」に帰らねばならない筈だ。ボクは帰ることができるだろうか。くだらないと思います。坊や元気を出そうね。ボクのコドモはふりかえらずつぶやいた。気をつけ、礼。歌は二度とうたうまい。涙でサン・グラスがくもったと思ったのはやはり思いちがいで、「おでき」のために眼がかすんだんだ。ボクはどこにいるのでしょうか。地下鉄の中は、ゆでたまごの臭いがして吐き気がした。洗面器をかしてください。コドモのためにも吐かねばならぬ。生活とは、あるいは愛とは、知ることだ。そして知ってしまった哀しみに耐えることだ。恥ずかしいんだよ。コドモは生活しない。コドモは愛さない。ボクはボクのコドモを恥じる筈だ。もう女の子と会えない。会わない。バカバカしいんだ。地下鉄のお嬢さんを犯せ。ある晴れた日、そのしみわたるような青い空に向かって涙を流したんだ。それがはじまりといえばはじまりだったし、終わりといえば終わりだった。消えた。おそろしいんだよ。ジェット・ヒコーキの空中分解はボクの責任ではない。シンジュクで地下鉄をおりて、コーヒーをのんだ。夜は白々とあけなければならない。待っているのではありません。何もないのだ。それゆえ、残念ながらビートのきいたリズムは、時計でしかない。この町に住みついた生活の入り口で、おそらくボクは体を張ってやがてくる夜明けとたたかうのだろう。いけない。夜が明けてきやがった。(つづく)
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