藤本氏のエッセィを読んで共感できる文章を抜粋、
引用させて頂きました
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自分が面白くなる16の知恵 /藤本義一氏 エッセィ(1999年出版)
*僕はこう思うんです。ムダのない人生は深刻になるばかりだ。
しかし、真面目にムダに取り組み、懸命に突き進めば、それは真剣な人生になる。
ムダを毛嫌いする人の多くは、打算的な行動を取りがちです。ソンかトクかで動くから、ムダなことには関わりたくないんだね。
しかし、その人たちが味わう人生とは、どんなものか。落語を聞いて笑うこともない。
絵画を鑑賞して、心の平穏を取り戻すこともない。
趣味にお金を投じることもない。じつに殺伐とした人生じゃないですか。
豊かな人生とは、心地よい緊張と緩和の連続だと思うんです。緊張だけの人生は息がつまる。緩和だけでは、ただの怠け者だ。
そのバランスなんですね。
*友達に誘われるから、時間がないから・・・。もう、こんないい訳はしないことです。
どうせなら、こう思った方がいい。オレには、貴重な時間を費やして取り組むものがない。
情けない話だが、自覚しているだけ、まだマシやで。それではいかんと思うなら、その上で考えたらいい。
オレはどう生きたらいいのか。何に取り組むべきなのか。
*(人事異動)上司を信頼し、オレも頼られていた。こんな裏切りがあっていいのか・・・。
当人には悪いが、僕には笑い話しにしか聞こえない。一人相撲というんや。
信頼というけど、この人が勝手に言ってるだけで、上司という人のことは知らんが、言い分は予測がつく。
客観的な人事考課を踏まえた判断だ。こういうんじゃないですか。
信頼なんて言葉を軽々しく使ってる人がいるけど、要は甘えているんですよ。自分にも相手にも甘えている。
どういうことか。詐欺師を見るとよくわかるんですよ。
~(略)~騙されたと気付いた人は「あれほど信頼してたのに裏切られた」という。
信頼してたんじゃない。本当は、自分の欲望を見透かされたんや。だから悔しい。
~(略)~つまり、信頼関係を崩す原因は自分の中にあるんですね。さっきの人事の問題も同じことですな。
*能力や金、そして地位にも左右されない関係は、決して簡単には築けません。
信頼とはそういうもんだが、だからこそ尊いのと違いますか。
*なぜ、自分の力を過信した人は破滅するのか。それは誰かに教えを受けるという意識が持てないからなんです。
自分が絶対であり、他人を認めないのが自惚れる人間の特徴ですからね。
いや、オレは、自惚れたことなんかない。多くの読者は、こういうかも知らん。本当にそうだろうか。
気付いてないだけなのと違いますか?
ならば聞こう。キミには、心から尊敬できる人がいるか。その人の言動に気を配るという経験があるだろうか。
*では、どう仕事の中で先輩や上司を見極めていくか。
場合によったら自分の師匠とまで位置づけられる人をどう探し出せばいいのか。
これが問題だ。人はそれぞれ考え方が違う。異なった方法論を持っています。
これを認めてくれる人は、絶対に欠点をあげつらうことはないんですね。欠点が9あっても、1の長所をホメてくれる。
逆に部下をダメにし、ついていったら共倒れになる上司は、9の長所を無視して、1の欠点を責めたてるんですよ。
これでは萎縮して何もできなくなる。そして何より大切なのは、自分と異質のものを持っているかどうか。
*大切なのは「何に向いていそうだ」ではなく「何ができるか」なんです。
*毎日を漠然と生きていると気付かないかも知れないが、人生っていうのは選択の連続なんですね。
学校に入るにしろ、入社するにしろ、それは選択した結果に過ぎない。
日々の仕事だって、その時々で判断を迫られ、自らが先々の道を決定しているんですね。
中には「こんなはずじゃなかった」と後悔する人がおる。が、それも結局は自分が求めた結果に過ぎないんだね。
*いったい苦労ってなんだろう?言葉では、苦しさを労うという意味になる。だから相手に「ご苦労様でした」というのは分かるが、
自分で苦労したといういい方は、本来おかしい。にもかかわらず、年配者は苦労したことを喜んで話している。
~(略)~こちらが聞きもしないのに「あの頃は、本当に大変でした。苦労しましたよ」という人がおるのや。
僕には苦労の安売りとしか思えない。その証拠に、自ら苦労を語ったトップは、バブルがはじけて姿を消してしまった。
自分の苦しみを労うという甘えの中に逃げ込んでしまったんでしょうな。
*自分の境遇を他人と比較することが問題なんです。自分の人生でありながら、意識の中に第三者を介在させ、
その目で自分を見ている。なんというアホらしいことだろう。
*同じ経験をしても、一方は苦労と思い、一方は思わない。この差が、どこから生まれるのか。
僕はね、深刻と真剣の違いやないかと思うんですよ。
生きていく上で、人間はさまざまな障害にぶつかる。悩み苦しむ。それは仕方のないことなんです。
でもこのときに深刻になる奴はダメになっていくね。大切なのは、真剣かどうかということなんですよ。
*かりに入試や入社に失敗しても、その上にある目標を見すえているなら、深刻にはならんのです。
どう打ってでるべきか、他に道はないのかと考えるんじゃないか。それが真剣さなんですね。
*仲がいいというのは、要するに好きだという関係ですね。そして、イヤな奴はイコール嫌いな相手になる。
もともと曖昧な好き嫌いの感情で判断するから、わけが分からんようになるのと違いますか。
ここに別の観点を持ち込んだらどうだろう。仲がいいと思ってる友人を心から尊敬できるか、どうか。
本当の人間関係には、好き嫌いを越えた敬意が宿ってるように思うんですよ。
*漠然とした希望からは何も生まれないんですね。ちょうど宝クジを買って、当たるような気持ちになるのと一緒や。
僕はあえていうが、もう宝クジに頼る生き方はやめたらどうですか。
自分で目標を立てて人間を磨き、一歩ずつ前進する大切さに気付いてもいい頃だと思いますよ。
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