忘備録…になるかはわからないけれども、将来、子ども達にしっかり伝えられるよう、
旦那が旅立った日前後のことを書き記しておこうと思います。
まだまだ2階の寝室から泣き声まじりの「ママーッ」が聞こえてくる身分ですので、
細切れになること、御容赦下さいませ(><)
◆2012年9月中旬
主治医より、「これ以上の抗がん剤治療はできない」と緩和への移行を勧められました。
緩和への移行はかなり前から勧められてはいましたが、「おすすめしない」という主治医と衝突しながらも、まだ“できない”とは断言しない主治医を説きふせる形で、少しでも可能性がある以上、旦那は「治療」にこだわっていました。
ただその日は違ったのです。
がんではなく、抗がん剤の副作用で命を落とすぞ、と。
今の状況からみると、呼吸器のドクター10人がみて9人が年内はもたないと言うぞ、と。
だから緩和にいって、のこされた時間を有意義に使ってみてはどうか、と。
年内?
あと半年どころか、3ヶ月ちょっとじゃない…
4年を超す旦那の闘病生活の中でも、最も大きな衝撃を受けた日のうちの1日となりました。
旦那が旅立った日前後のことを書き記しておこうと思います。
まだまだ2階の寝室から泣き声まじりの「ママーッ」が聞こえてくる身分ですので、
細切れになること、御容赦下さいませ(><)
◆2012年9月中旬
主治医より、「これ以上の抗がん剤治療はできない」と緩和への移行を勧められました。
緩和への移行はかなり前から勧められてはいましたが、「おすすめしない」という主治医と衝突しながらも、まだ“できない”とは断言しない主治医を説きふせる形で、少しでも可能性がある以上、旦那は「治療」にこだわっていました。
ただその日は違ったのです。
がんではなく、抗がん剤の副作用で命を落とすぞ、と。
今の状況からみると、呼吸器のドクター10人がみて9人が年内はもたないと言うぞ、と。
だから緩和にいって、のこされた時間を有意義に使ってみてはどうか、と。
年内?
あと半年どころか、3ヶ月ちょっとじゃない…
4年を超す旦那の闘病生活の中でも、最も大きな衝撃を受けた日のうちの1日となりました。
お義父様も同じ病気だったのですね。
旦那の病気がわかってから、ちょっとずつ、ほんのちょっとずつではありますが、妻として覚悟してきました。約4年、そのちょっとずつが積もって、旦那が亡くなった時にぎりぎり自分を保てるくらいの覚悟がたまって(?)いたように思います。自分のことだけ考えれば、神様が私にくれた心の準備期間だったのでしょうか。
お気遣い、あたたかいお言葉、ありがとうございました。
また、長い闘病生活を介護されてきたのですね。本当に大変だったとお察しします。
旦那と母を自宅で看取れたことは私も本当によかったと思っています。らんちさんのお母様もきっと喜んでいますよ。
「きっとどこかで必ず見てくれています」
私も信じています。
ありがとうございました。
すみません、コメント拝読していて涙が出てきてしまいました…
そうなんです、明るく前向きな人でした。
病気になってもそれは変わりませんでした。むしろ病気になって以前より優しくなったぐらいです。
きこあきこさんも、近しいお方を相次いで亡くされたとのこと、心中お察しします…
「お子さんの中にマンマさんは生きています」
子供のためにも頑張ろうとは常々思っていましたが、この言葉をいただき目からウロコでした。
確かにそうですよね、いつも近くにいてくれるんですね。
いただいたコメントの最後の二行、子供たちが巣立ったあとの私の目標にもさせて下さい!
でも、旦那は副作用ではなく「がん」で亡くなったと私は思っています。
そう思いたいだけでしょ、と言われると身も蓋もありませんが…
ずっと一緒にいた嫁の直感でしかありませんが…
すみません。
年単位で闘病生活をともにした私でさえまだ気持ちの整理がつかないのですから、お気持ちを考えると胸が痛みます。
子供がいてくれるから頑張れる…
そうですね、子供のために頑張りましょう!
悲しくて仕方がない時…私もあります。
本当にどうしたらいいのか、きっとずっと模索していくのでしょうか…
頑張りましょう。
旦那が
「一生懸命頑張って闘って来た」
家族や友人以外でもそういうふうにわかってもらえる方がいる、というのは本当に嬉しいし、ありがたいです。
ちびちび更新がんばります(汗)
よろしくお願いします。
お体の調子はいかがですか?
「毎日を大事にして生活しています」の言葉、胸に響きました。
くれぐれもお大事になさってくださいね。
ずっと前から ブログの存在を知って 読ませてもらって
いましたがコメントはしませんでした。9月以降の
更新が途絶えたので 心配していたのですが 11月に
虹の橋を渡られてしまったのですね。
大病を患っているとは思えないくらいの 前向きな
言葉が多かったので こちらが元気を頂いていました。
8年前に 義父を肺癌で亡くしました。
最後は ずっと病院でしたし 本当の最期は
大喀血による
出血性ショックで 心肺停止で 機械で心臓を動かせて
いるだけでしたから そのまま。
自宅で 看取られたまんまさんは 嬉しかっただろうと思います。
覚悟はしていても 気落ちは大変なものだと思います。
お子様たちも まだ小さいですしね。
どうぞ まもぞうさんが お体 壊しませんように
御自分と お子様と 大切になさってくださいね。
ご冥福をお祈りいたします。
病を得ても尚、家族を想い、楽しくなさっていらした姿勢を尊敬しております。明るく、思いやりのある良いご主人でしたね。
実は私も家族を相次いで昨年の夏以降に亡くしました。そしてまもぞうさんと同じに最期は自宅で看取りました。親戚縁者を始めとする人の暖かさ、有り難味をこれほど感じた事はありませんでした。
個人差はあるものの、終末期の癌患者は痛みや苦痛はモルヒネなどが取ってくれるし、家族に囲まれ、真心の中での最期は、傍目にはそれほど苦痛を伴ったものでは無かった様に思います。
この数年、共に癌との闘いの中におり、辛い気持ちでいた時間も少なからずありましたが、終わってみればあっという間、あっけなくその時は訪れます。でも、この数年間を濃い密度で過ごすことができ、看る側が逆に励まされる場面も多々ありました。
まもぞうさんは大きな宝物を3つ(人)も残していただけて幸せです。マンマさんの遺伝子が脈々と受継がれていくじゃありませんか。確かお嬢さんがマンマさんの系統で大きい方なのでしたね。美味しいもの好きの遺伝子ですね。お子さんの中にマンマさんは生きています。
私は寂しい境遇になりましたが、意外なほどに平常心です。家族の死を無駄にしないよう、皆さんから戴いたご厚情のご恩返しを社会に向けて、何かに貢献できる自分づくりを模索しています。
抗がん剤治療の難しいところですね。
マンマさんと同じ様に、医師から『これ以上、抗がん剤治療はやめましょう』と言われてから…ひと月半くらいで最期を迎えました。
私も結婚して子供がいますが(お腹に居たときに父の癌がわかりました)、忙しい毎日の中でも…悲しくて仕方ないときがあります。
ブログをアップしていただいてありがとうございます。
マンマさんが、一生懸命頑張って闘って来られたんだ。ってブログみて思いました
まもぞうさんの、ペースでお気持ちが辛くなたないよう、ブログ更新お待ちしています
現在抗がん剤治療を受けています。
始めはアバスチン4クールを受け今はアリムタを受けております。毎日を大事にして生活しています。