◆2012年9月中旬 3
でも、もちろんムッとした顔はしませんでした。
だってしょうがない、その看護師さんの立場だったらそういうしかないよね…
なんて自分を納得させつつ、色々と話をしました。
そして、併設の緩和病棟を見学に行ったのです。
その時はまだ、旦那は自分でしっかりと歩くことはできていましたが、少し距離を歩くとなると息が苦しくなるようになってきたので、車イスを借りて私が押して行きました。
しょうがない、しょうがないんだ。
今できることを頑張ってやっているんだ。
と、自分の心の中で唱えてはいましたが、やはり緩和病棟を当事者の妻という立場で見て歩くというのは非常に複雑…いや、辛いものです。
今までも緩和病棟を目にすることはあったけれど、まだ他人事だったのに
この日が来てしまうなんて
私は辛かった。
でも、旦那はもっと、もっと辛かっただろうと思うと、今でも涙が出てきてしまいます。
でも、もちろんムッとした顔はしませんでした。
だってしょうがない、その看護師さんの立場だったらそういうしかないよね…
なんて自分を納得させつつ、色々と話をしました。
そして、併設の緩和病棟を見学に行ったのです。
その時はまだ、旦那は自分でしっかりと歩くことはできていましたが、少し距離を歩くとなると息が苦しくなるようになってきたので、車イスを借りて私が押して行きました。
しょうがない、しょうがないんだ。
今できることを頑張ってやっているんだ。
と、自分の心の中で唱えてはいましたが、やはり緩和病棟を当事者の妻という立場で見て歩くというのは非常に複雑…いや、辛いものです。
今までも緩和病棟を目にすることはあったけれど、まだ他人事だったのに
この日が来てしまうなんて
私は辛かった。
でも、旦那はもっと、もっと辛かっただろうと思うと、今でも涙が出てきてしまいます。
分かる気がする、などといっても軽く感じられるかもしれません・・・
でも分かる気がします。
応援しております。
どうしてあそこに連れて行ってしまったんだろう…と悔いる日もあります。
まもぞうさん、腹立たしさや怒りをバネに、生きるエネルギーに変換して強く生きてね。そして自分を苛めないようにね。
私も周囲の方々からそう言っていただき、ファジーな気持ちで生きています。自分でも冷血漢なんじゃないかと思うくらい普通に暮らしています。それで良いのかは分からないんだけれど、家族は、これからは自分のために楽しんで生きてねって、これからは楽しいことが沢山し、良い友達も一杯できるわよって、そう何度も言って亡くなったから…。
4月末に夫を在宅で看取りました。58歳です。子供は21歳と19歳。 2年7ヶ月の闘病でした。私の仕事は訪問看護です。単身赴任中に発病し本人家族がきずいたときは・・ステージⅣ 化学療法しか選択はありません・・
治療は2年しかできずあとは緩和治療・・痛みとの戦い
夫同じ誕生日のワンコを飼いはじめワンコを通じて知り会った友人との遠出が一番の治療かな・・でも悔しい・・ 今も悔しくて仕方ないでも仕方ない毎日 もう少し眠られない日が続きそうです。
まもぞうさんも子供のためにかんばっいていると思います。私も応援します。だからまもさんも私を応援してほしいです。
症状が出ても近くにいれば・・単身でなければもっと長く生きられたのか自問自答の毎日です。
在宅の仕事になり12年 はっきりいえるのは、病院での看護師と訪問の看護師は違います。病院では患者しか診てないけど在宅は家族を含めてみます。しみじみ思います。緩和ケアの病院の見学ではやはりここで看てもらうという選択をしたことで在宅の重要性を感じられ在宅での見取りを選ばれマンマさんも安心されあちらの世界へひちあし早く行かれたのでしょう・・
残念ながら夫は私に住宅ローンという思い荷物を押し付けていってしまいました。あと20年のローンを抱えてますから仕事がんばってます。これが一番の私にとっての救いかな~ だって夫にできないことが他人にはできる 悔しいけど家族の気持ちもちょつぴりわかる・・子供のためにもかんばる50歳母です
ミューシャはワンコの名前です。
ふたりの子どもが、マンマさんちのお子さんと同い年だったものですから。
レスからも優しさがにじんでいて、とてもステキな方だったのに、残念です・・・・。
マンマさんのパスタややきそば、ほんとうに美味しそうですね。
密かにマンマさんの応援をずっとしてきましたが、ほんとうに闘病、お疲れ様でした。
これからはまもぞうさんのこと、応援しています。
私達も、最終的には治療の危険を告げられ、緩和治療をすすめられました。主人は慣れ親しんだ先生や病棟に居たいと、願ったんですが、治療を待っている患者さんがたくさんいるし、設備的にも整ったホスピスや在宅を勧められました。本人の希望、住宅事情もあり、ホスピスを検討し、私だけ、先に見学したんですが、見学中、泣けましたねぇ。主人が見る最後の風景、場所、になるかもって思うと辛かった。絶望感のなかで、病院を追い出されるような感覚、また新しい環境に入らせなきゃならないのが、辛かった。結果的には、主人に、ここに連れてきてくれてありがとう、って言われて、良かったんだって思えましたが。
まだまだ頑張らないとって思えました。ありがとうございました。
分かる気がする、そう言っていただけと救われる気がします。
ここ数年、「実際に体験したことないからわかるわけない」という言葉ってすごく乱暴ではないのかと思っています。
人として、想像力こそ思いやりの原点なのだと常々感じ、また自分もそのような想像力をもちたいと考えている次第です。
I医師、N医師、同じだったんですね・・・思い出すと色々ありましたが、私はあの方達にお世話になれてよかったと思っています。
寒さもますます厳しくなりますが、どうぞご自愛下さいね。
冷血漢…
やはり同じような境遇だと同じように考える傾向があるのかな?私は自分は薄情者ではないか?とよく考えます。
さすがに身近にはいませんが、ネットでは大切な配偶者を亡くされた方を多く知ることができます。
その方たちの悲しみや嘆きをみていると、一周忌を終えたばかりだというのに日々のほほんと過ごしている自分が薄情者に思えてきてしまいます。
でも旦那が私にこうしてほしいと思うに違いない、というふうに暮らせてはいると思うので、ま、いっか。と納得してしまっています。
ご主人を看取られたとのこと、お気持ちお察しします。
訪問看護のお仕事をされているのですね。
素晴らしいお仕事だと思います。
約2ヶ月と期間は長くありませんでしたが、訪問の看護師さんには本当に助けられました。
感謝しています。
抱きついて涙を流せたのは、義理の母とその訪問の看護師さんの二人だけでした。
旦那は在宅を望んでいたので、そのとおりにできたのはよかったと思っています。
お仕事が救いと聞いて、なんだかとってもうらやましいです。私もこれからそういう仕事を見つけるべく、遅いスタートですが頑張ります。
お互い、子どものためにもがんばりましょうね!
応援しています。