5月11日(日)
もう憎しみなど忘れていたいし、しかたのなかったことだと 許したつもりでもいる。
でも 実の両親からの虐待の恐怖感と生存を否定された記憶は 消すことができず、パニックを未だに起こしてしまうことがわかった昨年のできごと…。
そして 2月。
できる限りの援助を、と、やりたいことも犠牲にして毎日、実家に通った挙げ句、さんざん振り回されただけの結果に唖然。
妹にも、両親との関係同様に依存されるだけなら、客観的で冷静な判断や決断ができず、双方にとって、良い結果は得られないので 依頼に対してだけは相談にのり、解決へのサポートだけをすることを 再確認しあい、距離をおくことにした。
徒労感が大きく、すべてが虚しかった。
退職後は、それでも、もう一度、気持ちを立て直して、父の話し相手をしたり、妹の愚痴を聞いたり、見守り程度のことはできるので、時々、実家へは行っていた。
けれど、今日は、実家からの帰宅後、夜に、父が発熱し 食事が摂れない、でも立ち上がることができないから、明日の受診も妹一人では介助が不安だと電話が。
明日まで待つよりも、救急車を勧めたが、既に何度かお世話になっているから 妹は呼びたくないし、受け入れ先が近くにないと かなり遠方になる場合もあるし…と言う。
…方向音痴な上に運転も得意ではないけれど、ナビでなんとか、私が追いかけて行くから、救急車を呼んで!と頼み、やっとその気になってくれた。
搬送先は幸い市内、それも以前、母も入院した病院だから、迷うことなく 私も行けたが、診断の内容は予想より重くて、そのまま入院。
しかも急変の可能性があるので、救命処置のレベルをこの場で決めて欲しいとのこと。
治療行為ができる間は入院できるけれど、あとは自宅看護になるから、諸手続きも明日、早急に妹にしてもらうことにはしたけれど。
医療制度も介護制度も 私が養父母や祖父母を見送った時とは まるで違うので 自分がもし長生きし、介護が必要になったら、と思うと ほんとうに ゾッとします。
5月16日(金)
先日、予約していた、1月に手術した癌とは別の、新たな癌の疑いで受けたMRIの診断のため、総合病院へ 私と妹で、主治医からの紹介状を持参して受診するも、なんの画像資料添付もなく! 診断は当然 できず、逆に手紙を書いていただき、入院先の病院へ。
入院先から癌の主治医へ連絡したところ、本人、検査どころか移動も無理だから、家族だけで行けという指示だったので なんらかの方法で 検査資料は添付するのかと思っていたのは甘かった。
外来で検査可能にならないと、こちらでは引き受けできない、というのでは、なんのために来たのやら、である。
移動は無理だからと、お願いしたにもかかわらず、入院先の科で診療を断ってきた理由も こちらへの紹介状があったからでは?と言われて 唖然 愕然である。
しかし、ここで腹を立てても、と、
「今の父の病状が、こちらの外来にこれる程度までの改善ができなければ、その間に、万一、この病巣が癌だった場合は、なんの対処もできずに、看取らなければならない可能性もあるということなんですねぇ…」
と、事実確認のため、あくまで静かにお話ししたら、
「医療機関と制度の都合で、そうさせる訳にはいかないですね」
と、おっしゃってくれ、逆に入院先の担当の科へ、紹介状を書いてくれたので、入院先の病院へ持ち帰り、月曜日に再度 担当の科での相談の予約を入れてもらった。
子供などの家族がいたとしても、こういう動きがとれるとは限らないし、自分1人で同じ状態になったとしたら、具合の悪い身体で いったい、どうするのでしょうね…。
自助、地域での共助と言ったって、一番仲良く 親密なお付き合いがあるのは、同年代か、私よりも歳上なんですよねぇ…。
共助も、公助も、私が幾つまで生きるか不明ですが、労働人口は現在より減る一方なのだから、これに、徴兵制度なんてできて、息子や娘が 兵役で不在となったら???
今日1日の出来事でも、こんなことを思ってしまいました。
もう憎しみなど忘れていたいし、しかたのなかったことだと 許したつもりでもいる。
でも 実の両親からの虐待の恐怖感と生存を否定された記憶は 消すことができず、パニックを未だに起こしてしまうことがわかった昨年のできごと…。
そして 2月。
できる限りの援助を、と、やりたいことも犠牲にして毎日、実家に通った挙げ句、さんざん振り回されただけの結果に唖然。
妹にも、両親との関係同様に依存されるだけなら、客観的で冷静な判断や決断ができず、双方にとって、良い結果は得られないので 依頼に対してだけは相談にのり、解決へのサポートだけをすることを 再確認しあい、距離をおくことにした。
徒労感が大きく、すべてが虚しかった。
退職後は、それでも、もう一度、気持ちを立て直して、父の話し相手をしたり、妹の愚痴を聞いたり、見守り程度のことはできるので、時々、実家へは行っていた。
けれど、今日は、実家からの帰宅後、夜に、父が発熱し 食事が摂れない、でも立ち上がることができないから、明日の受診も妹一人では介助が不安だと電話が。
明日まで待つよりも、救急車を勧めたが、既に何度かお世話になっているから 妹は呼びたくないし、受け入れ先が近くにないと かなり遠方になる場合もあるし…と言う。
…方向音痴な上に運転も得意ではないけれど、ナビでなんとか、私が追いかけて行くから、救急車を呼んで!と頼み、やっとその気になってくれた。
搬送先は幸い市内、それも以前、母も入院した病院だから、迷うことなく 私も行けたが、診断の内容は予想より重くて、そのまま入院。
しかも急変の可能性があるので、救命処置のレベルをこの場で決めて欲しいとのこと。
治療行為ができる間は入院できるけれど、あとは自宅看護になるから、諸手続きも明日、早急に妹にしてもらうことにはしたけれど。
医療制度も介護制度も 私が養父母や祖父母を見送った時とは まるで違うので 自分がもし長生きし、介護が必要になったら、と思うと ほんとうに ゾッとします。
5月16日(金)
先日、予約していた、1月に手術した癌とは別の、新たな癌の疑いで受けたMRIの診断のため、総合病院へ 私と妹で、主治医からの紹介状を持参して受診するも、なんの画像資料添付もなく! 診断は当然 できず、逆に手紙を書いていただき、入院先の病院へ。
入院先から癌の主治医へ連絡したところ、本人、検査どころか移動も無理だから、家族だけで行けという指示だったので なんらかの方法で 検査資料は添付するのかと思っていたのは甘かった。
外来で検査可能にならないと、こちらでは引き受けできない、というのでは、なんのために来たのやら、である。
移動は無理だからと、お願いしたにもかかわらず、入院先の科で診療を断ってきた理由も こちらへの紹介状があったからでは?と言われて 唖然 愕然である。
しかし、ここで腹を立てても、と、
「今の父の病状が、こちらの外来にこれる程度までの改善ができなければ、その間に、万一、この病巣が癌だった場合は、なんの対処もできずに、看取らなければならない可能性もあるということなんですねぇ…」
と、事実確認のため、あくまで静かにお話ししたら、
「医療機関と制度の都合で、そうさせる訳にはいかないですね」
と、おっしゃってくれ、逆に入院先の担当の科へ、紹介状を書いてくれたので、入院先の病院へ持ち帰り、月曜日に再度 担当の科での相談の予約を入れてもらった。
子供などの家族がいたとしても、こういう動きがとれるとは限らないし、自分1人で同じ状態になったとしたら、具合の悪い身体で いったい、どうするのでしょうね…。
自助、地域での共助と言ったって、一番仲良く 親密なお付き合いがあるのは、同年代か、私よりも歳上なんですよねぇ…。
共助も、公助も、私が幾つまで生きるか不明ですが、労働人口は現在より減る一方なのだから、これに、徴兵制度なんてできて、息子や娘が 兵役で不在となったら???
今日1日の出来事でも、こんなことを思ってしまいました。